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[暴政]『郵政焦点・総選挙』(付“飾り窓の女”)で何を隠蔽するのか?
[脂粉と桃色の霧に飲み込まれたニッポン]
日本列島は、いま“くのいち刺客”(別称、飾り窓の女)たちがふり撒く“脂粉のきつい香りと妖しげなピンク色の霧”に覆われつつあります。思えば時代は変わりました。1970年代の日本列島では、政界が“黒い霧”一色で覆われていましたが、現代日本政治の“異色の最高権力者”は、近代民主主義国家においては稀なことですが、“その香りで噎せ返るような桃色(ピンク)の霧”を政治の主要な道具に仕立て上げてしまったのです。これは、まさに見事な“日本政治の構造改革”です(それとも性事改革?)。このため、普段は仕事一筋で色事などに頓(トン)と疎く、ひたすら生真面目なだけの一般国民の凡そ7割程度の人々は、ピンク色の霧の奥に潜む魔物のような女性(にょしょう)の“政治権力的”な色香に惑わされて、老若男女の別を問わず狂おしく悩ましい想い募らせているのです。このようにして最高政治権力者が“自らの支持率”を巧みに上げてゆく奇天烈な政治手法、つまり真に面妖な現代日本政治の展開方向(不名誉な興味本位の新しいオリエンタリズムの誕生?)に欧米のマスコミも次第に好奇の眼差しを強めつつあります。
一方、普段は大概のところ冷静沈着であるはずの日本の新聞・テレビなど主要マスコミは、この近代民主主義国家においては稀な“桃色の霧”の大奥に深く取り込まれ、日本の正統ジャーナリズム自身が色濃くピンク色に染まっています。その中でも、テレビのコメンテータやキャスターたちは痛々しくも爛れたような赤剥けの色に染まっています。そして、彼らは、日本列島を更に桃色で色濃く染め上げようと嬉々として“飾り窓の女”にかかわる記事やレポートを、恰も糸を引く涎の如く垂れ流しています。まさに、そのおぞましい姿は、“狂気”と言わないまでも“狂喜のジャーナリズム”です。しかし、この“桃色の霧”も残り約3割の国民には一向に効き目がないようです。そこで、我われ残り3割の“正気な国民”が“桃色(ピンク)の霧”の中に見捨えていることをシッカリとここ整理し、確認しておく必要があります。6〜7割の“狂喜の国民”が正気に立ち戻った時のために・・・。
[今、求められる国家ガバナンスの視点]
ここでは、『郵政焦点・総選挙』の幻術(マインドコントロール)に取り込まれないように、より俯瞰的・客観的な立場から、今、日本が求められている三つの『国家ガバナンスの視点』を取り上げておきます。
(1)景気回復の方向づけ(先ず正常な“マクロな視点”への回帰が必要/“市場原理主義”(欲望至上主義)に拘るのは間違い)
・・・市場機能を活かすことと、市場原理主義はまったく異なる。(現時点で財界のメジャーは小泉改革を支持しているが、それは大企業中心に優遇税制などによる即効的な効果があったため。長期的に見て、その根本的な誤謬を懸念する財界人もいることを忘れるべきではない。)
・・・現在の“日本政府の市場原理主義(新自由主義)にかぶれた経済政策”(勝ち組・負け組み社会の意図的な創造)は、経済音痴のやることであり極め付きの愚策である。喩えれば、それは“高く売るための数匹の大豚を飼育するために、栄養失調で痩せた羊を無数に増やし続ける牧場主”のような愚かな経営である。“数匹の大豚も無数の羊たちも、その総てに栄養が十分行き渡り、総ての大豚と総ての羊が高く売れるように経営する”のが賢い牧場主である。
(2)公的部門の徹底効率化
・・・最大のターゲットは「特別会計」と「財投機関(特殊法人等)」のダイエット(税金無駄遣い及び垂れ流し体質の是正。
・・・「郵政改革」は、その一環を占める問題に過ぎない。“大きな政府VS小さな政府”のようなドグマティックな対立軸の演出しか言葉にしない(意図的に)とするなら、それは論点隠しの「リフォーム詐欺的で悪質な国民騙しの手法」である。
・・・公務員削減のポイントは各省庁の仕事ごとに必要性を再検証すること。バッサリと見かけ上の規模を縮小すれば済むことではない。従って、人件費を自前の事業収入で賄う郵政職員(正規職員勘定で約26万人)を民営化しても歳出削減とはならない。
・・・ドイツの「郵政民営化」がよく事例として使われるが、ドイツの郵便制度は神聖ローマ帝国時代からの非常に長い歴史的・文化的な遺産の上に出来ている。そのため、ドイツならではの「民営化のロジック」があり、それをそのまま日本へ当てはめることはできない。結論から言えば、郵便制度は、国それぞれの政治・文化・社会的な特性によって、そのあり方が異なって当たり前である。(この点については稿を改めて纏める)
(3)日本国民の「生存権確保」の宣言
・・・年金・福祉・医療サービスに関する根本理念の再構築が必要。ここが固まれば国民に安心感が広がり、(1)に関する新たな展望が広がる。民主党が主張する年金一元化(保険料の税化、一律7万円程度の全国民共通の基礎年金の創設など)は期待できる。
[現政権が隠蔽しようとするもの]
(その一)
日本からアメリカへ一方的に「貢ぐ構造」の強化政策
現在、日本政府(中央+地方)全体の国債等債務の元利合計残高は約10,000兆円に達しています。GDPの約2.0倍という驚くべき数字(米国は0.6倍程度)です。このうち中央政府の国債発行残高は約570兆円、政府短期証券が約90兆円です。少し古いデータですが、2003年には日銀が前年の約3倍にあたる20兆円もの円売・ドル買の介入を実施しました。その後も円高への対応のために円売・ドル買の介入が継続されています。そのため、政府短期証券の発行残高が急速に増加しつつあります。政府短期証券(外国資金為替証券、食糧証券、大蔵省証券)は政府財政の一時的な資金不足を補うため「財政法」または各「特別会計法」によって発行される証券で、市中消化はあり得ない仕組みとなっているため、その殆んどを日銀が購入します。また、慢性的な税収不足(特に、小泉政権になってから景気の悪化によって税収がどんどん減り続け、1990年の60兆円から現在は40兆円レベルまで落ち込んでいる)が続いているため国債発行額が増加の一途を辿っているのです。日銀はゼロ金利政策を維持するため、この国債の買い切りオペを続けざるを得ず、現時点の日銀の保有残高は発行額の約18%に相当する約100兆円規模に達しています。また、日本政府は為替介入で貯めたドルで米国財務省証券(米国債)を買い続けており、その金額が2005年3月末現在で約100兆円を超えています。
外国政府が購入した米国財務省証券はN.Y.連銀の金庫に保管されるルールとなっており、その総額は10,667億ドル(約112兆円相当/2003年末現在)に達していますが、日本政府の保有額は全保管量の2/3に相当する6,375億ドル(同、約71兆円相当)という巨額になっています。2002年2月18日のブッシュ・小泉会談で、小泉首相はブッシュ大統領に対して、日本は決して米国債を売るような行為はしないと約束したと報道されています。考えてみれば、この購入資金は日本国民の血税から回ったものであり、それが不足すると日本政府は政府短期証券を発行して調達します。短期証券の元利払いや様々な遣り繰りの結果として不足した部分は、結局、国債の増発で賄われます。それでも限界があるため、更に国民への課税強化が計画されることになった訳です。つまり、アメリカという世界最大規模の軍事予算を伴う国家財政の不足を支援するために惜しげもなく日本国民の血税が利用されるというシステムこそが、現在の日米同盟の実像(日米の隷属的関係)だということになります(2005.08.31付、ロイター通信によるとイラク戦争の月間経費がベトナム戦争を上回り、約56億ドル(約6216億円)になったと報道されています)。これに加えて、郵貯・簡保の350兆円を米国債の購入に回すという意図が廃案となった「郵政民営化法案」に隠されているようです。(民営化された私企業は、当然のこととして利率が高い米国債を購入することになる。あるいは、先に述べた政府短期証券→米国債のルートもある。)フィナンシャル・タイムズが「郵政民営化法案の否決によって、世界の金融産業は、約350兆円の日本人の貯蓄を手に入れるまで、もう少しだけ我慢しなければならない」という記事を書いたのは、このような背景に基づくものです。(http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050815)
(そのニ)
止まることを知らぬ「独立行政法人」等の冗長予算(ムダ使い)と「隠れ借金」の拡大=「小さな政府」は名目だけで、実態は「非効率な大きな政府へまっしぐら」
加えて、国内問題としては底なしの「隠れ借金」(特殊法人等における)という化け物が追い討ちをかけています。一部が「独立行政法人」へ改革されたことになっていますが、これは名目(及び名称)を変えただけで内容は変わっていません。それどころか、一部では逆に天下りポストと給与レベルが増加しています。これは、まさに国民に対する目眩まし以外の何物でもありません。それに輪を掛けて、厚生年金等の余剰積立額、約2000兆円の6〜7割が不良債権化しているのではないか?という不安(疑い)さえあります。この種の疑惑を数え上げるときりがありません。見方を変えると、このように姑息な「債務増加政策」(こんな用語はありませんが?)は「政府紙幣の増発」と同じことです。しかも、その増発された紙幣が効率的な新しい事業の創造(経済活性化のための積極投資)に使われる訳ではないことが大きな問題なのです。法的に考えると、一国の通貨には中央銀行が発行する@中央銀行通貨(日本銀行券)とA政府通貨(紙幣、貨幣)の二種類があります。Aは補助的な位置づけのため補助通貨と呼ばれ、日本ではAの紙幣は太平洋戦争後には発行実績がなく、貨幣(補助貨幣)だけが発行されています。
しかし、戦前には政府紙幣が発行されたことがあります。満州州事変(1931〜)の勃発後、政友会・犬養毅内閣が成立するとともに二度目の大蔵大臣に就任した高橋是清は、日銀券の発行規模が約1.2億円の時代に当時の金額で約10億円規模の「政府紙幣」を発行して大恐慌の余波で破綻した日本財政の救済に成功したのです。是清の政策によって、貿易も伸張し景気はいちじるしく回復しました。しかし、この頃から『急速に台頭した軍部の軍事費拡張の要求』がとどまらなくなります。1934年11月、政友会の反対を押し切って岡田啓介内閣の蔵相に就任した高橋是清は紙幣増発による悪性インフレ(ハイパー・インフレ)の影響を小さな範囲にとどめるため、年度予算の編成にあたって軍事費抑制の姿勢を示しました。しかし、これが青年将校の恨みを買うことにつながり、結局、是清は「二・二六事件」で襲撃を受け射殺されました。今、日本国民は、このような歴史が、わずか70年ほど前の日本で起こったことをシッカリ思い出すべきです。このような歴史的事実を考え合わせると、今、日本政府がやっている財政政策には、どうみても致命的な欠陥(つまり、からくり、誤魔化し、インチキ)があります。表向きの名目上、つまり建前の上では緊縮・健全財政化を推進する「小さな政府」を唄いながら、裏では「政府紙幣の増刷」に匹敵する「債務増加政策」(しかも、後ろ向きの目的で)を平然と推進しているのです。やむを得ず「政府紙幣の増発」政策に取り組む場合は、高橋是清が意図したように、その<必要性を一般国民へ十分に説明した上で短期的な政策として実行されるべき>であり、それが民主主義政治の正しい姿なのです。このような意味で、今の日本政府が進めている“姑息で陰険な手法”は主権者たる国民に対する背任や裏切り行為に等しいと思われます。
(その三)
「『財政投融資改革』のためだけなら『郵政民営化』は急がなくともよい!」という現実
「郵便・年金の預託義務」(国民が預けた郵便貯金や年金積立金などの資金枠(約350兆円/このうち約140兆円は国債の受け皿となっている)がいったん財務省・資金運用部に預託されて、財政投融資の資金(このうち可なりの額が焦げ付いて不良債権化しているらしい)に流す仕組みを廃止するための「財政投融資改革」が、2004年4月から実施されています。このため、現在は、各特殊法人等が財投債(財投機関債)を自らの責任において発行・運用することになっています。しかし、財務状況が悪くて発行した財投債が市場で消化できないような特殊法人等の場合は、その法人に代わって「財政融資資金特別会計」が財投債を発行することになっています。そして、建て前上、これら財投債の償還財源は租税ではなく、各特殊法人等の資産(財政融資資金特別会計の場合は、従来の資金運用部基金と同じ扱い)だということになっています。
つまり、オフィシャルな定義上は財投債は従来の国債と性質が異なるものだとされています。しかし、国の信用をバックにして発行される財投債は名前を変えた新種の国債です。「財政融資資金特別会計」から借り入れをした特殊法人等に損失が発生した場合に、最終的にその償還財源を租税に依存せざるを得ないのであれば、財投債は国債と何も変わるものではないのです。むしろ、このように中途半端な国家財政の仕組みを新しく作ったため、既に1,000兆円を超えた日本の国家的な財政赤字(地方債、償還利子込み)は更に、その上に大きな赤字を積み上げてゆく恐れがあるのです。一部では、既発財投のスリム化が計画どおりに進まないと、逆に財投債の残高が年毎に積み上がり預託金の満期償還が一巡して財投債がすべての預託金に入れ替わる6年後には、現在の財投残高に匹敵する約400兆円の財投債残高になると言われています。
それでは、既存の財投資金が減る代わりに新たな国債が積み上がるだけという話になります。これは“政治的眼眩まし一発”以外の何物でもありません。実は、このような“政治的眼眩まし一発”は小泉氏のオリジナルではありません。これは、小泉氏の影で糸を引き続けている財務省(旧大蔵省)の伝統的な得意技なのです(小泉氏は、それを得意のワンフレーズ・ポリテクスに置き換えているだけだと思われます)。例えば、日本の近代財政史を幕末から明治維新期ころまで遡ってみると、このような“政治的眼眩まし一発”が陸続と実行されてきたことが分かります。しかも、時代の変革期には必ず国家的な債務(現在の国債・財投債等に相当)の“大仕掛けの踏み倒し”(軍国主義政策等も含む)が実行され、無辜の一般国民が犠牲になってきたのです。例えば、幕末〜維新初頭期の御用金調達(国家的かつあげ?)、貨幣改鋳(悪化への切り替え、贋金造り)、強権的な債務の踏み倒し、政府紙幣(金札)増刷、金札の兌換紙幣への転換、公募公債発行・・・、このような手練手管の中から「特別会計」という“打ち出の小槌”が案出されてきたのです。トコトン行き詰まると戦争による財政全体(国・公債、紙幣、預貯金等)のデフォルトという訳です。
いずれにせよ、郵貯・簡保の資金を財政投融資の資金として流す仕組みを廃止するための「財政投融資改革」が、既に2004年4月から実施されているので、『財政投融資改革』のためだけなら『郵政民営化』は急がなくともよい!ということになるのです。ただ、問題は、それでも「特別会計」(特別会計法)に対して抜本的に手をつけぬ限り国債の増加は止まることがないということです。(その一)で見たとおり、「特別会計」(特別会計法)は政府(財務省)にとっては一種の「打ち出の小槌」のような存在です。いくらでも国債を裏付けにしながら紙幣を増刷できる仕組みです。だからこそ、「独立行政法人」等の冗長予算(ムダ使い)と「隠れ借金」拡大の原因を具体的に突き止め、各省庁と特殊法人等の無駄遣いにストップをかけ、それを縮小する必要があります。正常な“マクロ経済の視点”を見失ったままで、徒に、一般国民に過大な税負担や個人負担を強制的に課す一方で、福祉・医療・年金等の給付やサービスをカット・縮小するのは根本的に馬鹿げた政策です。
(その四)
具体的な数字に現れている「小泉政権の失政の数々」=「巨額の国民負担増」、4.8兆円 !
・・・この詳細は、下記のBlog記事を参照。
「『「総選挙』(亡国の美人コンテストト?)の影に隠れる「巨額の国民負担増」、4.8兆円 ! http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050818/p
[むすび]
2005年 8月31日付の仏紙ルモンドは、国際面のトップで東京特派員による日本政治の特集記事を掲載しています。それによると小泉純一郎首相について、「彼は「戦略家というより策士だ」と辛らつに批評しています。また、ルモンド紙は、郵政改革関連法案に反対した議員の選挙区に「刺客」を送り込むやり方は日本の政治風土になかった((筆者、注記)ヤクザ、暴力団ならやりかねない手法?)ことで、「郵政法案の否決は、今の景気回復を除いて大きな成果がない小泉首相に対する国民の嫌気の表れなのに首相はこれを自民党内の造反議員のせいだとして国民に新たな白紙委任状を求めている」と厳しい見方を示しています。現在の景気の回復も、民間企業によるリストラ効果や中国経済台頭の恩恵にすぎないと痛いところを突いています。また、2005年8月29日付のフィナンシャル・タイムズの社説も在日米軍の再編問題や対中関係などの外交問題を積極的に取り上げない小泉首相の政治姿勢を厳しく批判しています。
今、“小泉氏の飾り窓の女”たちが放つ“脂粉のきつい香りと妖しげなピンク色の霧”で自失呆然とさせられている約7割の日本国民が、このように冷静なルモンド紙やフィナンシャル・タイムズの記事を読んで目覚めてくれるのを願うばかりです
<注>なお、我が国の「特別会計」(特別会計法)が、何故にこれほどまで野放図に膨張することになったのかを探るため歴史的な観点も加味しながらBlog記事(下記)を書いております。未完成ですが、ご案内しておきます。
シリーズ、『市民政治』の再生を考える[1](導入)
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050625/p1
シリーズ、『市民政治』の再生を考える[2](特別会計の歴史)
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050727/p1
シリーズ、『市民政治』の再生を考える[3](特別会計の歴史)
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050731/p1
シリーズ、『市民政治』の再生を考える[4](特別会計の歴史)
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050804/p1
シリーズ、『市民政治』の再生を考える[5](特別会計の歴史)
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050811/p1
シリーズ、『市民政治』の再生を考える[6](特別会計の歴史)
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050830/p1
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