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(回答先: 官邸前で女自殺図る 重体、ワゴン車乗りつけ(産経新聞) 投稿者 熊野孤道 日時 2005 年 8 月 31 日 04:21:58)
首相官邸前で女性が自殺を図ったことに際して思うこと
報道では女性の家族によると「精神的な不安」があったという。報道のとおりだとすれば現政権にとっては「ありがたい」ことだろう。「犯人」の行為が政治的動機から来たとなればマスコミはその背景を探り出そうとする(もっとも日本のマスコミがそれをやるほどの度量と気力があるかは非常に疑わしいが)。しかし「犯人」が「精神異常者」ということになってしうと話は違ってくる。彼女は「病気」であのようなことをしたのだ、だからそれで話はおしまいと。
一方で産経新聞によれば官邸に侵入する前にビラを配っていたらしい。また、他の報道ではビラ数十枚が車内から見つかったと言われる。
折りしもその日は衆院選公示日。ひょっとすればこのようなことが起こってしまったのは何らかの警告を私たちに与えているのではないかと思う。それは女性の行為が有ろうと無かろうと。
他の掲示板ではこの女性が外国人であるとか(それはいつもの「排斥」や「蔑視」の考えに基づく書き込みである)などと、話をそらしているかのようなものがあった。それも根拠のない全くの想像によるものである。
私もこの阿修羅にて想像による仮説的なことを書き込んでいる。しかし、私なりに一応事実を踏まえた上でそこから考えられることを書き込んでいるつもりだ。
例のごとく、これから書くのは私の想像に過ぎない。
日本での自殺者が多くなっているということだ。年間で3万人以上の人が自殺している。不況により人々が苦しんでいる結果だろう。要するにこれだけの人が精神的に追い詰められた結果、死んでいるのだ。
よく自殺のニュースが報道されるが、自殺した人の関係者が「そんなふうな人には見えなかった」とインタビューしているところがある。それは当たり前かもしれない。一人で悩んだ上に止むに止まれず自殺という道を選んでいるのだから。
そういうことであるから、いきなり女性が自分の腹を切って死のうとしたら他人にとってみれば驚きしか浮かんでこない。他人は思うだろう「何故そんなことをするのだ。異常である」と。確かに「異常」なのである。自分が考えた末にどうにもならなくなって死のうとする。しかし、逆に言えば悩みを何とかしようと考えているというのはこれはとても当たり前のことではないのか。真剣に考えているのである。しかし自分の力ではどうにもならないのである。そのようなことから「精神異常者」になってしまう人もいる。
ではそうなった人はどうなるか。もはや自分の命なんて投げ捨て、「必死」の行動にでるのではないか。
それが社会や政治が原因で自分がこんな目になったのだと思ったとき、それがその行為へと移る。それが「テロ」ではないか。まさに「捨て身」の覚悟でその行為を実行する。
前々から思っていたことがある。これだけ日本で自殺者が多いということはそれだけ追い詰められた人が多いということだ。だから国内のいわゆる「過激派」や国外の「アルカイダ」がこれらの人々を利用するのではないかと思った。
つまり、それらの構成員が精神的に追い詰められ、自殺も考えている人物に接触する。そして、「洗脳」させた上で「テロ」を実行させる。構成員は直接テロには加わらない。だが、間接的に実行者に資金を援助したり、武器を供与する。
実行者にとってはまさに自分の信念・理念を貫き、実行することができたのだと思いながら死を迎える。しかし、構成員は実行者の思っていることとは別の思惑でことの成り行きを見ているのだ。
これほど「悲しい」出来事が他にあろうか。自分が命を投げ打ってやったことが実際は違う面で利用されているのだから。
ひょっとすれば911のあの実行者たちは自分たちは闘争を貫徹したと思って死んでいったかもしれない。しかし「真」の「黒幕」はほくそ笑んでいるのかもしれない。
そんなことを思いつつ、書いているのだが。私たちはそういう意味で「悲しみ」の世の中に生きているのかもしれない。
今回の出来事において、もしこれが追い詰められたという事情で行われたとするなら、それはそれでまた悲しい出来事である。
そんなことを考えると日本で「テロ」が起こるのはもう近いのかもしれない。そして、犯人は追い詰められていた日本人であったと。それは他人から「洗脳」されて実行したかあるいは自分から自主的にすすんで実行したかは関係なく。
そしてそのような「悲しみ」を取り除くのが政治家の役目ではないのか。自分ではどうにもならないようなことを政治がその人にとって代わって執り行うのが。
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