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(回答先: 【日本よ】石原慎太郎「私はA級戦犯の合祀には異議がある。」−産経新聞の連載より 投稿者 霧島夏樹 日時 2005 年 9 月 26 日 00:04:51)
こんにちは。
東條元首相の評価については置くとしても、このコラムには事実誤認があります。「天皇陛下、是非靖国ご参拝を」と言っている石原都知事が、靖国神社について事実と異なる事をメディアで公言するのはいかがなものかと思います。以下は東条元首相の孫、東條由布子さんの反論です。
「貴方の『大西中将、阿南大将が靖国神社に合祀されていないとは知らなかった、靖国神社は考えなければならない』という貴方の感想を読んで危機感を覚えました。新聞はこんなに大きな影響を及ぼすのですから、何かを書く場合、話す場合、よほど精査してかからないといけませんね。
お二人とも早くから合祀されております。遊就館の中で、阿南閣下の血染めの遺書が一番目立つ遺品ですから、石原さんは、ただの一度も、新・旧の遊就館に行かれていない証拠になります。真実を貴方にもお教えしたく思います。
『MPが来たので慌てて陰に隠れて、死ねるはずもない22口径の拳銃で撃った』とまことしやかに書いておりますが、そのいきさつは、様々な書物を読めば判ることです。私の本にも書いてありますので、是非読んでくださいませ。
念のために書き添えます。東條と日本政府の間には、日本政府が逮捕にくるという誓約がなされていたのです。何故なら、大東亜戦争は国際法には違反していない自衛戦争だったと言う確固とした大義が日本にはありましたから。従って、「連合軍が逮捕に来た場合には自決する」と祖母にも、お手伝いさんにも護衛の巡査にも宣言していました。
60年前の9月11日,くしくも投票日の今日です。逮捕に来た連合軍が持っていた令状は日本政府のものでは無かったのです。東條は打ち合わせ通り、皆で手分けして家中の鍵を締め祖母を裏庭から逃しました。
自決を成功させるため、連合軍が入ってくるまでの時間稼ぎに応接間にはバリケードを造り、かねてから机の上に用意していた拳銃で撃ったのです。
恐らく利き手の左手で撃ったのでしょう。
決して、石原さんが言っているように慌てふためいて陰に隠れて撃ったわけでもなく覚悟の自決だったのです。それから、3年3ヶ月、東條は日本国の弁護のために、散って逝った多くの部下たちの名誉のために、命をかけて法廷で戦いました。
その間、自決未遂については、様々に嘲笑され、軽蔑されようとも、一言も弁解はしませんでした。そして、処刑の5分前に東條は花山教戒師に『自決に使用したのは古賀の拳銃だったことを妻に伝えて欲しい」と頼みます。
何故なら、昭和20年8月15日に、自決した娘婿の古賀の死を悼み、自決することになったなら、古賀の拳銃を使用することを心に決めていたのでしょう(引用者注:ちなみにこの拳銃は32mm口径だったということです)。
しかし、軍人として、戦争指導者として、自決未遂だったのは、「初めて使用した拳銃だった、或いは銃身が長く重かった」など口が裂けても言えないことだったのです。
死に赴く5分前に祖父はこの世で最初で最後の弁解をしたのです。当時の医学では救命は不可能といわれるほどの出血多量で瀕死の状態にあった祖父に、米軍は応接間で最高の応急処置を施し大森の軍の病院に入れたのです。
『東條が握っていた死ねる筈も無い22口径を見てMPが失笑していた。』
などと、石原慎太郎さんは冷たく書き放し、佐々淳行さんも
『軍人のくせに未遂するような、だらしない東條は靖国神社から分祀せよ。』
などと書いておられますが、余りにも冷酷無比ではないでしょうか。
国家、国民に対して、開戦及び敗戦の重責を詫び、死をもって償おうとする日本の首相に向かって、これほどの侮辱に満ちた言葉はないでしょう。
東條の心情を思うと、一人の人間として、日本民族の一人として、石原さん、佐々さんの言動を許すことが出来ません。
真実を知って欲しくて長いメールをしました。どこに転送していただいてもかまいません.
九月十一日 東條由布子」
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/
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