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浅井久仁臣 グラフィティ
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私の視点 小泉マジックの種明かし
Weblog / 2005-09-09 01:15:51
【前口上】:
「小泉ノブナガ」は投票日を目前にしても「郵政民営化」の旗だけを愚直に振り続ける。それを見て国民は、一時期小泉首相を見放したかと思われた人たちも、「そこまで小泉さんが言うのだからもう一度賭けてみよう」と、その旗の下に再び集まっている。これはやはり、「先手必勝」の戦法が効を奏したものと思われる。小泉さんは郵政法案を発表して国会審議を経てその法案が否決されて国会を解散して選挙戦が終盤を迎えた今日まで、「郵政民営化なくして構造改革なし」と言い続けた訳だが、それはその間、マスコミを通して国民の耳に届けられ続け、一種の洗脳状態が生まれたと思われる。マスコミの伝え方は政局だけではまずいと、公示日を境にして、年金や外交に目を向けるべきだと変わってきたが時既に遅し、国民の多くの心には「小泉さんは改革の旗手」と刻み込まれてしまった。これは恐らく後年、学者によって「巧みなマスコミ操縦術」の典型として歴史に刻まれることだろう。
郵政改革が果たして小泉さんの言うように、日本全体の構造改革につながるものなのか、またそれを行なうために計画されたものなのか。かねてより「小泉マジック」を苦々しく思ってきた私は、選挙を前にして郵政改革の本質に迫ってみた。
【本題】
ひと昔を10年とすれば、ふた昔前のことになる。郵便局の定期預金である定額貯金に「干支がひと回り」する期間預けておけば、当時の高利と複利で元本は2倍になったものだ。田舎などでは、郵便局員が自宅まで御用聞きに来てくれるから住民はこぞって郵貯に財産を託していた。「ついでにどうですか」と誘い水を向けられる簡保もほぼセット状態であった。
この郵便局こそが、今話題になっている特定郵便局だ。特定郵便局は昭和16年(1941年)に3等郵便局の呼称を変えて誕生したもので、やがて戦争のための軍費調達のために貯金吸収ネットワークへと変貌していった。
郵便局と言うと、身近にある郵便業務から貯金・簡保まで扱うものを想像される方が多いが、それら「普通郵便局」は全国に約24,700ある郵便局の内、約5%の1,300ほどである。残りの多くは、郵便配達業務を行わない特定郵便局(少数だが集配を扱うものもある)なのだ。特定郵便局の局長は、私費を投じて国家奉仕のために局舎を提供し、代々その地域に居住し、転勤しないことを原則としている。いわゆる世襲制だ。だから必然、経済的に余裕のある地元の実力者が局長になってきた。そして、戦時中は戦費調達に、戦後は与党のための「票集め」に奔走してきた。
それだけに政界においても「全国特定郵便局長会(全特)」は大きな発言力を得ていた。永田町に送り込んだ議員をあごで使って利益誘導してきた。だが、「驕る平家は久しからず」の喩えどおり、いつまでも全特の天下は続かなかった。郵貯は目の上のたんこぶと捉える銀行・生保業界と米財界が大蔵省(現財務省)を軸に結束し、生き残りを掛けた戦いを仕掛けてきたのだ。
銀行業界から郵貯つぶしに向けて何人かの刺客が送られた。その一人が誰あろう、小泉純一郎氏である。小泉氏はマイクを向けられて不用意に、「郵政改革は20年前から取り組み始めたテーマだ」という内容の発言をしているが、なんのことはない、自分が今流行りの“刺客”の一人と言っているようなものだ。
このあたりの流れを毎日の玉置和弘記者が自らのコラム「酸いも辛いも」で紹介している。
「当時ロンドンに銀行業界の団体(全銀協)による郵政視察団がやってきたのである。キッカケは加藤寛前税調会長が書いた『郵貯解体論』だった。郵便の祖国である英国に郵政の実態を調査にきたのだが、この国には郵便貯金はほとんど無いに等しかったのだった。ちょうどそのころ大蔵政務次官だった小泉純一郎首相が郵政に関心を持ったとある。『郵貯批判』元年は1980年だったのだ。何故そのころ『郵貯批判』が高まったのか。60年代半ばから銀行の預金シェアが郵貯の伸びに食われて減少が目立つようになった。郵便局はピークで年間740店も増えたが、銀行は大蔵省の認可でしか増やさなかったから店舗で後れをとったことも一因だ。一方で出口である財投改革論も出始めていた。金融の自由化・国際化は日本の金融を大きく飛躍させるステージに入っていたのである」
玉置氏は「毎日に玉置あり」とされる経済記者で今は「酸いも辛いも」で鋭い視点を披露している。このコラムの結論は、私の考えとは異なるが、傾聴に値する意見であることは間違いない。
また、小泉氏の「私怨」も見逃せない。以前、小泉氏の地元横須賀の経済団体に呼ばれて講演をしたことがある。講演会の後の懇親会で出てきた話が小泉さんの“落選悲話”だった。
「いつかは必ず純ちゃんを首相に!」といきまく後援者に参加者の一人が言った。
「あんな昔のことに根を持って全特(全国特定郵便局長会)を敵に回しているようじゃダメさ」
1969年、急死した父親、純也氏の地盤を受け継いで初めて衆院選挙に立候補した純一郎氏に地元の特定郵便局が揃って「ノー」を突きつけたとのことだ。「集票マシーン」と異名を取る特定郵便局が対立候補である新自由クラブの田川誠一氏をかついだため、あえなく落選してしまったという。それ以来、小泉氏の「私怨」は解かれていないとその時聞いた。これは地元では相当有名な話とのことだった。
3年後に初当選を果たした小泉氏は、大蔵政務次官、衆議院大蔵委員長、厚生大臣、郵政大臣などを歴任した。その間、“ライフワーク”である郵政改革にまい進して分離課税案、郵貯非課税の廃止、老人マル優の限度額の引き上げ反対など「外堀」を着々と埋めていった。
一方で銀行や生保から多額の選挙献金を受け、ヤマトの労働組合などの郵政反対勢力から選挙での人的支援も受けてきた。
1992年、大蔵族で知られる宮澤喜一首相の下で郵政大臣になった小泉氏は、永年事務局長を務めてきた「自由経済懇話会」の会合で、挨拶に立った横浜銀行頭取(当時の地方銀行協会会長)から「郵政大臣に就任したアカツキには、国民経済的観点に立って郵貯の肥大化を内部から阻止して欲しい」と言われ、8項目に及ぶ郵貯改革に関する要望書を渡された、と翌年の国会答弁で認めている(衆議院逓信委員会議事録より)。
横浜銀行といえば、地方銀行で日本最大の預金量を誇る地銀で、大蔵省との癒着が常に取り沙汰されている。これまで大蔵省から5人の事務次官を頭取に迎え入れている。
また、翌月の逓信委員会でも銀行などの金融機関からどの程度の献金を受けているかと問われ、小泉氏は答えに窮すると今でも使う逃げの打ち方で「いくら献金を受けているかというのは私も分かりませんが、それはあると思います」と答えている。
小泉政権と銀行業界や運送業界との癒着は、この法案を作った内閣府の郵政民営化準備室に来ている民間企業からの13名の出向者の内訳を見ても明々白々だ。具体的には、日本銀行1名、全国銀行協会2名、損害保険協会1名、金融系シンクタンク4名、そして日本路線トラック連盟2名、JR関係2名、電力1名だ。
米国からの圧力に関しても再三再四出されてくる「要望書」も小泉さんをさらに強気にさせる要因になっているのは間違いない。しかし、これは、「ポチ小泉だからこれ位仕方がない」と思っていたらとんでもない話である。アメリカに340兆円もの大切な金を狙われているのだ。
8月26日の米経済紙「ウォール・ストリート・ジャーナル」に「日本の郵政民営化で儲けるのは誰だ?」と題した記事が掲載された。記事の詳細はここでは省かせていただくが、その米金融機関シティーグループによる調査を元にした記事では、米国債を発行する米財務省と欧州債券、それに日本と外国の株式が「大勝利」を収めると予測している。一方で、日本の国債市場の「大敗北」を予言している。
こうして見ると、郵政民営化が構造改革の旗印に思えた人もそのカラクリがお分かりになるだろう。小泉さんは国会答弁で「競争を通じて国民の利便をはかろうとするのが民営化だ」などと訳の分からないことを言ったが、騙されてはダメだ。こうして国民の目を「郵政」でくらませておいて、11月には憲法を変える作業を本格化させ、増税に向けて動き出すはずだ。そしてもう一つ忘れてはならないことは、アジアにおいてすっかり孤立化した我が国の外交をどう展開させていくかというヴィジョンが何ら国民の前に明示されていないことだ。この状況で小泉政権が勝利を収めれば、ライオン丸は益々髪を振り乱して暴走するだろう。それを善しとするか、それとも否としてブレーキをかけさせるか、われわれの判断が試されている。忘れてはならないのは、現状ではまだ選択の余地は残されていることだ。自分や周りの子供や若者のためにも、「分からないから」とか「どうせ大勢に影響ないから」などと無責任な行動だけは取らないようにしたいものだ。
【付録】
さあ、投票日まで残すところわずか、あなたはどうしますか。私は正直多くの人同様、いまだ名前を書く候補者や政党を迷っています。絶対に投票しないという「負の選択」は確かなのですが…。
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