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(回答先: 三人の偉大な独裁者は、いずれもその国民に耐えがたい重荷を強制することによって…ジョージ・オーウェル 投稿者 外野 日時 2005 年 9 月 19 日 07:05:35)
苦しいが何かと闘っているという事に恍惚とする事が人間にはある。
左翼や右翼に典型だ。
悪を見つけ出し自分はそれと闘っていると言う。
人が安楽だけでは無く、闘争も欲するのは自明だ。
闘争するストイックな自分にナルシシズムは満たされる。
ヒーローになれるからだ。
問題は闘争の矛先だ。
間違った目的の闘争に対する批判が重要なのはこの為。
戦争の批判は国益の名の下に暴力を行使する行為の批判だ。
「間違った目的の闘争に対する闘争」
これが闘争を廃絶する闘争の意味だ。
矛盾しているように思うだろう。
しかし、あらゆる争いを廃絶する為の闘争というものは存在する。
自らが不要になる為の闘争だ。
「階級闘争は正しいのか?」これが私達に与えられた課題だ。
国際金融資本の地球大の支配を見て、「正しい」と私は考える。
しかし、これまで階級闘争は矛先を反らされ続けてきたのだ。
熱追尾型ミサイルにダミーの発火物を追尾させるように。
国際金融資本と直接対決をしなければならない。
国際金融資本の世界政府構想に対する対案を我々が出すべきなのだ。
税をどこから取るかをめぐって全面対峙しなければならない。
これだけが正しい闘争の矛先だ。
他の闘争はこの闘争に至る媒介である。
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