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(回答先: ただの庶民だが私にも言わせてほしい どうして皇室は民営化しないのか 【SENKI】 投稿者 愚民党 日時 2005 年 9 月 06 日 19:44:21)
日本遺族会 戦後60年 曲がり角に
国が無期限無償貸与も 九段会館
郵政民営化など構造改革が焦点とされる今回の総選挙だが、改革にも「聖域」がある。遺族行政、とりわけ財団法人・日本遺族会(古賀誠会長)への対応だ。戦後六十年がたち、活動の重点も遺族への福祉から「自虐史観の克服」など思想、政治面に移った。長く自民党の集票力の柱として、政府の支援を受けてきた。だが、その力は下落傾向にある。聖域見直しを指摘する声も上がり始めた。 (田原拓治)
皇居、靖国神社、千鳥ケ淵戦没者墓苑などが集まる東京・九段。その一角に窓のない七階建ての建物がある。入るや「軍艦マーチ」が耳に飛び込んできた。一階では、戦前のニュース映画が上映されていた。
「昭和館」だ。一九九九年に開館した国立の施設だが、看板にもパンフレットにも「国立」の表示はない。七階は戦中、六階は終戦直後に分けられ、召集令状、千人針、米つき棒など当時の生活をしのばせる物品が公開されている。
開館まで紛糾が続いた。地元住民、千代田区が災害避難場所がなくなることや景観問題で反対。工事差し止め訴訟も起きた。さらに有識者たちも「加害責任の欠如」「戦没者の崇高な志を無視」と双方の立場で構想の中身を批判した。
結局、「意味が伴う展示ではなく、あくまで陳列」(同館職員)に決着した。主管の厚生労働省も「有識者会議を設けて、中立性を保っている」と説明する。
ただ、小中学生用の教材用資料にはこう記されている。「60年以上前に大きな戦争が起こり」「出征にあたってはのぼりを立てて見送り」「(終戦の玉音放送を流す)ラジオの前に泣き崩れる人々の姿がありました」。戦争は自然に起きた印象で、兵士の死や終戦の安堵(あんど)感といった反応には一切、触れられていない。
■「昭和館」委託料 年間で5億円超
管理運営を委託されているのは財団法人・日本遺族会だ。元来、同館は日本遺族会が七九年、当時の橋本龍太郎厚相(当時)に「戦没者の遺児の慰藉(いしゃ)事業」として設立を要望。「遺族会の熱意や資料収集への協力という流れ」(厚労省)で同会への委託が決まったという。職員十五人のうち、厚労省OBが二人。政府からは年間五億数千万円の委託費が支払われている。
昭和館の隣には旧館が「帝冠様式」のレトロな建物がある。九段会館だ。パンフレットには結婚式と並んで戦友会の案内があった。屋上には靖国神社の分神がまつられている。戦時中、同神社の被災を懸念しての措置だったという。
ここを経営するのも日本遺族会だ。前身は旧軍人会館で、翼賛体制の中核だった帝国在郷軍人会が三四年に建設した。戦後、同軍人会は解散。建物は国が没収し、国有財産となった。
四七年、遺族の相互扶助のため「日本遺族厚生連盟」が発足。五三年、「遺族が一番気の毒な状態」「特例の特例」(当時の厚生省社会局長)として、同省のてこ入れで同連盟を日本遺族会の名称で財団法人化し、特例法で無償貸与した。期限はない。払い下げしなかったのは固定資産税を避けるためだった。
現在まで、国有財産の期限抜き無償貸与の例は「この一件だけ」(財務省)という。かつて、収益の一部は遺児の育英資金などに当てられていた。その遺児も還暦を迎えた。しかし、「現在のところ、有償払い下げなど契約変更の考えはない」(厚労省)という。
日本遺族会の前身「日本遺族厚生連盟」の会則には、「戦争を防止し、世界の恒久平和を確立し」とあったが、五三年の遺族会への改編に伴い「英霊の顕彰」が寄付行為(定款に相当)の筆頭に掲げられた。
「昔は日の丸遺族会か、アカハタ遺族会かで激しいぶつかり合いがあった」と遺族会顧問の板垣正・元参院議員は振り返る。月日の経過が遺族への福祉対策のニーズを薄めた分、現在は「戦後の偏向した歴史教育の見直し」や「大東亜戦争についての正しい歴史観の確立」(二〇〇四年度の活動方針)が最重点だ。
■厚労省、自民とトライアングル
ただ、一般会員の中には政治目的より「遺族会は年金をとってくれるし、近所の友人との(靖国参拝)バスツアーは楽しみ」(戦没者の妻)といった声も少なくない。
日本遺族会福祉課によると、会員数は「昭和五十六(一九八一)年度の調査で百万世帯。その後は不明」という。「会員に戦没者の孫やひ孫まで含むか、の判断などは各地方組織の裁量」(関係者)なのが実態だ。
〇三年度決算でも八億円以上の補助金・委託費を得る日本遺族会が「圧力団体」でありえた理由は周知の通り、厚労省、自民党、遺族会のトライアングルにある。旧厚生省の援護畑はかつて遺族会幹部に近い旧陸軍グループが支配的だった。これに票田目当ての与党保守勢力が結び、力を行使できた。
しかし、「こうした軍人OBがいたのは七〇年代まで」(厚労省関係者)。加えて、二〇〇二年度から政府は「公益法人の補助金見直し」を掲げ、公立施設の運営も「官から民へ」の流れが打ち出されていく。
■特別委を設置し未加入者勧誘も
何より、会員の高齢化に伴い、集票力に陰りが見えてきた。遺族会は五六年以来、参院選で身内候補を連続当選させている。だが、前出の板垣氏が八〇年の全国区で九十二万票を得たのを頂点に、〇一年の比例代表では二十六万票、〇四年は十七万票にとどまった。
自民党の選挙戦略も、靖国神社とは距離を置く創価学会頼みに変化してきた。こうした危機感から遺族会はことし、内部に「終戦60周年記念特別委員会」を設置。未加入者の掘り起こしなどが提起されている。
現在の厳しい状況について、板垣氏は「九段会館の改修などは、当初から遺族会が自前でやってきた。一方で、政府は靖国神社の国家護持もなしえていない。そう考えれば、九段会館など無償で払い下げてくれていいくらいだ」と話す。
「たしかに(平均年齢八十六歳の)戦没者の妻には亡くなる人も増えてきた。しかし、遺児たちは定年を迎え、ようやく自由な時間ができてきた。歴史認識の問題などは今からだ。遺児を核に新たな運動の拡大に取り組まねばならない」
さらに組織の存在根拠に関連して「英霊につながる者、すべてが遺族だ。(遺族)年金をもらっている者だけではない。孫やその子どもも含め、国民全体がかかわっている」と語る。
一方、敗戦を十六歳で迎えたという東京大学の奥平康弘名誉教授(憲法)は「当時、戦争で困った人々はたくさんいた。兵士の遺族はその一部にすぎない。そもそも旧厚生省の成り立ちには、良質な兵士の育成という陸軍省の狙いがあった。そんな経緯もあり、旧軍人を最も厚遇した遺族行政は不平等の連続でもあったといえる」と指摘する。
「いま、政府自民党は構造改革を掲げているが、郵政が表玄関なら遺族行政は裏玄関。その裏玄関は靖国問題の政治意図からも、過保護なままという矛盾がある。遺族会への特別な対応は見直されねばならない」
■ 日本遺族会の主な歩み ■
1947 前身の任意団体・日本遺族厚生連盟結成
52 戦傷病者戦没者遺族等援護法が制定される
53 厚生連盟が財団法人・日本遺族会へ。同会に国有財産・旧軍人会館(現九段会館)の無償貸し付けに関する特例法が成立
59 靖国神社の国家護持を求める署名運動を展開
69 靖国神社法案が上程される。73年まで、計5回上程されたが廃案
79 政府に戦没者遺児らへの慰藉事業の一環として戦没者遺児記念館(後の昭和館)の建設要望
86 日本遺族会に批判的な遺族らが平和遺族会全国連絡会を結成
92 政府が「戦没者追悼平和祈念館」として基本計画を策定したが、この後、学者グループ、地元区議会が建設に反対し、紛糾
99 昭和館開館
2005 内部に終戦60周年記念特別委員会を設置
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050906/mng_____tokuho__000.shtml
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