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「それはちょうど新聞紙上にぶちまけられた雑多な広告のなかで、くり返しくり返し出てくる練歯磨を、人々が買うにいたるのと同様である」(文中より)
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海亀日記
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あれから、何年過ぎたというのか?
たった四年じゃないか!
September 14, 2005
イラク戦争の戦費は、日本がアメリカ国債を買ったことによって成り立っていた。『ウォールストリート・ジャーナル』2005年8月8日号のインターネット版記事によると、
「郵政民営化法案は廃案となったが、これは手取りの時期が少し延びたに過ぎない。ほんの少し待てば、われわれは3兆ドルを手に入れることができる」
と述べているそうだ。むろん、3兆ドルとは、日本国民の郵便貯金350兆円のことだ。参議院が法案を否決した時点での記事である。
そして今回、自民党が圧勝して、ついに単独過半数を獲得した。イラク戦争の血の海がまだ乾いていないとき、ブッシュは再選され、自民党も不可解なほどの大勝利を収めた。ここには、なにか異常な空気が感じられる。その空気とはなにか考えているうちに、ふうっと思いあたるものがあった。
ヒトラーは、選挙によって合法的に政権を手中にした。ドイツ国民がかれを選び、かれに権力を与えたのだ。その結果が、世界第二次世界大戦であり、600万のユダヤ人虐殺であった。むろん私は、ブッシュ大統領や小泉首相がヒトラーに似ていると言いたいのではない。そうではなく、ヒトラーという一人のカリスマに熱狂して、かれを選挙で選んでしまったあの時代の空気といったものが、現在と共通性をもっているのではないかと疑っているのだ。
マックス・ピカートは『われわれ自身のなかのヒトラー』(佐野利勝訳 みすず書房)で次のようなこと述べている。この本は、驚くべきことに1946年に初版が出ている。第二次世界大戦が終わった翌年のことだ。おそらくピカートは20世紀の狂気が吹き荒れるさなかに、ひとり静かに目覚めながら、この本を書きつづけていたのだろう。その冒頭のあたりを引用しよう。かなり長い引用にになるけれど、どうか注意深く読んでください(訳文を少しばかり読みやすくしました)。
「1932年、ドイツを旅行していたときのことであるが、ある日、ドイツの大政党の党首がわたしを訪問して、ヒトラーがこんなに有名になり、こんなに信奉者を獲得できたのは、いったいどうしてだろうとたずねたことがある。わたしは、たまたま机のうえに置いてあった絵入新聞を指さして、どうぞ、それを見てください、と答えた。第一面には、ほとんど全裸の踊子の挿絵が載っている。第二面では、一個連隊の兵士が機関銃操作の訓練をうけており、(中略)第四面にはY工場の休憩時間における工員たちの体操の写真があり、その下には南米インディアンの一種族の結縄文字が印刷されている。そして、その真横には、避暑地での衆議院議員A氏が立っている」
「現代人が外界の事物をうけ取るやり方はこうなのです、とわたしは言った。現代人はあらゆるものを、なんの関連もない錯乱状態のままで、手当たりしだい掻きあつめてくるのですが、それは、現代人のこころのなかにも、一種の支離滅裂な錯乱状態を呈している証拠にほかなりません。(中略)そこに外界の一種の支離滅裂な錯乱状態が動いてくる、というのが実情です。したがって、何がわが身に降りかかりつつあるかは、いっこうに吟味されない。人々は、とにかく何事かが起こり来たりつつあるという、そのことだけで満足なのです」
「そして、このような連関のない錯乱状態のなかへは、どんなことでも、また、どんな人物でも、容易にまぎれ込むことができるのは言うまでもありません。どうしてアドルフ・ヒトラーだけがまぎれ込まないことがありましょう」
ピカートは、絵入新聞やラジオが、こうした連関性の喪失をもたらしていると説いていくが、これをテレビに置きかえるとわかりやすいだろう。恋愛ドラマの途中、あるいは戦争のニュースの途中、乱脈にCMが挿入されて、人の感情や意識の流れは、15分か20分ぐらいしか持続しない。そのような感性は、意味の関連性をつくりだせず、外部世界は、CMのように氾濫するイメージに等しくなっていく。テレビによって培われた内面は、層をなさず、モザイク化していくと、トフラーも述べている。瞬間から、瞬間へ飛んでいくだけだ。
だから、経験の時間軸がない。ものごとを意味化できない。そうした、ばらばらに「モザイク化」した感性こそが、ヒトラーを歓迎し、熱狂し、かれに権力を与えてしまったのだ。ピカートは、20世紀の狂気のさなかに、テレビがもたらす錯乱をすでに透視していたように思われる。もう少し、引用をつづけよう。
「世界は解体したのだ。そして、もろもろの対象はなんの連関もなくばらばらに、これまた何らの連関性をもたない人間のかたわらを、素通りしていくにすぎない。何が素通りして行くかはどうでもよい。肝心なのはただ、とにかく何物かが素通りして行くという単なる事実だけである。従って、このような連関性のない事物の羅列のなかへは、どんなものだってまぎれ込むことができるのであって、アドルフ・ヒトラーがまぎれ込んだからといって、別に不思議ではない。事実また、もはや何ものも出現しなくなってしまうよりは、少なくともまだアドルフ・ヒトラーが出現するということの方が、人々にとっては、ありがたいのである」
「だから、ヒトラーはこのような外部世界の錯乱状態のなかにあって、容易に人間内部の錯乱状態のなかに忍び込むことができる。また、このような支離滅裂な連関性喪失の状態のなかで、気まま勝手にどのようなところにも顔を出すことができたのである。また、彼はどんなものにでも順応した。それもそのはず、彼はなんらの連関性ももたないその本性上、あらゆる連関なきものに対する順応性をそなえていたのである」
「そして、この錯乱状態のなかで、随時、随所に、何度でもくり返し顔を出すことによって、彼はひときわ目立った存在になったのだ。やがて、人々は彼になれて、彼を受容するようになった。それはちょうど新聞紙上にぶちまけられた雑多な広告のなかで、くり返しくり返し出てくる練歯磨を、人々が買うにいたるのと同様である。かくしてヒトラーは、その他のあらゆるものが現れたかと思うとすぐ消えてゆくに過ぎない、この世界のなかで、当然ながら唯一真実なるもののように見えてきたのである」
「そのようなことが可能なのは、現代社会ではだれもが無目的につるつる滑ってゆくからなのだ」
このように連続性や関連性を失ってしまったことが、いちばん恐ろしいことに思われる。今回の選挙は「郵政民営化」が焦点ではなかったような気がする。血の海がまだ乾いていないのに、ブッシュ大統領は再選された。それと共通するものがある。その不可解さは、ヒトラーが合法的に権力をにぎった時代の空気にも似ているように、私には思われる。
こうした熱狂の中心にあるのは、やはり民族感情ではないか。ピカートもまた、連関性が失われた世界においては「一個の空無、もしくは一個の低劣なるもの、もしくは一個の凡庸なるものが絶対者の地位におしあげられ、まるで、そのまわりに万人が群れ集まらねばならない、民族の中心であるかのように」変化していく恐ろしさを強調している。
次にやってくるのは憲法改正だろうか。この改正という言葉はおかしい。改悪でも、恣意的すぎる。「改革」といったようなスローガンで盲目にされてしまうようだと、憲法まで変えられてしまいかねない。
政治の話をしたいのではない。ここに述べたような、連続性の喪失、関連性の喪失、ものごとを意味化できなくなってしまった「モザイク化」した感性をどうしたらいいのか、そこから始めなければならない。テレビに踊らされない統一的な自分をつくりだしていくのは、やはり言葉であると思う。テレビを消して、本を読まなければ。
文芸復興は、もう笑いごとではなく、ほんとうに、ほんとうに必要なことだ。言葉を回復させなければ、大変なことになるよ。
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