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(回答先: 雨のち晴れは出口調査に最悪の日? (歌田明弘の『地球村の事件簿』) 投稿者 外野 日時 2005 年 9 月 24 日 22:39:22)
情報紙「ストレイ・ドッグ」(山岡俊介取材メモ)
http://straydog.way-nifty.com/yamaokashunsuke/2005/09/post_60e8_1.html
2005.09.24
「NYから眺めたフジヤマ」byマイク・アキオステリス(日本通米国ジャーナリスト)(38) 「イケメン」と「美女」の国
「自民党をぶっ潰す」で始まった衆院選は、自民党の圧勝で幕を閉じた。一方、「日本をあきらめない」と、勇ましい掛け声で挑んだ民主党は惨敗、岡田党首などは“忘れ去られた人”となってしまった。選挙は結果がすべて、小泉大将の強引なやり方に首を傾げていたマスコミも、選挙戦がおわった途端にこぞって、小泉チルドレンたちに照準を合わせている。“26歳センセイ”のトンチンカンな発言、不倫メールで“女をあげた”マドンナ・センセイのお色気、ピンクのスーツで登院した“ピエロ・センセイ”など、劇場型選挙戦に劣らない“おもろい場面”を繰り出している。そんな中、お通夜の雰囲気も薄らいできた民主党は17日、東京都内のホテルで両院議員総会を開き、民主党所属国会議員192人が、代表戦の無記名投票を行った。その結果、前原氏が2票差で新代表に選出された。新代表に選ばれた前原氏は、「国民の信頼を取り戻し、民主主義を機能させるため全身全霊で政治生命を賭けて挙党一致で臨みたい」と決意を語った。民主党のことを忘れていたかにみえたマスコミもさっそく、若き新党首に焦点を合わせ始めた。ところが、その取り上げ方がなんとも、ふざけている。ある大手新聞(インターネット版)は、前原氏が新党首に選出されたことを報じる第一報にて、「民主党の新党首は『イケメン』」との見出しを付けていた。民主党の新党首が男前かどうかは、井戸端会議での「雑談レベル」。大新聞が見出しに付ける言葉ではない。この見出しを付けた記者は多分、新党首としての資質や能力よりも、男前かどうかの方がより、重要なポイントだったのだろう。週刊誌に至っては「前原新党首の夫人は民主党一の美人妻」と、夫人の「美人度」に照準を合わせている。片山さつきセンセイは元ミス東大だの、小池百合子センセイの足が美しいだのと、マスコミはセンセイ方の容姿に関心が注いでいる。ならば、日本で政治家になるにはまず、人格や信念より容姿…、いや、政治家だけではない。日本社会では「イケメン」や「美人」が紋章のようになっている。実際、中身のない人間でも容姿さえ整っていればそれだけで、騒がれる。そればかりか、日本のマスコミは凶悪事件の被害者までも、「美人OL殺害される」、「美人女学生拉致される」などと、美人という言葉をやたらと掲げる。美男・美女の印象は個人的なもの。容姿に拘る視点は「脚色」であり「形容」である。一記者の先入観だけで「イケメン」「美女」と配するのは一種の、差別的視点である。報道とは事実、真実に目を向け、その裏づけとなる真相を追求していくもの。これらはジャーナリズムとしての基礎知識、記者の遵守事項であるはずだ。今回の選挙を「劇場型」にしたのはその実、マスコミである。日本のマスコミは真面目な視点で取り上げなければならない問題をも「おみしろいアングル」で迫り、有権者受けする話題だけを掻い摘んで報じているようだ。その結果、国民たちはマスコミに飼いならされ、何が真実で、何が実態かさえわからなくなっている。日本のマスコミにとっての選挙とは、日本の将来を計る舞台ではなく、国家公認の一大エンターテイメント、なのである。報道とバラエティーの境界がなくなっていく社会…、そこでは、「おもしろければ何でもいい」との意識だけが渦巻いている。このことに気付かない輩たちがジャーナリストとして跋扈している間、日本のマスコミは世界から、「幼児扱い」なのである。
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