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(回答先: 官邸前で女自殺図る 重体、ワゴン車乗りつけ(産経新聞) 投稿者 熊野孤道 日時 2005 年 8 月 31 日 04:21:58)
【米軍マネーで東南アジア随一の経済繁栄を誇ったのもつかの間 南ベトナム】
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/syometsu/vietnamnam.html
一番劇的に消滅した国といえば、やっぱり南ベトナムですね。何十年にもわたって続いた戦争の果てに、1975年4月30日に首都サイゴンが陥落。その際に解放軍が大統領府に突入する「国家消滅」の歴史的映像がテレビを通じて全世界に流れた(←ここがミソ!)わけですからね。もっとも、厳密にいえば南ベトナムという国が消滅したのは、翌年7月のベトナム統一宣言の時になります。
フランス植民地だったベトナムは、日本軍の占領下で阮朝最後の皇帝だったバオダイ(保大)帝が独立を宣言したが、1945年の日本の敗戦と共に瓦解。代わって抗日ゲリラ戦をしていたホー・チミン(胡志明)率いるベトミン(越盟=ベトナム独立同盟)が9月2日にハノイでベトナム民主共和国の独立を宣言した。
一方で、ベトナムで再び植民地支配を続けようとするフランス軍は南部のサイゴンを占領したのち北上。ベトミン軍と衝突し、インドシナ戦争が始まった。バオダイ帝は今度はフランスに担ぎ出され、49年7月2日にサイゴンでベトナム国の建国を宣言するが、54年のティン・ビエン・フーの戦いでフランス軍は死者・行方不明者17万2000人を出す大敗北を喫し、ベトナム維持を断念。7月20日のジュネーブ協定でとりあえず北緯17度線の軍事境界線でベトナムを南北に分け、北ベトナムはベトナム民主共和国が、南ベトナムはベトナム国が支配し、2年後に南北統一選挙をすることが決まった。
しかし南ベトナムでは内紛が続き、55年にはバオダイ帝が追放されて、ゴー・ディンジェム(呉廷●=王ヘンに炎)が大統領のベトナム共和国が成立し、ホー・チミンに負けそうな統一選挙を拒否した。
一方、北ベトナムはホーおじさんことホー・チミンの指導の下で、武力によるベトナム統一と社会主義化を決意。60年12月に南ベトナム解放民族戦線を成立させて、南ベトナム政府軍を相手にゲリラ戦を始めた。この解放戦線は「腐敗した南ベトナム政府の横暴に抵抗し、ベトナム統一と民族解放を求める南ベトナムの広範な民衆の統一戦線」という触れ込みだったが、実際には北ベトナムの傀儡に過ぎないということでベトコン(越共=ベトナム共産党)と呼ばれた。
ベトコンの攻勢に加えて、南ベトナムでは軍閥の横行や、新興宗教(カオダイ教=高台教やホアハオ教=和好教)の私兵軍団の跋扈などでゴタゴタし続け、ゴー大統領は「一族を要職に就けている」「カトリック教徒を優遇しすぎ」だと国民から激しい非難を浴び、抗議する仏教僧侶の焼身自殺が相次いだあげく、63年11月にはクーデターが起きて殺害される。権力を握ったグエン・コクト大統領は64年1月のクーデターで倒され、新たに大統領となったグエン・カーン将軍も65年2月に解任されて、6月には再びクーデターが起きるなど、南ベトナムの政局は混乱続きだった。
(後略)
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