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21日の東京新聞朝刊に、森派議員のパーティーでの森喜朗前首相の挨拶の一部が引用されていた。それによると、《「歳費がこれだけもらえてよかったとか、宿舎がこんなに立派でよかったとか、こんな愚かな議員がいっぱいいる。名前だけ入れといて(選挙運動をせず)当選した人もいる。内心じくじたる思いだ」と述べ、一部の新人議員の言動に不快感を示した》また《森氏は「こういうばかなことをやっていると、国民からしっぺ返しがくるような気がしてならない」と指摘した》という。
森喜朗にしては珍しくまともな言葉だが、「愚かな議員」は一部議員だけではないだろう。いよいよ自民党は、人生の苦労を知らない「お坊ちゃん議員」や「親の七光り議員」だらけになったのだ。男性の女性化とか大人の幼児化現象が指摘されて久しいが、とうとう政界まで幼児化したのだ。人生も世の中も知らず、政治さえ知らず、恐らく政治を就職口としか考えない彼らは、従って個性もなく、ただの陣笠、つまりトップの意のままに動く数合わせのロボットに過ぎない。今回の自民党の大勝は、実はマスゴミが囃したマニフェスト論争などとはまったく無縁で、一言で言えば小泉に対する「個人崇拝」のなせる業だったのである。タレントなどへの人気投票と同じだ。その小泉一派にとっては、ロボットの数さえ揃えばよいわけだから、数の力で米国寄りの法案を次々に通し、ブッシュ様に奉仕すればよいのだから、森喜朗の懸念などはどうでもよいことに違いない。
一方の民主党も、勤勉を最大価値とする松下幸之助を尊敬し、妻と外食をすることを趣味とする若いプチブル党首の下で何ができるのか。真のブルジョワジー(成熟した市民)なら望みはあるが、プチブルはいけない。無能で無為無策の代名詞だからだ。彼を支持した「だら幹」民社党系には、過去、政治運動にしても労働運動にしても、いかなる実績もなく、議員職にぶら下がっているだけの、これも数合わせに過ぎない。どちらを向いても空恐ろしい風景である。
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