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[暴政]『踊るポンポコリン化した小泉劇場』の深淵を探る
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投稿者 鷹眼乃見物 日時 2005 年 9 月 18 日 10:42:02: YqqS.BdzuYk56
 

[暴政]『踊るポンポコリン化した小泉劇場』の深淵を探る

(小泉・踊るポンポコリン劇場がもたらす虚像への恐怖)

  「郵政焦点・解散総選挙」の結果、善良な国民の圧倒的な支持(?)を受けて“踊るポンポコリン(大政翼賛/Dancing  Pompokolin)化”した日本は、まるで“ハーメルンの笛吹き男のピーヒャラ、ピーヒャラに誘われた130人の子供たち”と同じ運命(http://www.hat.hi-ho.ne.jp/hori-t/ajisai/index16.html)を辿るかのような“得たいが知れぬ不安な空気”に包まれ始めています(http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050912)。

このように国民が不安や恐怖感を感じ始めた背景には五つの大きなポイントがあります。その一つめは『小泉首相には初めから日本国憲法を無視する意志があったと思われること』、二つめは『選挙制度の欠陥(死に票が多いことによる)が隠されていたこと』、三つめは『部外者から見ると、小泉首相とその熱烈な支持者たちの間には一種独特の異常熱愛シンドロームのような雰囲気が漂っていること』、四つめは『小泉劇場について濫喩的分析を試みると、その深奥から激情的なViolenceの嗜好が表出してくること』、五つめは『小泉劇場とマスメディアが共犯的堕落という一点で深く共鳴し合っていること』(特に民法テレビの堕落ぶりは酷い!)です。

  今になって見ると、「小泉劇場」が吹きまくった幻想(ホラ話)で踊らされた日本国民の運命が、「ハーメルンの笛吹き男」にゾロゾロついて行き姿を消してしまった多くの哀れな子供たちの姿に重なってきます。我われは、あまりにも危険な方向へ踏み出してしまいました。ヒョットすると『小泉劇場』の公演は、あと1年足らずで終演かも知れませんが、この『小泉劇場』が善良な多くの国民に幻想を噛ましてつくりあげた『衆議院議席2/3以上』という大政翼賛政治(独裁政治)の重すぎる遺産は現実のハードルとなって国民の肩に伸し掛かってきます。また、あまりにも多くのホラで構築された『幻想の王国・小泉劇場』が国民の心に残すトラウマの後遺症と、その5年間で更に巨額化した財政赤字が日本国民へ重い手かせ足かせとなって迫って来るはずです。小泉氏が推薦した“セレブで華麗なマドンナ”たち(たとえ逆立ちしても、筆者には決してそうは見えないが!)に投じた清き1票が日本国民の“酔生夢死”に繋がらないことを祈るばかりです。

(郵政解散・総選挙の憲法違反/地獄への一線を越えてしまった)

  一般にあまり深刻に受け止められていませんが、小泉首相が確信犯的な意味で憲法を無視したことはクーデターに匹敵する重大な出来事です。時間が経つに連れて、その影響はジワジワと国民の生活全般に浸透してくるはずです。いま見えていることは、やはり“小泉首相が「参議院で否決されたことを口実に、その法案について国民の信を問うことを理由に衆議院を解散したこと」は、政治権力の暴走を防ぐため“授権規範性”が持たせられている「日本国憲法」の根幹に明らかに違反している”という現実です。日本国民は、この事実を決して軽視すべきではないのです。日本は直接民主制ではなく、二院制の議会制民主主義国家です。従って、今回の解散・総選挙劇は、かつてヒトラーがワイマール憲法を“合法的”に踏みにじった暴挙に匹敵することであり、国の最高権力者自身が率先して国家統治の安全装置を堂々と解除したクーデターなのです。

  我われ一般国民は、民主主義の基本と市民社会のあり方について、絶えず何度でも学び直す必要があります。民主主義は放っておけば自律的に機能するものではありません。健全な民主主義と市民社会を維持・発展させるには血が滲むような国民一人ひとりの意志的な努力が必要です。また、民主主義体制を浮上させ続けるためには、喩えれば航空機の推力機関(エンジン)に匹敵する「一定の国家ガバナンスシステム」を確保しておく必要があります。それが「民主憲法」であり、「二院制の議会制度」であり、公正に機能する「選挙制度」です。今の日本は、“自民党をぶっ壊す”というワンフレーズで登場した小泉首相が、国家ガバナンスの基盤である「議会制度」を意図的に憲法違反を犯して破壊するとともに、狡猾にも、元々不備だった「選挙制度の欠陥」を、これも準備していた“刺客作戦”や“国民のB層攻略作戦”などで巧みに操作しました。そのうえ、本来のジャーナリズム精神を失っていたマスメディアの抱き込みにも見事成功して国会で絶対安定多数を占める2/3以上の議席数を占めたのです。
<注>今回の「郵政解散・総選挙」に憲法違反の疑いがあり、それが一種のクーデターに匹敵することは日本へ新自由主義思想を最初に導入した実績がある中曽根康弘氏も下記の毎日新聞の記事(■)で語っている。
■小泉ガリバーの出現:私の見方/5止 元首相・中曽根康弘さん(毎日新聞、 2005.9.17. 東京朝刊)
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/20050917ddm005010013000c.html

(総選挙結果における虚像(2/3議席数)の背景/小選挙区制度の欠陥)

  二つ目の「選挙制度の結果」をクローズアップしてみると、9月11日に投・開票された総選挙の結果、自民党が296議席となり、自民・公明では衆議院の2/3をこえる327議席(総議席数の約73%相当)と圧倒的多数(小泉独裁政治体制)となりました。しかし、摩訶不思議なことに「得票数は4対3」であるのに「議席数は3対1」です。ここでは、間違いなく獲得票数の4倍の議席数を獲得するというマジック(大量の死に票の発生によるトリック)が行われています。それを、各マスメディアは“政権与党が国会で絶対多数を取った歴史的な出来事”だと大々的に報じているのです。しかし、実際の『小泉独裁政治体制』が獲得した得票数は有権者総数(約1億人)の約3割程度(得票率でみれば47.7%)に過ぎないのです。これが『踊るポンポコリン化した小泉劇場』の実像です。

(小泉首相と国民(それを熱烈に支持する)の相愛関係の分析/異常熱愛シンドロームの恐怖? ・・・最高政治権力者と国民はひたすら愛し合ってさえいれば、唯それだけで良いと言えるのか?)

  100歩譲り、仮に小泉首相と多数の善男善女(国民)が『純チャあ〜ん!』と呼ばれ手を振り合うような相思相愛関係(高い支持率で結ばれている関係)であるとしても、その“愛の実相”は甚だ異次元的でフェティッシュな愛の作法(歪んだ愛情の坩堝=異常熱愛シドローム)に見えてきます。例えば、総選挙の直前までは、あれほど“郵政民営化だけを国民に問う総選挙なので、決して、その他の政策の白紙委任ではありません!”と小泉首相や武部・自民党幹事長らが絶叫していたにもかかわらず(つまり、増税は一切しませんと選挙公約しておきながら)、彼らは、選挙結果が出た数日後の未だ舌の根も乾かぬうちに、政府諮問機関・税制調査会(石 弘光・会長)の諮問があったことを口実にして“配偶者特別控除廃止などの増税策”という“激しい苦痛が伴うご褒美”を、よりによって自分を情熱的に愛してくれたその国民たちに対してチラつかせ始めています。

  このような、まるでリフォーム詐欺師か暴力団かヤクザかゴロつきのようなやり口で善良な国民を手玉に取る政治手法が、果たして“愛する人々(純な多くの国民たち)への仕打ち”として正当だといえるのでしょうか? それにもかかわらず、無党派層の中の中堅ビジネスマン・クラス(中堅正社員層)よりも、おおよそ40歳未満のビジネスマンやアルバイター・フリーター等の若者及び婦人・高齢者・中小自営業者層など、どちらかといえば、いわゆる“竹中B層攻略プランのターゲットとされた弱者階層(竹中プランで言うところのIQが低い層?)の支持票”が、今回の選挙ではかなり自民党へ流れたと思われるのです。「小泉=竹中戦略」が図星だったといえば、それまでですが、たとえ苛められ虐げられ傷つけられても、何処までも何処までも『純チャあ〜ん!一座』を追っかけて行く、この善男善女たちのけなげさは一体何なんでしょうか? そこには異常に歪んだ“危険な愛のエロス”(異常熱愛シンドロームの空気)が漂っているようです。

  このことについて、放送作家・山田美保子氏(http://www.tcn-catv.ne.jp/~acc/hito/hito/109yamadamihoko.html)が、「東京スポ―ツ新聞、2005.9.13号 」の紙上で次のような示唆に富む見方(以下、・・・  ・・・の部分)を示されています。このような観点からすると日本国民の約半分に近い人々は、順当な愛の形では満足できないような特異な精神環境に嵌ってしまったということなのでしょうか? いや、そうではなく、やはり小泉劇場の『幻想のバブル』で騙されていると考えた方が未だ救いはあるようです。

『国民と総理の関係』
・・・ここまで自民が圧勝するとは正直、意外だった。投票率が上がれば弱いといわれた自民が強く、都市部で弱いといわれていた自民もまた強かった。郵政民営化、是か非かのみを問うた自民に投票したのは、政治に閉塞感を持っていた国民の裏返しであり「今度こそ日本は変わるのだ」という期待の表れである。今回は、小泉さんの作戦勝ち。それに尽きる。常々私は、小泉首相と国民の関係は「DV(ドメスティックバイオレンス)の夫と妻」のようなものだと思っている。実際に暴力を振るうわけではもちろんないけれど、小泉首相の言動は、時として暴力的である。しかも、非常に冷酷な一面もあり、今回の造反議員への仕打ちなどは、まさにそれ。女性に対しても同様で、外務大臣時代の田中真紀子さんを更迭したことや、前妻への仕打ちなどは、小泉首相が根っこの部分で冷たい男であることを象徴している。だが、時折、サ―ビスされたり優しくされたりすることで、ああ、やっぱり、この人に付いていこう・・・・・・と思わされてしまうのだ。ク―ルビズをキメて、あたかも国民のことを心から考えているような演説に酔わされたこの1ヶ月は、DV用語でいうところのハネム―ン期だったのである。今後は、郵政民営化の陰に隠れていた消費税や国民年金、9条を含めた憲法改正などなど、山積みになった問題が噴き出してくると思うが、小泉首相は「私の任期はあと1年。まずは郵政民営化から」とか言っている。やっぱり、この人、郵政民営化だけできればいいのである。少しでもうまく進まなくなったら、また何かやらかしますよ、きっと。刺客の皆さんも、いつ真紀子さんの二の舞いになるかもしれない。くれぐれもお気をつけいただきたい。某局の選挙特番で、亀井静香氏に対し、「郵政民営化にYESと答えた民意をあなたはなぜ見ようとしないのか」と斬り込んだキャスタ―がいた。その一方で、優秀なエコノミストや評論家、堪がよくセンスもある一部の政治家たちがあの法案に対し「NO」といっている現実も私たちは冷静に見ていかなくてはいけないだろう。・・・

<注記>DV=ドメスティック・バイオレンス(Domesic Violence)
ドメスティック・バイオレンス(以下DV)は、直訳すると「家庭内暴力」ですが、日本で家庭内暴力というと、子供が親に対して振るう暴力と取られがちなため、「夫や恋人からの暴力」と訳されています。DVは、男性の年齢や教育レベル、職業に関係無く起きています。医師、公務員、教職員のなかにもDV男性は存在します。また、そういう人の多くは、地域の中で「いい人」と思われているのです。DVは、男女の不平等な力関係から生まれます。日本においては、女性の経済的自立が、男性に比べてはるかに困難な上に、いわゆる性的役割分業(家事・育児は女の役割)が根強く残っており、夫から妻への暴力は大目に見られがちでした。DVは、直接的に暴力を受ける女性だけでなく、その子供たちにも深刻な影響を及ぼします。直接父親から暴力を振るわれなくても、母親に対する暴力を目の当たりにさせられること自体が、子供に対する暴力であるということを、私たちは認識しなければなりません(詳しくは、http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Icho/6614/dv.htmlを参照)。

(小泉劇場についての濫喩的分析の試み/「イルミナート、DV、小泉劇場」の意外な共通点)

  1776年、バイエルン大公国(バイエルン王国は1806年〜/現在はドイツ南部の州、ミュンヘンが中心地)のインゴルシュタット(Ingolstadt)大学教授ワインスハウプト(A. Weinshaupt/1748-1830)が中心となって、秘密結社「啓明(光明)結社/イルミナート又はイルミナーテンノルデン」(Illuminat又はIlluminatennorden/直訳すれば“北の光明”)が結成されました。初めの頃、イルミナートの性格はイエズス会を批判する学者集団でしたが、やがてイエズス会の攻撃を受けて地下に潜入して秘密結社化します。イルミナートは秘密結社・フリーメーソンと重なる部分もあり、ゲーテ、モーツアルトらもかかわりがあるとされています。 このイルミナートの理念的な部分を敢えて端的に纏めてみると次のようなことになります。なお、このイルミナートの秘密活動は現代も続いているとされています。

●我われこそが真の宗教であり、キリスト教のみならず凡ゆる宗教を破壊することを最終目的とする。
●この目的は手段を正当化できるので、賢人は「善」を実行するため悪人が「悪」を行う手段を使うべきだと考える。
●従って、イルミナートはキリスト教を破壊するために各国政府を転覆することになる。

  このイルミナートが結成された頃のドイツはシュトウルム・ウント・ドランク(Strum und Drang/疾風怒涛)の時代です。これは1760年代後半頃から1780年代の半ばにかけてドイツ中を駆け巡った文学運動ですが、その目的を一言で言うなら、それは人間の情熱や根源的な空想力などを重視する立場に立ちつつ“合理的世界観と形式的秩序(つまり、官僚制度による近代国家の建設)を重視する啓蒙主義に修正を迫ろうとする運動でした。また、この時代はフランス革命(1789)の直前であり、イルミナートの思想は大革命下のフランスに伝播してロベスピエールのジャコバン派(Jacobins)の思想形成を促したともされています。周知のとおり、ジャコバン派は過激な急進派で1793年から独裁体制を採り恐怖政治を行っています。ともかくも、このような時代背景なので、イルミナートとシュトルウム・ウント・ドランクがどこかで共振していると考えるのが自然だと思われます。ただ、シュトルウム・ウント・ドランクの方は、例えばゲーテの「感情移入論」で見られるように市民社会における人々の精神的な繋がりを重視する方向へ傾斜しており、反社会的な傾向は強く出ていません。

  S. フロイト(Sigmund Freud/1856-1939)の用語に「自我衝動」(自我本能)と「自我欲動」(性本能)がありますが、彼は生物学用語の「個体保存本能」と「種族保存本能」を援用して、前者を「自我衝動」に、後者を「自我欲動」に対応させています。そして、この両者の内面での葛藤が神経症をもたらす病因を生むと考えました。フロイトによれば、「自我欲動」(性本能)は快楽原則に従ってひたすら快感を求めるあまり、「現実」を無視して個体の安全を脅かすことになります。つまり、「自我欲動」(性本能)はエントロピーが増大する方向(死へ向かうベクトル)へ向かうことになります。一方、「自我衝動」(自我本能)は現実原則(摂食・排泄・知覚などを統制する本能的な作用)によって「自我欲動」(性本能)を抑圧するという訳です。

  また、フッサール(Edmund Husserl/1859-1938)の現象学に「間主観性」(自我共同体)という用語があります。人間は、自分が存在する意味を先ず自分自身の精神環境から自覚するようになるのだから、自己の存在自体こそが人間精神の初期発達段階における根源的な志向対象であるということになります。人間の2〜3歳頃の発達段階が、まさにこの段階であり、それは「鏡像段階」と呼ばれます。それは、丁度、鏡に映る自分の姿に強烈な関心が向けられる発達段階です。この最初の他者である自分の像に魅せられるあまり、精神環境がこの段階に固着してしまう場合があり、それがナルシスト的な性格となる訳です。いずれにしても、人間は幾分なりとも自分だけのナルシスティックな世界の住人であることは理解できるはずです。しかし、一方で我われにとっては万人に共通する自然世界や文化・経済・社会的な客観世界が存在することも自明であり、このような客観的世界(公的な世界)の共有意識こそが近・現代的な意味で我われの日常性(日常の生活)を支える「間主観性」です。

  一方、近代市民社会発展の歴史に目を向けると面白いことが分かります。世界で最初の市民革命でもあったとされる「オランダ独立戦争」(1568-1609)によって、中世自由都市の面影を残しながらもイギリスやフランスに先駆けて逸早く市民による活発な交易活動社会を実現した17世紀のオランダ(その黄金期は現代オランダの歴史学者、ヨハン・ホイジンガ(Johan Huizinga/1782-1945)によって『レンブラントの時代』と名づけられている)は、新興ブルジョワ階層(レヘント(Regent)と呼ばれる商人等を出自とする都市門閥貴族)を主体とする市民社会を創りあげていました。彼らは、その地の利と他国に先駆けて芽生えた「17世紀オランダ近代理性主義」(16世紀のエラスムスを源流とするグロティウス、スピノザなどの系譜)の知的遺産と欧州の十字路と呼ばれるマルチリンガルな個性的文化を十分に活かしながら、このネーデルラントの地で、現代的な意味合い近いグローバルな経済活動を展開していました。

  しかし、ほどなくして英仏両国から追撃を受けて彼らの黄金時代は終わります。なに故に「レンブラントの時代」は約100年足らずの短命で終焉を迎えることになったのでしょうか? その解を求めて地政学的条件や自然環境条件の変化など様々な方面からの研究が続けられていますが、未だ決定的な結論は見つかっていないようです。が、一つはっきりしていることがあります。それは、絶対王政時代の歴史的経験がない17世紀のオランダ共和国では近代官僚制の発達が不十分であったという事実です。他方、これを追撃した英仏両国は、それぞれの絶対王政時代を通して強大な近代官僚制を創り上げていました。このことから、その是非はともかくも、近代国家を効率的に経営する条件として効率的な官僚制度の整備ということは必要なことであったと考えられるのです。

  近代民主主義国家における官僚制度の役割は、ある国が持続的な経済発展を遂げながら、同時に国民(その持続的発展を支え続けるための貴重な労力提供者たち)の厚生を永遠に改善し続けるために、より効率的な国家経営の仕組みを経済社会及び市民社会へ絶えず提供し続けることです。その底流にあるのは近代合理主義思想と啓蒙思想を背景に絶えずソフィスティケイトされ発展し続けてきた「公」の役割に対する正当な理解です。その最も進んだ段階での概念が、「公」から「公共」へ発展したことを想定する、現代社会における「理想の効率的な官僚制度」です。従って、新自由主義者たちが呪文のように唱え続ける「小さい政府」、「官から民へ」のキャッチ・コピーは、あまりにも表層的に過ぎます。まるで、それは図体が大きく育ち過ぎた人間を生命がない剥製に見立てて、余分に成長した骨や贅肉を削り取りさえすれば効率的な人間に改造できると主張しているようなものです。

  実際の順序は逆であり、弱った骨や機能不全の臓器には補強と手当を施し、単に皮下脂肪がついて太くなっただけの腹の脂肪(無駄な公共)は取り除くというのが正しい処方であるはずです。相対的に考えて無意味な「小さな政府」ではなく、「公共のために役立つ効率的なモデラートな政府」を目指すべきなのです。従って、『小泉劇場』のように、郵政民営化で見かけ上の公務員の数を減らすという詐欺的な手法を採ったり、「特別会計制度」や「財務制度」(財務省管轄)に直接メスを入れずに「道路公団改革」や「独立行政法人化」のような看板の掛け変えで国民の目を誤魔化すような、見かけだけの“公の効率化”は邪道です。というより、このような手法で国民を誑かすのは犯罪的な行為だとさえ言えます。

  ところで、近代国家における「公」(または公共)には、もう一つの重要な役割があります。それは、既に述べたフッサールの「間主観性」にかかわる問題です。大雑把に言うと、およそ中世以前の社会では、フッサールの言う「間主観性」に近いという意味においてのことですが、万人に共通する自然世界や文化・経済・社会的な客観世界が存在するという意識はきわめて希薄でした。特に、国家の支配階級に属する人々を除けば、殆んどの人々は私的でナルシスティクな精神環境の住人でした。従って、この時代には近・現代的な意味での「公」の意識は希薄です。代わりに、そこで強く意識されたのは王や諸侯による支配権力への恐怖心故の服従であり、あるいは、キリスト教信仰故の神の世界の住人であるという意識でした。しかし、やがて絶対王政から啓蒙思想の時代へ向かう流れの中で起こる市民革命の時代を経て近代国民国家と市民社会の輪郭が浮かび上がるとともに、次第に新たな「公」の意識である「公共」が明瞭な形となってきたのです。

  18世紀ドイツに始まったイルミナートなどの秘密結社は、このような中世から近世への過渡期の人々の精神環境に密かに浸透して、恰も「公」の代替物のような役割を演じたと考えられます。しかも、特にイルミナートの思想は「公」や、その代替物である「キリスト教」に対する過激で強固な敵愾心が特徴です。このように過激で敵対的・破壊的な精神活動の根底にあるものは「暴力」を肯定する“特異な精神”(あるいは生物学・心理学的には闘争本能などの観点から合理的に理解できる精神)です。当然ながら、このような“特異な精神が現代社会にも満ち満ちていることは周知のとおりです。そして、その一部が、折に触れて精神病または犯罪のジャンルとして理解されています。

  ところで、近世初期以前ころまでの時代においては、いわゆる狂気と何か人的な領域を超えた超自然的な精神の事態との区別は明確なものではなかったようです。場合によって、そのような精神活動の表出は、何か得たいが知れない神聖な超自然的な現象として取り扱われることがありました。あるいは、イルミナティも、そのような境界領域の問題であったのかも知れません。いずれにしても、一つ言えることは、このような特異な精神作用の表出が「公」または「公共」に対する「過激なほどの敵愾心」の形で表出するということです。ここで、注目されるのが、その見かけ上のイメージは全く異なるものでありながらも、「イルミナート」と「DV」と「小泉劇場」の間に何か共通する異臭の雰囲気のようなものがあることです。

  それは、一種の圧迫感か恐怖感(心)のようなものを我われ過半を超える国民(今回の総選挙で政権与党が衆議院の議席数2/3以上となったことによって半数以上の国民が恐怖心を抱いたことは、各紙のアンケート調査の結果に出ているとおりです)が抱き始めたことに表れています。先ず、「イルミナート」と「DV」に共通するのは、その過激で破壊的なまでの暴力性であり、何らかの対象に対する強過ぎるほどの異様な敵愾心です。「小泉劇場」の印象は、恐らく受け手しだいでイロイロだと思います。しかし、少なくともそこに一貫して強烈な敵愾心が存在してきたことは多くの人々が認めるところではないでしょうか? それが「極めつきの悪役や抵抗勢力の演出」であったり、「趣味の悪い卑猥なパフォーマンスを見世物とする三文役者の如くケバケバしい刺客たちを送りつける対象」であったりという、まるでストーカーを思わせる執拗さと尋常ならざるエーテル(妖気)の放出に結びついているのです。また、そこには特に近代市民社会における「公共」に対する激しい敵愾心も感じられます。それが「参議院で否決されたことを口実に、その法案について国民の信を問うことを理由に衆議院を解散したこと」による「憲法違反」の強い疑いとなって表出しているのです。別に言えば、これは健全な「市民意識」(主権在民意識)に対する激しい嫌悪感の表明です。

(近年におけるマスメディア堕落の背景)

  当然のことながら「日本のマスメディアの退廃・堕落」は、小泉政権の4年間で急に始まったことではありません。ただ、『小泉劇場』ほどマスメディアと癒着し、一般国民を騙し続けるという意味で、その共犯関係を深めた政権はなかったようです。1997年にジャーナリスト岩瀬達哉氏が出版した本、『新聞が面白くない理由』(詳細、下記URL(★)参照)の試算によると、既にこの時点で巨額の経費(新聞1紙あたり、1年間で約5億円を超える経費)が「記者クラブ」という一種の官製談合組織を通して便宜供与されていることが分かります。また、「政官によるマスコミ接待」も行われているようです。この辺りには政治資金や官・公の機密費等の存在が不気味な深い影を落としています。

  また、近年は電通等広告会社のマスメディア(新聞、テレビ)に対する構造的な支配力が強まる一方であり、『小泉劇場』そのものが、この一種の複合化した「広告会社・マスメディア複合体」によって企画・演出されたものであることが浮かび上がってきています。その典型的な証拠が、今回の「郵政民営化法案」対策としてつくられた『竹中・B層ターゲット戦略』(http://www.asyura2.com/0505/senkyo11/msg/1186.html)です。当然、この酷い人権侵害的企画書の存在を問題視して取り上げたマスメディアは皆無に近かったようです。そのうえ、この「広告会社・マスメディア複合体」の背後には米国系保険会社等の触手が絡みついています。日本のマスメディアの堕落は底なし沼に嵌ったかのようです。(マスメディアの堕落についての詳細はBlog記事、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050907/p1を参照)
★「新聞が面白くない理由」、ジャーナリスト岩瀬達哉/97年
http://www5a.biglobe.ne.jp/~NKSUCKS/sinbunga.html
★講談社文庫『新聞が面白くない理由』(講談社文庫、初版1997年刊)
http://d.hatena.ne.jp/asin/4062732858

<補足>「ホラ」のキャチコピー類型による『小泉劇場』演出パターンの分類

(ホラ1)改革なくして成長なし、改革を止めるな
 → (実態)“改悪なくして成長なし、改悪を止めるな”が実相/改革の実績に見るべきものが殆んどなく、改悪が進んでいることだらけ!

(ホラ2)官から民へ、小さな政府の実現
  → (実態)現実に起こっていることは「政官の焼け太り」と「財政赤字の拡大」/これでは大きな政府の実現だ!/この(ホラ2)は「悪」を「善」だと言い張るようなもので、最も悪質なホラである。

(ホラ3)公務員削減を断行する! (特に郵政民営化による公務員26万人(関連歳出)削減)
 → 今でも自前の事業収益で人件費等を賄う郵政職員26万人を民営化しても、まったく歳出削減にはならない/数を減らしたという名目だけの典型的なインチキ政策だ! 一方、特集法人等の改革は放置したまま!

(ホラn)その他“人生イロイロ”など
→ (実態)その他のすべてが“誤魔化しイロイロ”で「小泉首相のホラ → ∞」(ホラが無限大に膨らみつつある! これでは日本版・ホラ男爵が誕生する?)が実態/これを一般国民が理解できるように正直に報じようとしないマスメディアは「小泉リフォーム詐欺劇場」の共犯だ!

<注記>より具体的な『小泉劇場』に関する「ホラ」の概要は下記Blog記事を参照してください。

●マスコミが報道しない“小泉劇場”の暗部(1/2)
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050907
●マスコミが報道しない“小泉劇場”の暗部(2/2)
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050910

(参考URL)

http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/

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