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http://www.bund.org/opinion/20050915-3.htm
郵政民営化の先にあるものを理解しているのか
山風征路
「本当に行財政改革をするなら、役所の仕事を民間に開放しようと主張するなら、郵政民営化はしなければいけない」「400年前、ガリレオ・ガリレイが地動説で有罪判決を受けたとき、『それでも地球は動く』と言ったそうだ。自民党は既得権を守る勢力と戦う改革政党になったという立場から、国会が否定した郵政民営化について国民に聞いてみたい」。8月8日夜、会見を行った小泉首相の言葉である。この日、参議院本会議での郵政民営化法案の否決を受けて、小泉首相は衆議院を解散した。総選挙投票日の9月11日は、今後の日本の行方を大きく左右する。「郵政民営化」問題は、たしかに今の日本の経済と社会が抱える根本的な問題に対して、どのようにアプローチするのかを問うものだ。
利権構造の解体は必要だ
小泉首相は、「民営化反対勢力と手を組むことはない。自民、公明が過半数を獲得できなかったら、私は退陣する」とも言った。民営化反対議員には次々と対立候補を送り込んでいる。自らの退路を断って国民に問いかけるポーズをとっている。これまでの日本の政治家にはなかった、強い意志と確固たる政治信条が演出されている。
明らかに不利だと予想される総選挙に打って出てまでも、その信念を貫こうとしているようだ。政官財の癒着、利権構造を解体し、無駄を省いた「官から民へ」という構造改革はたしかにやられるべきものだ。
会見で小泉首相は、「民間にできることは民間にと言う民主党まで、自民党の抵抗勢力と一緒になって廃案にした。これができずにどんな大改革ができるのか。手足を縛って泳げと言うようなもんだ。両党とも選挙支援を考えるのはわかるが、国民全体のことを考えれば大事な仕事は公務員という考えはもう古い」と民主党を攻撃している。「官から民へ」を自分が代弁していることを強調しているのだ。
「郵政民営化」の一つのポイントは、全国にある2万4700軒の郵便局と、そこで働く27万人の職員を今後どうしていくのかにある。反対派は「過疎地に郵便が届かなくなる」などと言っているが、全国の郵便局のうち、実際に郵便の集配業務を行っているのは5000局にすぎない。「郵便局がなくなるとお金の出し入れに困る」という主張には根拠はない。民間の金融機関の拠点が存在しない市町村は、全国でたった7村しかないのだ。ほとんどの金融機関がオンライン提携している今日、こんな理由で民営化に反対するのは理由にならない。
全国の郵便局のほぼ4分の3、約1万9000局にものぼる特定郵便局制度は、絶対に解体されるべきだろう。国家公務員にも関わらず、世襲で引き継がれることが多く、様々な利権構造の温床となってきたこの制度を温存することは許されない。小泉首相は「政治家は武士だ。昔の武士は本当に命をかけてやっていた。俺も『明日死んでもいい、殺されてもいい』と思ってやっている。反対派はそのことを全く分かっていない」と、自民党の大票田だった「全国特定郵便局長会」を敵に回し、「古い自民党」をぶっ壊して、郵政民営化を実現させると大見得をきっている。
首相に就任するなり「将来のことを考えて財政出動を絞れば、痛みは伴うが、目先の景気対策で公共事業を増やせば国が破綻する」と訴え、「特殊法人改革」や「道路公団民営化」などを行おうとしたが、ことごとく抵抗勢力にはばまれ続けていることへの苛立ちがみてとれる。
たしかに小泉首相が主張するように、郵政民営化は莫大な赤字を抱えた日本の国家財政が破綻するかどうかの、瀬戸際で問いかけられている大問題だ。その本質にまで迫って徹底的に議論し、選挙で争うべきことである。野党もまた労働組合などの利害関係に縛られていて、ことの本質に迫る討論を行いえていない。
日本の借金は郵貯・簡保で支えられている
本当は何が問題なのか。日本の郵便貯金(郵貯)と簡易保険(簡保)の残高合計は345兆円。日本人の個人金融資産の4分の1を占めている。
東証一部上場企業の株をすべて買い占めることができるこの莫大な資金は、政官財の癒着のなかで利権ばら撒きの原資となってきた。郵貯・簡保の莫大な資金は、財政投融資制度を通じて非効率な特殊法人に流れ、道路公団や政府系金融機関といった特殊法人が、採算性のない事業にジャブジャブと湯水のように投資する原資となってきたのだ。こうした無駄な資金の流れを止めるために、郵貯資金の全額自主運用が2001年度から開始された。それまで郵政省は、郵貯資金を財務省(旧大蔵省)に預けるだけだったが、集めた資金を自主運用する責任が生じ、戦後一貫して増え続けてきた郵貯と財政投融資の総額は見かけ上減り始めている。
しかしそれは見かけ上のことだ。財政投融資は減ったものの、特殊法人は財投機関債を発行し、それが無理な場合は国が国債(財投債)を発行して、特殊法人に資金を供給している。財政投融資が減った分だけ、この財投債を郵貯・簡保は大量に引き受けているのだ。結局特殊法人が郵貯・簡保マネーに支えられているという構造は何も変わっていない。
小泉首相流に言えば、郵貯・簡保を民営化すれば、安易な財投債の引き受けはしにくくなるから、財政赤字の垂れ流しに一定の歯止めがかかる。しかし2001年以降減少しつつあるとは言え、2003年3月末段階で財政投融資の残高は357兆円もある。このうち郵貯の財投への預託金残高は97兆円にものぼっている。この他に、公庫公団の社債を購入したり、直接貸し込んでいる額は、郵貯で4兆円、簡保では21兆円に達する。
さらに深刻なのは、膨らみ続ける国の借金の大部分を、郵貯・簡保が支えているという問題だ。国債や借入金など国の債務(借金)残高が、2005年3月末時点で781兆5517億円ある。前年3月末より78兆4038億円も拡大、過去最高を更新した。これに地方自治体が抱える借金を加えれば、借金の総額は、初めて1000兆円を突破した可能性が高い。
これは国民一人当りにすると、800万円以上の借金となる。この数字を見れば、小泉政権の下で叫ばれてきた「構造改革」が、かけ声だけに終ってきたことが一目瞭然だ。
郵貯・簡保の345兆円のうち、2004年7月末時点で、郵貯98兆円、簡保53兆円の合わせて151兆円、実に総資産の44%が国債に投資されているのだ。郵貯に限れば、国債・地方債と財政投融資制度への預託金をすべて合わせれば、資産の実に90%が国や公的機関の借金の原資となっているのだ。
言うまでもなく、財政投融資先の多くは、採算性がとれずに不良債権化している可能性が高い。この不良債権も莫大な額の国債も、すべて国民に押し付けられてくる借金だ。今までは、無理に無理を重ねた借金も、国民の「虎の子」を預かっている世界最大の「国営銀行」とも言える郵貯・簡保が存在するおかげでなんとか成立してきた。これが民営化されればどうなるのか?
郵貯バブルから国債暴落というシナリオ
8月8日に参議院で否決された郵政民営化法案では、2007年に職員を非公務員化して、新たにつくる持ち株会社の下に「郵便」「郵便貯金」「郵便保険」「窓口ネットワーク」を担当する4つの株式会社に分割するとされていた。その上で、持ち株会社は2017年3月末までに貯金・保険の2つの会社の株式をすべて処分することが定められ、それをすぐに買い戻す「株式の結果としての連続的保有」も、小泉政権側の譲歩によって認められた。
9・11総選挙で小泉自民党が勝利すれば、再度国会に提出されて法案は成立するかもしれない。しかし郵政民営化の最大の問題は、2007年の株式会社化後に何が起きるかにあるのだ。
これまで郵貯・簡保マネーが国や地方自治体の借金の大部分を支えてきたのは、事実上の「国営銀行」だったからで、民営化されれば、巨額の郵貯・簡保マネーは金融市場で運用されることになる。そこで生まれる第1の問題は、これまで郵貯・簡保が引き受けてきた大量の国債を誰が引き受けるのかということだ。特に2008年は、財務官僚などによって「小渕の呪い」とささやかれている、大量の国債発行が強いられる年となる。98年に小渕内閣が景気対策として発行した10年債の償還のために、134兆円の借換債を発行しなければならず、これに新しく発行する国債を加えれば、180兆円近い国債が買い手を探して市中をさまよう。
借金の上に借金を重ね、それでも「国営銀行」に買い支えてもらってなんとか維持してきた莫大な額の国債が、いきなりスポンサーを失ったらどうなるのか? 国債の暴落が起きる危険性が高まるのは明らかだ。これまで国債をもっとも買い支えてきたのは郵貯だから、国債の暴落はそのまま郵貯崩壊につながりかねない。その時点では郵貯は民営化されているから、国はその責任を負わなくてすむ。そうなれば泣くのは郵貯・簡保に預金してきた国民ではないか。
こうした最悪のシナリオにまでならなくとも、郵政民営化後の第2の問題は、そもそも345兆円もの巨額なマネーを運用するノウハウやシステム、人材などを、民営化したからと言ってすぐに獲得できるのかということだ。例えば、1999年の国会答弁で、当時の郵政官僚は「簡保資金の運用に当ります担当者が約70名ほどおります」と答えている。120兆円にも上る簡保資金の運用をたった70人で行うことなど、民間ではありえない。その数十分の一の資産運用を行う投資信託会社でさえ、アナリスト、ディーラー他数百人規模のプロを運用担当に充てている。
こうした体制を整えることなく、とにかく民営化すればなんとかなるという考えは、余りにも無責任だ。まるで「赤ん坊」を巨大なステーキの上に載せて、ハゲタカの巣の前に差し出すようなものではないか。郵貯・簡保の巨大資産がハゲタカ・ファンドに食い荒らされるという懸念は、単なる杞憂とは言えない現実味を持っている。
ちなみに、2003年4月1日の郵政公社スタート時点での郵政全体の自己資本は、わずか1兆2688億円にすぎない。総資産に対する自己資本比率は0・3%で、郵貯だけに限っても0・6%だ。民間銀行ならば即刻営業停止となってもおかしくないほど、郵政公社の経営状態は健全ではないのだ。
民営化で一番得するのは誰か
民営化するということは、たとえ郵貯・簡保であろうとも、最悪の場合破綻して倒産することもあるということだ。ここで当然のごとく浮かび上がってくる疑問がある。2003年5月に、りそなホールディングスが国有化された。このりそなHDには、1兆9600億円もの税金が投入された。一方で民間銀行を国有化し、他方でこれまでの「国有銀行」を民営化する。この矛盾した政策の裏側に何が隠されているのか。
税金を無駄遣いするだけでなく、国民の預金や保険を使いたいように使い、利権を貪ってきた政治家や官僚、ゼネコンなどにとって、郵貯・簡保はまさに「金のなる木」だった。しかし巨額の財政赤字が1000兆円にものぼる今、「金のなる木」を国有化していれば、莫大な借金の責任追求の矛先が、いつ政府、官僚に向けられるかもわからない。かといって借金の返済の目途などまったくない。国民はその現実下、それでもきっと何とかなると思い込んでいる。
「構造改革」は確かに必要だ。しかし、これまでの放漫財政、利権に巣食っていた政治家、官僚、ゼネコンなどの責任を問わない郵政民営化であれば、その本質は民営化して市場原理の名の下に、国の借金の責任を放棄してしまおうということにしかならないのだ。
日本は国民の金融資産が1400兆円以上ある。これまで1000兆円もの借金を積み重ねてきた政治家や官僚からすれば、まだ400兆円も国民の余った金はある。しかも、日本は外国に金は貸していても借りていないのだから、国債が暴落して最悪郵貯・簡保が破綻したところで、国の借金が棒引きとなるだけだから、何の問題もないと考えているのかもしれない。
「虎の子」の預金を預けていた国民が泣いても、小泉首相は「これが市場原理というものです。競争というものです。みなさんは自己責任で郵貯・簡保に投資していたのだから仕方ありません」と言う気なのだ。
民営化推進論者は、「郵貯・簡保のお金が市場に出ることで経済が活性化する」と言うが、日本はかってない超低金利状態だ。超低金利ということは、実態経済がマイナス資金需要下にあるわけで、こんな時に東証の時価総額分ほどの資金が市場にアクセスしたらどうなるのか? ほとんどの資金は資金需要旺盛なアメリカに流れ、アメリカ経済を活性化することは間違いない。資金需要のない日本では「郵政民営化バブル」が起きるだけだ。80年代末のバブル経済の痛手からやっと回復しつつある日本経済は、再び没落する。
いずれにせよ、郵政民営化問題は、それほどこの国の行く末を決める重大な問題である。これまで政官財の利権構造の要であった郵政を民営化することは、本来有り得ないはずの「ノーリスク・ハイリターン」という金融商品を売り続けてきた「国営銀行」をぶっ壊すことにもなる。
郵政に巣食ってきた政治家、官僚、ゼネコンなどの責任を徹底的に追及した上でなら、利権の原資を断つために、それも止む無しと言えるかもしれない。しかし同時にそのことは、「郵貯や簡保に預けておけば安心だ」と安穏としていた国民すべてに、本当の意味での自己責任が問われることに連なる。
「莫大なお金が市場に出れば、経済が活性化していくはずだ」などという、漠然とした甘い幻想で選択すべき問題ではない。「古い自民党をぶっ壊す」という小泉首相の発言は、利権分配型の古い自民党支配の下で安穏としてきた「古い国民の意識もぶっ壊す」ことになるだろう。
そのことの意味を本当に理解し、覚悟した上で国民は小泉改革を支持するのか? 戦後50年間政権党であり続けた自民党政治のツケが、今国民に回されようとしているのである。本当はこの国には「改革」よりも維新が必要なのだ。
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どうなる郵政民営化
現場労働者のおもい
三浦邦彦
8月8日午後の勤務中に、同僚が郵政民営化法案が参議院で否決されたことを伝えてきた。報道で参院の自民党内の反対派が増え、否決の可能性が言われてはいたが、民営化は公社化されたときからの既定路線と皆思っていた。それが覆されたのは驚きである。
はたして今後の郵政公社はどうなるのか。2万5000の郵便局網は郵便貯金事業の収益に大きく依存している。だがこれも低金利に支えられてきたもので、経済状況が良くなり金利が上昇すれば、黒字幅は大幅に減少する。郵便事業も賃金カットと大幅なコスト削減で黒字にはなったものの、メール便の進出で収益の減少は止まらない。自宅のポストを見ても半分はメール便なのだから、実感せざるを得ない。公社が安泰とは言えない情勢は続いているのだ。
生田総裁も民営化を見越して計画を立てていた。民営化法案に国際物流事業への進出を可能とする特例を盛り込ませ、すでに大手国際物流会社との合弁会社設立へ向けた合意までしていた。法案の否決で国際物流への進出が困難になったことに触れ、「今の公社法の枠内での経営の限界」を指摘している。
生田総裁は国会でも「この先確実に売上げも利益も減る。どこかの時点で改革が必要だ」と、公社のまま経営の自由度を高めるのか、民営化するかは「政治判断」としながらも、公社のままで経営を拡大していくことが民業圧迫になるのであれば、「民営化が選択肢になる」と答弁していた。
「公社経営のままでは料金値上げや、一部地域でのサービスの合理化を検討する必要がある」のだ。公社のままでは行き詰まり、地方の採算の合わないところは合理化する以外ない、それがいやなら民営化してくれとの見解なのだ。
郵便事業ではメール便やインターネットの普及で、郵便の量は年率3%の減少が進むと予想されている。こうした赤字構造の郵便事業を黒字にするため、公社のままでやれることはなりふりかまわず行っている。コンビニでのゆうパックの取扱店を増やし、その数はヤマトを2000店上回る1万9400店になる。セブンイレブンを除く殆どの大手コンビニと提携している。さらには初の企業買収である大手物流会社の買収まで発表した。公社法で制限されている商品の包装や仕分けといった、ダイレクトメールなどの発送代行事業への進出計画だ。
だがこれ以上に、公社に経営の自由が与えられるだろうか。いまのままでも官業の肥大化や民業圧迫が批判されているのに、郵便貯金に続き郵便事業がいまのまま巨大物流会社になることなど絶対に許されないだろう。
公社のままでも経営はできるだろうが、はたしてこれからの金融・物流の環境の変化に対応できるか。きわめて不鮮明である。
生き残るための拡大・新規事業への進出が許されないならば、結局これまで以上のコストの削減、不採算部門とりわけ特定郵便局制度の見直しを含めた、大幅な合理化は必要となる。現場で働く私としては、公社か民営化か以前に、健全な事業体への移行がまず必要だと感じる。
すでに公社化で様々な改革を進めてきた。JPS(トヨタ方式)の導入、配達方式の見直し、ゆうパックのリニューアル、給与のカット、調達品の入札などだ。コスト・給与カットは郵便事業ではすぐに効果はでたが、それも限界に近い。給与カットはまだまだできそうだが、それはありがたくない。
それ以外といえば多くの矛盾を抱えたままなのだ。ゆうパックも営業努力で確かに増加している。しかし配達の方は限界を超えている。配達希望時間に着かないなど苦情が絶えない。請負業者が配達をしているが、請負制だから労働者は休日も何も労働条件はまったく保証されず、朝8時から夜10時まで働いている。我々も後処理のための残業で、家に帰るのが深夜12時を過ぎるのもざらではない。
配達方式の見直しもまだまだ前途多難の様相を示している。労働条件もなしくずしだ。深夜勤の連続指定、配達員の12時間勤務など、過酷な業務を当然のように指定してくる。頼みの労働組合も民営化阻止だけが運動になり、本来のチェック機能を喪失していくありさまには空恐ろしいものを感じる。
このまま民営化されると、いったいどうなるものかというのが本音だ。わたしとしては、これまで公企業として郵便局が担ってきた公共性と役割を維持しながら、事業が発展していくことを望んでいる。その点自民党案にも民主党案にも疑問だらけである。はたして誰が郵政改革のキャスティングボートを握るのかは、選挙次第のようだ。どちらに転んでも茨の道であるのは間違いないが、善意で敷き詰められた地獄への道を、われわれ郵政労働者は進むのだろうか。
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