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小泉純一郎がムキ出しにする「任侠DNA」
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投稿者 黄昏時のパルチザン兵士 日時 2005 年 9 月 15 日 23:41:46: WCbjO5fYf.pMQ
 

腹心議員に明かした復讐宣言

「俺は心に刺青をした」


「郵政選挙」を終え、改めて痛感させられるのが「小泉純一郎」という政治家の喧嘩師≠ニしての胆力である。強引な衆院解散しかり、その後の刺客作戦しかりである。それはあたかも「刺青大臣」と言われた祖父のDNA≠受け継いでいるかのようだ。
作家・大下英治が敵と対峙して怯むことの無い「任侠宰相」の原点を抉る。


「政治は非情なものだねえ」
小泉純一郎が政権の最重要課題と位置付けた郵政民営化関連法案は、8月8日午後の参院本会議で採決された。
衆議院の郵政民営化特別委員会委員長の二階俊博には、小泉の性格からして、法案が否決されれば、衆議院を解散することは初めからわかっていたという。
だが、解散した後の亀井静香ら反対派のあの慌てぶりから推察するに、彼らは、そうは思っていなかったらしい。小泉は、総辞職するとでも思っていたようである。
二階は私に語った。「小泉純一郎という火薬庫のまわりで火遊びをしていたのだから、火が火薬庫に燃え移れば、爆発するのは当然のことだ。彼らは、小泉のことを、たかが畑に積んである麦藁くらいに思っていたのであろうか。
逆に言えば、反対派は、小泉の思うツボにはまったといえる。打つ気満々でバッタ―ボックスに立ち、甘い球なら思い切り叩こうと構えているところへ絶好のボ―ルを投げたようなものだ」
法案は、反対22票、棄権、欠席8人で否決された。
小泉は、ただちに衆議院を解散した。そして、衆院本会議で反対票を投じた37人を公認せず、対立候補を立てることを明言した。徹底的に殲滅すると言うのだ。ここまで残酷になれる総理大臣はかつてなかった。
二階は、8月10日、武部勤幹事長とともに首相官邸に小泉を訪ね、色々と指示を仰いだ。その時、小泉は言った。
「政治は非情なものだねえ・・・・・・」
また、「必要なところへは、どこへでも応援に出かける」と言い、裂帛の気迫と揺るぎない勝利への執念も感じたという。
小泉は、敵対する相手に、決して怯むことはない。絶えずチキンレ―スに挑んでいるような心構えでいる。最近の政治家の中で、小泉ほど度胸の据わった喧嘩上手はいない。
小泉のこのような特異な資質は、どこから来るのか。小泉は、政治家として三代目である。小泉の喧嘩上手は、初代である祖父・又次郎のDNAを受け継いでいると私は見ている。
小泉家は、代々とび職であった。やはりとび職を受け継いだ又次郎は、背、手首から足首にかけ全身に刺青を入れていた。若い頃は、横須賀の博徒らと抗争するなど、派手に暴れている。又次郎は、のち政治に目覚め、38歳のとき神奈川県会議員に出馬し当選する。その後、第4代市議会議長も務めた。又次郎はさらに、明治41年の総選挙で当選し、これ以後、昭和20年まで38年間、12回にわたって当選を続ける。

祖父の背中≠見て育った
大正9年2月11日、全国各地で一斉に普通選挙法の実現を目指す「普選大会」が開かれた。ところが日比谷音楽堂で開かれた大会では、デモ隊と警察官がもみ合いを始めた。警察官が演説の中止を命じたためである。警察官は、一喝した。
「徽章をつけている幹部以外は、全部この堂から出ろ!」
又次郎は、普選派代議士の目印である白バラを胸につけたまま、音楽堂に乱入した。
又次郎は怒鳴りまわった。「巡査横暴、横暴!」
さらに警察官たちの服務規程違反などを監視する立場にある監察官に、食ってかかった。
「民衆を追い出す以前に、まず巡査から追い出したまえ!そうでなければいつまでたってもこの騒擾は鎮静しない」
さらに興奮した又次郎は新聞記者を私服警官と見間違え、襟首をつかまえた。
「貴様たちが悪いんだ。制服もつけず」
ぶん殴った。この奮闘は、のちのちまで語り継がれた。
又次郎は、ついには郵政の前身である逓信大臣となり、「刺青大臣」と呼ばれる。
幼い純一郎には、又次郎の刺青が不思議でならなかった。又次郎と一緒に風呂に入り、禿げ上がった又次郎の額を、ぺたぺたとたたいた。「まわれ、右!」彫り物を見せろというのである。又次郎の背中には、雲が漂い、桜の花が一面に咲き乱れるなかを、天に向かって勢いよく舞い登っている勇壮な竜が彫られていた。純一郎は、又次郎の背中の刺青をタオルで懸命にこすり続けた。が、いくらこすっても模様が落ちない。首を傾げたという。又次郎は、刺青のせいで、外に出かけるときはどんなに暑くても長袖のシャツを着て出かけた。又次郎は、純一郎の父純也の甥である井科克己に、こう漏らしている。
「一番困ったのは、大臣になったとき、天皇陛下が、この刺青を見せてほしいとおっしゃられたときだ。『どうかご勘弁ください。陛下にご覧に入れるものではありません』と、ご辞退させていただいた」
そして続けた。
「よく彫り物を粋がって見せる人もいるが、こんなもの見せるもんじゃない。入れるもんでもないぞ」

恨みを晴らすときが来た
小泉の師・福田赳夫と田中角栄の、凄まじい角福戦争を目の当たりに見続けた小泉は、田中派の流れを汲む竹下派への敵愾心を燃やしていく。
平成3年8月、同じ7回生の渡辺派の山崎拓、宮沢派の加藤紘一、安倍派の小泉の3人が、竹下派によって担がれ操られている海部俊樹総理の続投阻止に動く。この3人の頭文字を取って、マスコミは「YKK」と名付けた。
小泉はYKKの中では、最も早く総裁選に出馬した。小泉は平成10年7月の総裁選にも2度目の挑戦をした。小渕派の小渕恵三、総裁選出馬のためあえて小渕派を出た梶山静六、三塚派の小泉の三つ巴の戦いであった。
7月24日午後2時、自民党本部8階の大ホ―ル。両院議員総会で総裁選の投票が行われた。午後3時12分、選挙管理委員長の谷川和穂が、候補者の受け付け順に投票結果を読み上げた。
「梶山静六君、102票!」
戦前の予想では、派閥の支援なく出馬した梶山が、3人のうちもっとも厳しいとされていた。それにもかかわらず3桁の100票を超えたのである。谷川は続けた。
「小泉純一郎君、84票」
なんと小泉は、梶山に20票近くも差をつけられていた。その瞬間、大ホ―ルは静まり返った。あまりの少なさに、拍手も起こらない。100票を大きく下回り、三塚派の基礎票87票にも届いていないのだ。小泉陣営の森喜朗は、愕然とした。
(84票だって・・・・。やっぱり、亀井グル―プの票が梶山さんに流れたんだな)
この票数では、二度と総裁選に挑戦できないと見られても仕方ない。
小泉は、あまりにも惨め過ぎる敗北直後、親しい議員に漏らした。
「俺は、心に刺青を入れたよ・・・・・」
こういう言葉は、普通の政治家は発しない。又次郎が、全身に刺青を彫りこんでいたことも関わりがあろう。小泉は、この敗北を機に、心に刺青をしたという。おそらく、小泉は、こういう票数で総裁への道は完全に絶たれたであろうと見る政界の常識を覆し、必ず総理になってみせると誓ったに違いない。同時に、同じ派閥に属しながら、屈辱を味あわせてくれた亀井静香や平沼赳夫ら亀井一派への復讐を誓ったのであろう。
今回郵政反対派の急先鋒であった亀井や平沼は、おそらく小泉を総辞職に追い込めるとタカをくくっていたかもしれない。が、小泉にとってみれば、(亀井ら、よくも今回も俺を殺しに来たな・・・・・)今度こそ、2度目の総裁選のとき、心に刺青を入れたとまで漏らした恨みを晴らすときが来たと思ったに違いない・・・・・。

「僕は感情を表に出さない」
小泉が非情さを見せたのは、いわゆる「加藤の乱」においてである。
平成12年11月9日の午後6時から、「山里会」が始まった。読売新聞社社長の渡邊恒雄と政治評論家らが毎月1回、ホテルオ―クラ本館5階にある日本料理店「山里」にゲストを呼んで会食するところから「山里会」と呼ばれている。
YKKの仲間である加藤紘一は、年末の人事について話が及ぶと、酔いも手伝って高ぶった口調で言いきった。
「森さんの手で、内閣改造はやらせない」
一瞬、座は凍りついたという。
森喜朗は、平成12年4月1日に小渕首相が倒れると、密室で後継総裁に選ばれていた。加藤は続けた。
「来年7月の参議院選は、森さんだけでは戦えない。森さんの手でやれば、惨敗だろう」
遂には踏み込んだ発言をした。
「野党の不信任案に対する態度は、まだ決まっていない」
翌日10日、参院本会議が行われた。その時森派の会長であった小泉は、政調会長の亀井を呼び止めた。
「亀ちゃん、ちょっと、ちょっと。話があるんだ」
「なんだ、いったい」
前夜「山里会」に出席していた政治評論家から加藤発言を知らされていた小泉は、声をひそめた。
「さっき加藤さんに確認したら、内閣不信任決議案に本気で賛成するつもりでいる」
亀井はびっくりした。
「え―ッ!本気なのか」
「本気だ」
「それはえらいことだ」
一種のク―デタ―である。
加藤は、これまで山崎拓と倒閣運動について相談していた。が、YKKの仲間である小泉には声をかけなかった。小泉は、森派の会長だ。森を守る立場にいる。声をかけても無駄だろうという判断であった。が、小泉が、加藤の発言をこのようにいち早く触れ回ったため、党内は蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。
森派の高市早苗も、この小泉の動きに首をひねった。
(小泉先生は、何で言いふらしているのかなあ)
高市は、小泉に会い訊いた。
「何で言いふらしているんですか。友人の加藤さんが困るんじゃないですか」
小泉は答えた。
「いや、このことは新聞記者の方が先に知っていたんだよ。知っているから俺は言っているんだ」
しかし、新聞記者が知っているという事実と、小泉が周囲に語ることは、意味合いが大きく違う。記者は、担当の国会議員と信頼関係で結ばれている。噂になっても、確認を取らなければ記事にはできない。だが、小泉は、テレビカメラの前で堂々と、加藤が野党の提出する不信任案に賛成する可能性があると口にしたことを語った。テレビニュ―スで報じられあっという間に世間に広まった。
高市は、のちに思う。
(小泉先生は、したたかだ。加藤先生は本気だと確信し、森首相を守るために早めにリ―クした。そうすることで、加藤先生を潰す態勢を作るための時間ができる。その判断は、正しかった。加藤先生が根回しを終えた後、内閣不信任案の採決2日前くらいにバンと倒閣を打ち上げていたら、主流派は負けていたかもしれない、小泉先生は、そこまで読んで公にしたに違いない)
小泉は、このとき、まわりの議員に言った。
「これから政策の小泉から、政局の小泉になる」
結局、小泉の狙い通り、加藤と山崎は腰が引け、両派は本会議を全員欠席した。
小泉が、もしYKKの友情に比重を置いていれば、率先してまで動きはしなかったろう。小泉は喧嘩のツボを心得ていた。
小泉は慶応大学の同級生の中島幸雄に、よく言っていた。
「僕は、感情を表に出さない訓練をしているんだ。政治家というのは、そうあるべきなんだ。喜怒哀楽を出さないようにしている」
小泉は、オペラや歌舞伎を愛し、確かにロマンチックな一面を持っている。が、政治の修羅場において、加藤のように冷静さを失うことはない。「刺青の又さん」譲りの修羅場に強いDNA≠ェ、度胸を据わらせ、冷静さを保ち続ける。
小泉の「非情」な一面である。

大下英治

週刊アサヒ芸能  05 9 22

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