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http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/file120.htm
衆議院総選挙の結果に思うこと(2005年9月13日記)
事前の大方の世論調査に基づく予想どおり、いやおそらくその予想をも超えて、自民党が大勝した。小泉政権の4年余に及ぶ政治のすべてにわたって不合格と判断している私にとって、この結果に対してはおよそ納得しがたい。しかも、郵政一本槍で選挙戦を戦い、他の重要な政策案件についてはすべて論戦を回避した上での結果であるにもかかわらず、自民党政治がこれから4年間他の問題に関しても好き勝手なことをやる気持ちでいるのであれば(9月12日のNHKの政党討論会では、自民党の武部幹事長は正にその方向を臆面もなく打ち出した)、これまた到底承服できない気持ちでいっぱいである。
しかし、愚痴をこぼしているばかりでは仕方がない。私たちが考えなければならないのは、これからの日本政治がこれ以上悪い方向に向かってばく進するのを防ぐために果たして手だて・手がかりがあるのか、その点で今回の総選挙から学ぶことはないのか、ということでなければならないと思う。とにかく「諦めたらおしまい」なのだから、敗北感に浸っている暇はない。なんとしてでも突破口を切り開くための可能性を探ることに全力を傾けなければならない。
1.共産党と社民党の健闘が意味すること
改憲阻止を正面から掲げ、生活弱者を切り捨てる保守政治に対する批判を前面に押し出した共産党が現有勢力(9議席)を維持したことは、2大政党の争点隠しにもかかわらず、改憲問題及び生活問題が日本政治の重要な課題であることを確認させたという意味で、非常に重要な意義があると思う(比例での得票数490万強は全体の7.3%であり、決して少なくない数字である)。願わくば1議席でも2議席でも増やしていたならば、このポイントはもっと鮮明に国民に印象づけられたと思うが、過去の選挙で後退を続けてきた共産党の実績をふまえれば、現有勢力を確保したことの意義は決して小さいものではない。
共産党は、今回の総選挙で始めて「確かな野党が必要」というスローガンを打ち出した。率直に言って、私はこれまでの野党共闘を重視する共産党の行動は、実際には野党共闘への埋没と共産党らしさの喪失という結果を招いてきた(別の言い方をすれば、民主党にいいように利用されてきた)と常々考えてきた。そういう私から言わせれば、「確かな野党が必要」の立場を鮮明に打ち出したのはむしろ遅すぎた、というのが正直な気持ちである。しかし、これからの共産党が実際の行動において「確かな野党」としての行動を心がけるのであれば、保守政治の悪政に対する批判を高める国民世論の確かな受け皿となることは十分期待できると思う(その点で、9月12日のNHKの政党討論会で共産党の志位委員長が条件も付けずに野党共闘の推進を呼びかけたのは、私には唐突に響いたし、違和感を覚えざるを得なかった)。
護憲を正面に掲げて戦った社民党は、現有勢力を1議席伸ばした。共産党以上にじり貧傾向にあっただけに、この結果は健闘と言っていい(比例の得票数は370万強であり、前回より約70万票の上積みだった)。社会党以来の伝統である「護憲」を正面に据えて戦えば、社民党も良心的な有権者の支持を得ることができることを示した、と判断できる。社民党にとっては、党の存在理由を遅まきながら確認できたということでもあり、今後は揺るぎなくこの方向を邁進することが求められる。
確かに両党あわせてもわずか16議席である。改憲勢力が国会の2/3を大幅に越える勢力を確保した現実の前には、あまりにも貧弱な数であることは認めざるを得ない。郵政関連法案が「処理」された後には、国民投票法案がいずれ審議され、可決されるだろう。自民党が新憲法草案を11月に公表(自民党のマニフェストでも公言していた!)するのをきっかけに、憲法問題は否応なしに国民に突きつけられることになるだろう。状況は厳しい。
そういう厳しい情勢を認めた上でなお強調したいのは、憲法問題を争点として戦った共産党と社民党の獲得議席の重みである。また、両党を併せた比例での得票は860万票を越え、得票率は12.8%となって、国民の10人に1人以上が支持した。それは、自公と民主が憲法の争点隠しを図ったにもかかわらず、これに対して明確な異議申し立てを行う国民がこれだけの数もいたということを意味している。改憲勢力が逃げ隠れせずに憲法問題を争点にすることに応じていたならば、状況はさらに変わっていたに違いない。だから、私たちとしては、小選挙区制のもとでの結果だけを見て落胆するのではなく、むしろ潜在的可能性に着目しようではないか、と私はあえて言いたい。
2.平和憲法を活かしきる国民的な運動を作り上げる可能性と条件
しかし、今回の総選挙における社民党の行動には素直に納得できないものがある。それは、改憲を公然と標榜する民主党との選挙協力が20以上の小選挙区で行われた事実である。護憲を声高に叫びながら、選挙に勝つためには改憲勢力と手を組むことを厭わないというのでは、その真意はどこにあるのか、と疑われてもやむを得まい。より根本的には、社民党は村山政権時代に平和憲法とは根本的に相容れない日米安保を肯定するという路線転換を行ったわけだが、その点について社民党は黙して語らない、という重大な問題を抱えていることを指摘しないわけにはいかない。
日米軍事同盟の現実は、ブッシュ政権の先制攻撃戦略のもとで、すでに日米安保条約の枠組みを遙かに乗り越えた侵略的・攻撃的性格を強めているが、同条約が変質強化された日米軍事同盟の法的基礎と位置づけられていることも引き続き事実である。つまり、日米安保条約を否定するか肯定するかは、憲法第9条の平和主義(「力によらない」平和観)をよって立つ基盤とするか、それとも憲法第9条を完全に否定する立場(「力による」平和観)に立つのかの分水嶺なのだ。社民党がこの点を曖昧にしたまま「第9条を守る」といくら強調しても説得力はない。
私は、日本がアメリカとの軍事同盟をきっぱり解消し、第9条を中心とする平和憲法を活かしきることが、一人日本の平和と繁栄のためのみならず、アジア・太平洋ひいては国際の平和と安定に寄与する上で最も有効であると確信している。その確信を日本の基本政策とすることを実現する状況を作り出すためには、共産党と社民党が共闘することによって、平和憲法を活かしきる国民的なエネルギーを糾合する上での中軸となることが不可欠であると考える。しかし社共共闘を現実の可能性に変えるためには、何よりも先ず、社民党が日米軍事同盟に対する基本姿勢を明確にする(具体的には、村山政権時代の路線転換の誤りを承認し、日米安保体制を否定する立場に戻る)ことによって、共産党との共闘の障害を取り除くことが大前提になる。社民党には一大決心を求めたい。そうしてのみ、また、そうすることによって、社共共闘は可能になると確信する。
すでに「9条の会」が全国に網の目のように張り巡らされる状況が作られつつある。こうした国民の自発的な運動エネルギーが巨大な政治力として日本の進路を左右できるようになるためには、共産党と社民党が共闘体制を組んでこの運動エネルギーの組織的担い手となることが不可欠である。要するに、社共共闘体制が実現すれば、憲法改悪阻止の展望は大きく広がるのである。「小異は残して大同に就く」。これこそが、平和憲法を活かしきる闘いを勝利に導くための可能性と条件であることを強調したい。
3.自民党の「大勝利」はその弱点をも露わにしたこと
小泉首相の「劇場型政治」の手法は、確かに今回成功した。しかし、伝統的な自民党の支持基盤(地盤、看板、鞄)を無視し、破壊したその手法は、自民党の存立を大きく浮動票に依存させることになった。今回の総選挙で大きく損なわれた伝統的な支持基盤はもはや失われたということだ。ということは、移ろいやすい民意によって自民党の今後の命運も大きく左右されることを意味する。分かりやすくいえば、今回民主党を襲った「民意の離反」は、民意が少し動きさえすれば、次回は自民党を襲う可能性が十分あるということだ。ちなみに「民意の離反」といったが、民主党の小選挙区での得票数は300万票あまり増えており(得票率は0.3ポイントの微減)、比例での得票数は100万票弱減少した(得票率は6.4ポイント減)にすぎないのであって、この結果的大敗は小選挙区制度によるものであることは留意するべきだろう。
確かに今回の総選挙では、「民意」は小泉首相の「分かりやすさ」を選択した結果になった。しかし、得票数を子細に見れば、この大勝利も優れて小選挙区制度の「いたずら」による面が大きいことを示している。すなわち、自民党の得票数は、比例で前回より520万増えたことは確かに見逃せない事実であるが、得票率では前回より+3.2ポイントにすぎない。小選挙区での得票は650万増えたが、得票率では前回より+4ポイントに留まる。自民党の武部幹事長も、民意に応えないような政治をやれば自民党に対する支持は失われる、と問題の所在を自覚した発言をしている。
「自民党をぶっ壊す」小泉政治は、客観的にいって、戦後の長期にわたった保守政治に対する幕引きを可能にする基礎的条件を作り出した可能性がある。嘘に塗り固められた小泉政治の手法が、「分かりやすさ」だけで広範な国民の支持を何時までもつなぎ止めることができる、と考える方がおかしい。私は、今後の日本政治を考える上で、自民党の伝統的支持基盤の崩壊が持つ意味は非常に大きいと予感している。
4.自己責任における主体的意思決定能力を備えた国民が多数を占めることへの期待
率直に言って、私は9月11日の選挙開票状況を伝えるテレビのスイッチを早々と切ってしまった。自民党大勝利を生み出した国民の投票行動にも正直腹が立っていたからである。しかし、上記1〜3のことを冷静に考えているうちに、「世の中そう悲観したものでもない」と思い直し始めた。
確かに今回の総選挙では、投票した国民の一定部分が深い考えもないままに、小泉首相の「分かりやすさ」「劇場型政治」手法に乗せられて動いたために、小選挙区制度のもとならではの結果を導いてしまった。しかし、それは「乗せられた」だけなのであって、自民党との一体感といった類のこととは無縁である。今回の結果をもたらした有権者は「自民党に期待を持つから投票した」のでは必ずしもない、ということだ。
丸山真男はかつて、自由について論じたときに、「ほしいままにすること」が自由の意味ではなく、「自己責任における主体的意思決定能力」こそが理性的人間にとっての自由ということの意味だ、という趣旨のことを述べたことがある。私はこの丸山の指摘に同感するとともに、日本において民主主義(デモクラシー)が真の意味で成り立つのは、日本人がこの意味においての自由を我がものにしたときに始めて可能になると考えている。
今回の総選挙で投票した多くの国民がとった行動は、率直に言って、後先のことを深く考えない「ほしいままにすること」としての「自由」な意思表示だったのであろう。しかし、「確かな野党」に徹することを心がける共産党と、日米軍事同盟と平和憲法との間の深刻な自己矛盾を清算する社民党が愚直に、誠意を持って国民に対して真実を語り続け、保守政治の「改革」なるものが人間の尊厳を無視し、おとしめることにその本質があることを明らかにする努力を惜しまないのであれば、いずれ遠からず、国民の多くがその努力に応え、「自己責任における主体的意思決定能力」を我がものにすることを期待することができるのではないだろうか。それほどに戦後保守政治とりわけ小泉政治の4年間は弱肉強食の本質を露わにしている。私としては、国民の可能性を信じて、これからもとにかく諦めないで牛歩の歩みを続けるしかないと思い極めている。
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