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太田述正コラム#827(2005.8.18)
<郵政解散の意味(その1)>
1 始めに
8月8日午後の参議院本会議で郵政民営化法案が否決されたのを受け、小泉首相は衆院を解散し、総選挙が、30日公示、9月11日投票で行われることになりました。この郵政解散の意味をわれわれはどう考えたらよいのでしょうか。
2 郵政解散の意味
(1)明治維新以来の日本の歩み
縄文モードと弥生モードという私のパラダイムを用いて明治以来の日本の歩みを振り返ってみると、明治維新は日本が、英国化という目標を掲げて意識的に江戸期の縄文モードを弥生モードへと切り替える試みであったと言えるでしょう。
その頂点は大正時代であり、日本の政治は(男子)普通選挙に立脚した英国的二大政党政治となり、日本の経済はイングリッシュ・ウェイ・オブ・ライフである資本主義に近似した、株主主権的にして投機的的な資本主義が機能するに至っていました。
弥生モードが行き着くところまで行けば、何もなくても縄文モードに回帰し、新たな国風文化を確立しようとする動きが出てくるのが日本の常です。しかも、ちょうどその頃、資本主義の全般的危機が叫ばれるようになり、日本周辺にはファシスト勢力や共産主義勢力が勃興し、その上英国に代わって世界の覇権国になりつつあった米国が日本敵視政策をとるようになったのですから、日本の政治も経済も変調をきたし、日本は否応なしに縄文モードへの回帰を迫られた、といってもいいでしょう。こうして日本型政治・経済体制の構築が、当時の(軍事官僚を含む)官僚の主導で意識的に行われることになり、日本の政治は安定し、経済も再び力強い成長を始めます。
日本の縄文モード化は、先の大戦における敗戦によって日本が占領され、日本が他律的に鎖国状態に置かれることよって完成します。そして、世界史上他に例を見ないことですが、日本の戦後の政財官のエリート達は、日本の経済の再建と高度成長に専念するねらいから、「主権」回復後も日本は憲法第9条に象徴される吉田ドクトリンを墨守し、自ら「主権」に制約を加え続けることによって事実上占領状態を継続させ、米国の保護国であり続ける道を選ぶのです(注1)(注2)。
(注1)以上は、以前から(コラム#154、155や226で)何度か指摘してきたところだ。「縄文モード」、「弥生モード」の定義はここでは繰り返さない。
(注2)日本の近現代史における、弥生モード化の成功の象徴が日露戦争における日本の勝利であり、それに引き続く縄文モードへの回帰の成功の象徴が日本の経済大国化だ。前者の衝撃が欧米の植民地の独立をもたらし、後者の衝撃が欧米の旧植民地のうちのアジア諸国の経済的離陸・高度成長をもたらしたことに日本人はもっと誇りを持ってよい。日本の日露戦争勝利と経済大国化の衝撃については、シンガポールを代表する知識人である(インド系の)マーブバニ(Kishore Mahbubani)も力説するところだ(http://www.time.com/time/asia/2005/journey/introduction.html。8月11日アクセス)。
(2)郵政解散の意味
この間、日本の宗主国米国は、世界の覇権国として、自らの市場を世界に開放するとともに、世界の市場における障壁の解消に努め、この開放的な秩序を維持するために軍事力を整備し、行使してきました(注3)。
(注3)これは、未成熟な覇権国であった米国が世界の政治と経済を混乱に陥れた結果、先の大戦という人類にとっての未曾有の惨禍を引き起こしてしまったことへの当然の償いであった、と総括することができよう。
しかし、日本が世界第二の経済大国になった頃から、米国は、日本に自立を促し、応分の国際貢献を行うように強く求めるようになります。ところが、日本は言うことを聞きません。このような日本に業を煮やした米国が、日本が米国の保護国であり続けようとしていることを逆手にとって、占領下で徹底できなかった日本の国内体制の米国化を徹底的に行うことによって、日本の経済力が米国を脅かすようなことにならないように掣肘を加えるとともに、日本の経済力を米国の利益のために活用しよう、と考えるに至ったのはごく自然なことでした(注4)。
(注4)日本の「主権」回復以降も、米国のお眼鏡にかなわない人物は日本の首相にはなれなかったし、日本政府は米国の意向に添わない政策は実行できなかった(http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050811_kaigai/。8月17日アクセス)。保護国とはそういうものだ。そして、いかにも米国らしいことですが、1994年からは、かかる観点からの米国の対日要求が毎年公開されるようになっています(関岡英之「拒否できない日本―アメリカの日本改造が進んでいる」文春新書2004年52〜55頁)。
それ以前においても基本的に同じなのですが、特に日本のバブル崩壊以降、小泉政権を含む歴代の自民党政権が行ってきた「改革」なるものは、ことごとく米国の要求によるものだ、と言ってもいいでしょう。
つまりは、日本の(米国化という)弥生モードへの切り替えが、まことに不甲斐ないことに、日本の歴史上初めて、日本の主体的意思によってではなく、他国の意思によって、他国の利益のために行われつつあるのです。
http://www.ohtan.net/column/200508/20050818.html#0
太田述正コラム#829(2005.8.20)
<郵政解散の意味(その2)>
郵政民営化についても、マクロ的に見れば、日本の経済高度成長をもたらした日本型政治・経済体制を支えた柱の一つが「世界最大の銀行たる郵貯などがかき集めた郵政マネーを国家が中心となって公共事業に投資して回転させていくという」システムなのだから、「日本の経済力をつぶそうと思ったら」このシステムは破壊しなければならない、という米国の対日大戦略(http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050811_kaigai/前掲)に屈したものであり、ミクロ的に見れば、米「保険業界」の強い要求を踏まえた米国政府の「日本の郵貯・簡保<の>官業としての優遇措置を廃止せよ」との「圧力」(関岡前掲書133頁)に屈したものにほかなりません。
いずれにせよ、現在の日本における最大の問題は、繰り返しになりますが、日本の弥生モードへの切り替えが、日本の主体的意思によってではなく、他国の意思によって、他国の利益のために行われつつあることです。その根底には、日本が戦後60年も経っているというのに、吉田ドクトリン・・外交や安全保障を米国に丸投げする国家戦略(=保護国化戦略)・・をいまだに廃棄していない、という問題があります。私は、グローバル化した現代世界においては、日本は自らを弥生モードに抜本的かつ恒久的に切り替える以外に生き延びるすべはない、と考えています。
しかし、弥生モードへの切り替えが即米国化でなければならない、ということはありませんし、いわんや、それが米国の利益のために米国の指示に従って実施されるようなものであってよいはずがありません。もとより、私自身、日本を弥生モードに切り替えるためには、日本型政治・経済体制をアングロサクソン的な政治・経済体制に転換して行くことが不可欠である、と考えていますが、その具体的なあり方は、あくまでも日本が衆知を結集して自らの意思で決定した上で、整斉と自主的に実施に移していくべき筋合いのものだ、と思うのです。
3 有権者はどうすべきなのか
では、今回の総選挙で有権者はどうすべきなのでしょうか。イデオロギー/宗教政党である共産党・社民党・公明党は論外として、政党としては、
a 米国の指示に盲従して弥生モードへの切り替え路線をつきすすむ「改革派」候補者、古き良き縄文モード時代の追憶にしがみついている「守旧派」候補者、及び両者の中間的な「ノンポリ」候補者、の三種類の候補者(自民党籍の無所属候補を含む)を擁する自民党、
b 古き良き縄文モード時代の追憶にしがみついている「守旧派」候補者のみを擁する国民新党(鈴木宗男元議員が立ち上げた新党大地は国民新党の友党と考えてよかろう)、
c 基本的に自民党と同じ三種類の候補者を擁する民主党、
という不毛の三択しか与えられていない日本の有権者は、まことにお気の毒であるとしか言いようがありません。それはそれとして、私が皆さんに訴えたいことは二点です。まず、不在者投票でも何でもいいから投票を行って投票率を上げていただきたい(注5)ということと、無所属の候補者でもかまわないので、広義の外交・安全保障問題についてしっかりした識見を持った候補者に投票していただきたいということです。
(注5)そもそも、一日も早く、インターネットによる投票制度を導入すべきだ。インターネットバンキングが普及している現在、セキュリティーの問題はクリアできるはずだ。そうすれば投票率は飛躍的に上昇することだろう。(http://www.rieti.go.jp/jp/columns/a01_0100.html(8月19日アクセス)参照)
前者は、日本の政治の弥生モードへの切り替えの前提条件・・自民党の瓦解ないし野党化・・を妨げている大きな要因の一つである公明党の弱体化につながるからですし、後者の意義は申し上げるまでもないと思います。
最後に、比例票をbに投じようとされている方に老婆心ながら申し上げておきますが、bは「宗主国」米国の意向に逆らう候補者のみを擁している以上、遅かれ早かれその勢力は消滅に向かうことでしょう。
(完)
http://www.ohtan.net/column/200508/20050820.html#0
太田述正コラム#834(2005.8.24)
<郵政解散の意味(補論)>
普段、私のHP(ohta@ohtan,net)の掲示板を読んでおられない方は、まず、以下のやりとりにざっと目を通していただく必要がありますが、既に読んでおらえる方は、飛ばしてください。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
<私有自楽>
<太田述正コラム#829「郵政解散の意味(その2)」をめぐって>
> 「日本の経済力をつぶそうと思ったら」このシステムは破壊しなければならない、という米国の対日大戦略http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050811_kaigai/前掲)に屈したものであり、……
チョッとチョッと待って下さい、私は太田氏の主張についてほぼ賛同する者ですが、経済学の領域の話になると途端にレベルが下がってしまうことを常々気に掛けておりました。今回の立花論文を参照すること等はその典型です。
立花隆氏は評論家、記者或いは社会学者としては高名な方であり、その分野のお話しには敬意を表する者ですが、氏の経済学認識は初歩的な部分で経済学部の四年生のレベルにも達していないばかりでなく、基礎的な部分で明らかに誤った多くの主張しておられ、影響力の大きい方だけに多くの人を惑わす結果となりますので困ったことです。これは高名な文学者が物理学や医学の論評をしたからといって、必ずしも正しいことを述べているとは限らないのと同様です。
一般に物理や化学のことだと「私は素人ですので…」と謙虚になる人が多いのに対し、経済学の分野の事になると途端に基礎的な分析ツールの使い方も学ばぬままに日常生活の直感だけで誤った議論を平然と推し進める人が多いのは、多くの評論家、政治家を始めとして、困ったものだと思っていることの一つです。
物理学の分野ではニュートンが現れるまでは、アリストテレスが主張していた運動の法則、即ち「物は落ちる」「物は止まろうとする」という法則が跋扈していましたが、立花隆氏の主張は正に「物は落ちる」「物は止まろうとする」という直感的な運動法則に則って人工衛星の動きを解説しようとすることに等しい愚行です。(直感的にはその誤った説明の方が専門外の人には納得し易いことが余計始末を悪くしています)
現在私は残念ながら期限の迫った仕事を抱えているので、立花隆氏の誤った議論の一つ一つを取り上げて論評し訂正している時間が無いので、簡単に氏の表題についての誤りだけを正した結論だけをここに述べておきます。あとは一事が万事です。
正しくは、「日本の経済力をつぶそうと思ったら」このシステム(郵政)を温存しさえすれば良い。」 です。
この訂正表題についての詳細解説は私でなくても、真面目に勉強している経済学部の3〜4年生の学生なら十分に出来ます。読者に経済学を学んでいる学生さんがいらっしゃったら、夏休みを利用して、どなたか私に代わって以下の解説の投稿を試みてご覧になりませんか?
<太田>
>私は太田氏の主張についてほぼ賛同する者ですが、経済学の領域の話になると途端にレベルが下がってしまうことを常々気に掛けておりました
今まで「経済」の話はしたことがあるけれど、「経済学」の話はした記憶はありませんが・・。それはともかく、
>「日本の経済力をつぶそうと思ったら」このシステム(郵政)を温存しさえすれば良い。」
と力説されておられるところを見ると、どうやら私の「郵政解散の意味」シリーズの趣旨を読み違えておられるようです。私の書き方に問題があったのかなあ。
私は、「アングロサクソン的政治経済体制」への切り替えの必要性は、弥生化の観点から不可欠だと考えているので、郵政の分割なり民営化それ自体に反対している訳ではありません。私は、それが米国の要求リストに載っていること、米国の利益に合致する形で進められている可能性があることに注意を喚起しているだけです。(関岡氏のスタンスと基本的に同じです。)
米国が「公正な競争」を標榜しつつ、自分で勝手に反ダンピング法制をつくって、恣意的に懲罰的関税を賦課し、米国の特定の業界を外国企業との競争から保護してきた国であることを思い出してください。諸外国から総スカンをくらいつつも、米国が世界の覇権国であり、かつ米国の市場が巨大であることから、そんなばかげたことが依然まかり通っています。(本来、国家というものはエゴの固まりですから、米国を非難しても始まりません。)そんな米国が要求してきたことは、疑ってかかり、郵政の分割なり民営化なりについては、あくまでも、来るべき日本のアングロサクソン的政治経済体制の全体像を思い描いた上で、日本自身のニーズに従った制度設計を行い、日本自身が設定したスケジュールに従って推進されるべきだ、というのが私の言いたいことです。
<私有自楽>
> 今まで「経済」の話はしたことがあるけれど、「経済学」の話はした記憶はありませんが・・。
そうですね、 おっしゃる通りです。それはともかく、
> どうやら私の「郵政解散の意味」シリーズの趣旨を読み違えておられるようです。私の書き方に問題があったのかなあ。
いいえ、多分そうではないと思います、太田さんの主張は大いに認めていると同時にほぼ全面的に同意しているのです。
私が矛先を向けているのは、立花 隆 主張に対してであり、その意味ではこの掲示板に投稿したのは一種の八つ当たりで、立花 隆 氏のホームページの掲示板の方に批判の矛先を向けるべきでした。
さて、私がここで主張したいことは、その社会システムの提案を最初に黒猫がしたのであれ、白猫がしたのであれ、国民の汗の結晶である郵貯と簡保の350兆円前後のお金が、国民の幸せな生活(安全保障も含む)の為に還元されるシステムであれば良いのであって、アメリカが最初に提案したことだからと言って日本を弱体化させる陰謀なのではないか?等とつまらぬ下司の勘繰り等をしている暇は無いということなのです。
太田さんは「日本自身のニーズに従った制度設計を行い、日本自身が設定したスケジュールに従って推進されるべきだ」、とおっしゃいますが、その様な理想的な計画案がいつの日か策定され、それが国会で承認されるまでのいつ果てるとも無い時間の間に、350兆円の国家事業に投資されたお金はどんどん不良債権化し、同時に本来国民の幸せな生活の為に使われる筈だったお金は談合や腐敗に満ちた談合仲間の村社会だけの為に浪費されていくことになります。
その様な悠長なことをやっているより、それなりに洗練された国際会計基準に則りアングロサクソン的政治経済体制を一刻も早く築いてしまうことの方がアメリカや中国と対等に話し合いのできる普通の国になれる最も着実な方法であり王道なのです。
何が一番良い方法かを澱んだ社会構造の中で論じるより、一見乱暴に聞こえますが、一刻も早く民営化の競争の洗練を受け、国際基準で評価され、それぞれの民営化主体が自らを律してより丁寧にきめ細かく毎日その社会システムのリファインを重ねて行った方が、より着実に多くの人々をそして社会を幸せにすることが出来ます。
あまり良い例えではありませんが、外国語を習得しようとする時の最悪手は、日本語で書かれた最も良い外国語習得の方法を論じた本を読み漁ることです。そんな暇があったら現地で生活しましょう。
今日はとても乱暴に議論を進めていますが、いつか丁寧に議論を展開したいと思っています。
太田さんからご返事を頂いてしまったので取敢えずの回答まで。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
以上は、「郵政解散の意味(その2)」をめぐっての、私有自楽さんと私の、HPの掲示板上のやりとりです。この際、もう少し議論を深めたいと思います。
>悠長なことをやっているより、それなりに洗練された国際会計基準に則りアングロサクソン的政治経済体制を一刻も早く築いてしまうことの方がアメリカや中国と対等に話し合いのできる普通の国になれる最も着実な方法であり王道なのです。
まさにこの私有自楽さんの推奨されている通りのことを、米国の勧めに従ってやった結果、国が滅びかけたのがロシアです。ロシアはたまたま産油国であったために石油価格高騰によって救われましたが、さもなければロシアは本当に滅びていた可能性があります。こうしてソ連が解体しただけでなく、ロシアもまた没落したことで利益を得たのは米国です。
共産党政権下のロシア(ソ連)は重厚長大産業に適した社会主義国でしたが、日本型政治経済体制下の日本は重厚長大産業にも軽薄短小産業に適した、人類史上最も効率的かつ効果的な社会主義国家(正確には社会主義的国家)でした。
長期にわたって機能した社会主義ないし社会主義的国家の資本主義的国家(アングロサクソン的国家)への転換は一筋縄ではいかないものなのです。
私は、日本の1990年代以降の失われた十有余年は、米国の要求に従って、過早に、他律的にかつ非体系的に政治経済のアングロサクソン化を実施したためにもたらされた、と考えています。(長銀のケースが良い例です。長銀の普通銀行化は早晩やらなければならなかったとしても、調査部だけからも竹内宏や日下公人らの逸材を輩出させてきた長銀を壊滅させて人材を散逸させ、頭取に縄目の恥を受けさせ、しかも税金を投入した上で米国系の投資グループにしこたま儲けさせたことを思い出してください。)
さりとて、ロシアのように一挙にアングロサクソン化を実施していたとすれば、日本もまた滅びていた可能性大です。アングロサクソン化への道半ばの現在、このような事情はなお、基本的に変わっていないと私は考えています。すなわち、「日本自身のニーズに従った制度設計を行い、日本自身が設定したスケジュールに従って推進」する以外に日本がアングロサクソン化するにあたっての王道はないのです。これが私の言いたいことの第一点です。
私の言いたいことの第二点は、かかる制度設計にあたっては、長期雇用(典拠失念)や系列(http://www.asahi.com/business/update/0626/003.html。6月26日アクセス)や摺り合わせ(藤本隆宏「能力構築競争―日本の自動車産業はなぜ強いのか」中公新書)といった日本型政治経済体制下で培われたところの、アングロサクソン的政治経済体制下においても日本等においては維持した方がよさそうなシステムを生かすこと等を考慮する必要があるということです。
換言すれば、日本のアングロサクソン化と米国化とは同値ではありえない、ということです。
私が言いたいことの第三点は、この点が最も重要なのですが、日本のような米国の保護国が、米国の要求を次々に鵜呑みにして行くことは非常に危険だ、ということです。
吉田ドクトリンの下で日本は外交と安全保障を米国に委ねただけであって、米国が日本の内政にまで直接容喙することはできないタテマエであるはずなのですが、既に申し上げたように、米国のお眼鏡にかなわない人物が日本の首相になることも、米国の反対する政策を日本政府が実行に移すことも困難なのが実態です。
これは、米国の要求を鵜呑みにして施策化することは簡単であるものの、その結果米国ないし米国の業界が余りにも一方的に利益を受けることが分かって、日本がこの施策を撤回ないし軌道修正しようとしても、米国が首を縦に振らない限り不可能だということを意味します。ですから、日本をアングロサクソン的政治経済体制に切り替えるのであれば、本来はそれに先行して日本は米国からの「独立」(自立)をはたす必要があるのであり、少なくとも自立へ向けての努力と平行してアングロサクソン化を推進すべきなのです。
しかしご承知のように、日本の自立への歩みは余りにも遅々としており、このような状態のまま、日本がその政治経済システムを性急にアングロサクソン化、というより米国化することは、日本が米国の連邦議会に代表を送れない以上、日本が米国の保護国ならぬ植民地に転落する危険を冒すことに他なりません。しかもこの場合、香港のように英国によって統治されていて英国が統治に責任を負っていたケースとは違って、米国は日本の統治に何の責任も負っていないだけに、日本は一方的に宗主国米国に収奪され、奉仕させられる存在に成り果てる可能性大です。
以上、私の意のあるところをお酌み取りいただければ幸いです。
http://www.ohtan.net/column/200508/20050824.html#0
太田述正コラム#842(2005.8.30)
<郵政解散の意味(補論)(続)>
「私有自楽」さんより、コラム#834をコメントしたメールがあったので、ここに転載させていただくとともに、私の再コメントを、今回と次回の二回に分けてつけることにしました。
メールや私のHPの掲示板への投稿をコラムに転載させていただく際には、本来、ハンドルネームでなく本名を明かしていただいた方が良いと思いますが、「私有自楽」さんについては、一度ハンドルネームのまま、投稿をコラムに転載した経緯があるので、今回もハンドルネームのままにしています。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
私有自楽
ロシアについての評価はここではおおよそ同意することにしましょう。
細かく言えば多くの異議はあるもののそれを述べていると話が逸れてしまいますので。しかし、同じ論理で日本についての記述が始まる辺りからは同意しません、日本についての捉え方は大いに異なります。
丁寧に語ると幾らでも書けるのですが、現在私にはゆっくりご返事している時間がないので、乱暴ですが、ロシアとは社会体制、社会基盤、産業社会の構造と厚みが違うこと、またそれを育んできた歴史が違うことだけを指摘してロシアと同様の道を歩むことなどありえないと結論だけ申し上げておきます。
ロシアはツァーと農奴の社会は経験していても高度の封建社会を築いた経験を持たないままに共産革命になだれ込んで行ってしまった国である。
一方、日本は最も完全な封建社会の秩序を築いた経験がある国であると同時に重層的に堺、近江、江戸の町人社会とその文化を保有し引き継いで来た国である。要するに社会のベースには筋金入りの町民社会(市民社会と微妙に異なる)があり、封建社会と同居した町民産業社会の数百年の歴史があり、その間には太田さんの言うところの弥生モード期を何度も経験していることを申し添えます。
ここで私の主張をより良くご理解を頂くためにここでわざと少々脱線します。
太田さんは政治体制をアングロサクソン的政治形態と、ローマ法(或いはナポレオン法典)に基盤を置く大陸型政治形態の二つに分けてわかりやすく解説していらっしゃいます。
私もこの分類には大いに賛同する者ですが、私はこの分類の他に、日本社会に限っては、これにもう一つの対立軸を設定して観察しています。それは現在の社会を「士農工商」社会に見立てて「士農」型と「工商」型との二つに分けて考える方法です。(上田令子氏の論(http://www.ueda-reiko.com/02a.html)より借用)太田式分類をX軸とするならば、「士農工商」社会を「士農」型と「工商」型とに分ける考え方をY軸に置いてお考え下さい。このように二次元で捉えると、大田さんと私有自楽の主張の共通点と対立点が明確に見えてきます。
以下、Y軸についてのみ説明します。
政治・軍事の世界は当然「士」の価値観の世界です。また、この「士」の価値観は「農」を統治した関係上その価値観は「農」の価値観と表裏一体をなし、親和性は高いようです。
一方、この価値観とどうしても相容れないのが「工商」の価値観で、この価値観は西欧社会では市民革命後台頭した価値観の様に言われていますが、日本ではもっと古く、堺、大阪、江戸の民衆の間ではごく普通に昔からあった価値観だったのではないかと想像しています。
また「商工」と言ってもヨーロッパのギルドやマイスター達の世界は「士農」の社会のサブシステムであり、ヴェニスや堺の商人達の社会とはかなり異なったものと捉えています。
また、「士」身分の人達の中にも僅かながら例外的な精神構造を持った人も居るわけで、歴史上では勝海舟、坂本龍馬、福沢諭吉、渋沢栄一等に代表される人々は「士」の身分でありながら「商工」型のフィロソフィーを持っていた人々だったと想像しています。
また、未だ確証を掴むには至っておりませんが意外や幕府最後の老中小栗上野介にもその匂いを感じています。そして、それ以外の日本の殆んどの指導者達は尽くと言って良いほどに「士」の理想と、「士」価値観を持った人々でした。
結論から先に入りましょう、太田さんは典型的に「士」の価値観で物事を判断なさり、主張なさる日本の指導層の方と同じ発想の方のようです。それに対し、私は典型的に「商」の価値観で物事を判断し、主張するようです。
ここに同じテーマについての二人の異なる見解が発生してくる原因があります。どちらが正しく、どちらが良いというのではありません。二人とも、アングロサクソン的政治形態の方が望ましいと考え、今後の日本には弥生モードの考え方がぜひ必要と共に考えながらも、ここ彼処で意見の一致を見ないのはこの点に違いがあるということに気がついたのです。
以下、二人の異なる見解を併記してみました。
括弧内は竹中平蔵氏が最近出された素人の為の経済講義からの引用ですが、「軍事にしても政治にしても相手の方が強くなるということは、自分が弱くなるということなんです。ところが経済は違う。隣の国が良くなるということは、自分も良くなるチャンスが出てきたということ…」 という一節があります。この「ところが経済は違う。…」以降の後段の発想は正に「商」の、商が本能的にする発想です。
軍事や政治を本分となさる「士」である太田さんが下記のことを本能的に次のように結論付けられることは自然なことです。
> 私は、日本の1990年代以降の失われた十有余年は、米国の要求に従って、過早に、他律的にかつ非体系的に政治経済のアングロサクソン化を実施したためにもたらされた、と考えています。
> さりとて、ロシアのように一挙にアングロサクソン化を実施していたとすれば、日本もまた滅びていた可能性大です。
しかし、商人であることを本分とする私は次のように考えます。1990年代以降の失われた十有余年は、「米国の要求に従って、…アングロサクソン化を実施したためにもたらされた」、とは全く考えません。むしろ米国は適切な助言をし続けてくれていたとすら考えます。その助言を曲解し、最も愚かな決してやってはいけない政策を実施したのが当時の橋本総理大臣と三重野日銀総裁で、彼等は単に無能でバカだったのだ、より正確に言うならば省益は考えても、民のことは念頭にない人々なのだと思っているのです。
米国批判は、肥満児の健康の為には適度の食事制限と水泳等の運動が良いという医者の助言を曲解し、バブルでぶくぶくに太った我が子を三日ほど絶食させた上で、手足を縛って水に放り込んで溺死させた親が、ダイエットと水泳を勧めた医者の責任を追及しているような発言に聞こえるのです。
長銀問題にしても、「頭取に縄目の恥を受けさせ…」とは考えずに、頭取は株主に対して背任行為を行った明白な犯罪者であると考え、刑事罰の他に損害賠償の穴埋めの為に、一般の銀行債務者同様に、頭取の私財没収が行われないことを不思議に感じるのです。長銀自体は破産処理すればよく、預金者は預金の返済が受けられなくて当然、それが預金者の当然のリスクというものであり、どうしても金融秩序の為に預金者を救いたければ、ここに税金を投入すれば良いのです。そうすれば経済犯罪人たる頭取を始め役員達の救済や禿げ鷹ファンドを儲けさせる結果となった莫大な税金の投入の必要はありませんでした。腐った組織温存の為に税金を投入したこと自体が責められるべきで、その結果としてリスクを取ったリップルウッドが儲けたのはその額が如何に大きくとも当然の報酬です リップルウッドは断じて責められるべきではありません。責められるべきは無能な交渉と投入してはいけない所に税金を投入した役人であり財務省の方です。
日本が滅びるとすれば、決して自らが私財をリスクに曝して責任を取ることをしない役人に不当な決定権を与えるようなシステムを温存するからであり、その事を棚上げして、禿げ鷹ファンドや米国政府のせいにするのはとても恥かしい筋違いの話しと感じるのです。
「士」たる太田さんは次のように述べられました。
> 調査部だけからも竹内宏や日下公人らの逸材を輩出させてきた長銀を壊滅させて人材を散逸させ
…、と。
「商」たる私有自楽は次のように考えます。
長銀がそれまで得ていた金融の護送船団方式による独占的利益によって竹内宏や日下公人らの逸材を独占的に囲い込んでいた状態から、彼等逸材を世の中誰でもが世の中全体で彼等の能力を活用させて頂けるようになったことは素晴らしいことです。もし竹内宏氏や日下公人氏らの将来が暗いものになったり年収が下がったのだとすれば、それは長銀が不当に高い報酬を彼等に払っていたということであり、その逆ならば彼等は水を得た魚の様に更に広い世界に羽ばたけるチャンスを得たのだと思います。 私はきっと彼等は後者の方だろうと考えており、彼等の高い能力を最も高く評価してくれる所で、或いは日本国民全体で共有できることはとても好ましいことだと考えています。(想像ではなく、ご本人達の率直なご意見を伺いたいものですね)
> すなわち、「日本自身のニーズに従った制度設計を行い、日本自身が設定したスケジュールに従って推進」する以外に日本がアングロサクソン化するにあたっての王道はないのです。
いかにも「士」の世界の人が本能的に正義と錯覚し主張しそうな考え方です。太田さんのこの議論は多くの誰でもの共感を得やすい、それ故とても危険な発想です。真実は、日本自身のニーズに従った制度設計など神様以外誰にも作れないのです。「こういう制度を作ろうとする考え自体が、バベルの塔を築こうとするに等しい誤った考えである。」と人は謙虚に考えたほうが良い社会に確実に近づけます。
何故ならば、誰かに都合の良い制度は必ず誰かには都合悪く、今適合した制度は次の瞬間には最早時代遅れになるからです。
壮大壮麗な法典を作ろう等としてはいけません。現状の悪い所を直ぐ直し、個別に最善と思われる判断を積み重ねていく、人智の及ぶところはせいぜいここまでです。
ここにも多少「ローマ法」と「英米法」との対比に共通するところがありますね。
卑近な例で言うならば、郵政民営化のより良い案を煮詰めるために更に審議を重ねる必要がある、という民主党の主張よりも、今より多少でもマシな民営化案を取敢えず実現しその上で悪い所を修正していくというスピード感のある小泉政策を重ねていかないと人々の住みやすい世の中になりません。民主党のいう様にしていたら継続審議の懸案だらけになり、その間既得権者は甘い汁を吸い続けることが出来、それを永遠に続けることさえ可能です。この様な、より良い方向への暫時改善主義こそがアングロサクソン化の王道なのではないでしょうか。
> 私の言いたいことの第二点は、かかる制度設計にあたっては、長期雇用(典拠失念)や系列http://www.asahi.com/business/update/0626/003.html。6月26日アクセス)や摺り合わせ(藤本隆宏「能力構築競争―日本の自動車産業はなぜ強いのか」中公新書)といった日本型政治経済体制下で培われたところの、アングロサクソン的政治経済体制下においても日本等においては維持した方がよさそうなシステムを生かすこと等を考慮する必要があるということです。
このご主張には全く同意しません。この点では、太田さんと私とは全く別の世界に住んで居るようです。結果としての長期雇用は大いに望ましいものですが、長期雇用の為のいかなる施策も人間関係ばかりか人間の尊厳と品位そのものまで貶めます。
系列についてはお薦めの書物を未だ読んでいないので言葉の定義がハッキリしませんが、資本や信用についての「系列」の概念まで否定するつもりはありませんが、系列故の商品優先選択買付けなどは考えられないことです、それこそ その発想は親の仇です。
「摺り合わせ」には何の違和感もありません、人間社会では当然に必要とされることであり、またその「摺り合わせ」こそが交渉そのものでもあると考えています。
> 私が言いたいことの第三点は、この点が最も重要なのですが…、
太田主張を特段に否定するものではありません、国家と言うものは、弱ければつけ込まれ、強ければ理の通った話し合いが互いに出来る様になる、というだけのことです。
今日の太田さんは米国に対して殊更に被害妄想的になっておられるように感じますが、「日本も他国に対してせめて理の通った話が出来る程度には普通の国になって居なければいけません。」という意味だと理解することにします、全く同感です。
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<太田のコメント>
1 「士農」「工商」対置論について
>それは現在の社会を「士農工商」社会に見立てて「士農」型と「工商」型との二つに分けて考える方法です。(上田令子氏の論(http://www.ueda-reiko.com/02a.html)より借用)
ここは、専門家の典拠をつけていただきたかったところですが、「士農」と「工商」に分ける発想は面白いですね。
かつてイサドラ・バードが、李氏朝鮮における「工」と「商」の未発達の原因は、(「士」による)政治の搾取性にある、と指摘した(コラム#404)ことが思い起こされます。
さて、私は、「江戸時代には日本は数百の藩に分かれ、藩ごとに言葉(方言)も違えば、考え方も違っていました。また、士農工商という身分制度は(負の面はさておき、)身分ごとに異なった考え方の人々を生み出していま
した。この異質のものがせめぎあうダイナミズムがあったからこそ、日本は近代化を円滑かつ急速になしとげることができたのです。」(コラム#358)と書いたことがあります。
私は、欧米列強が東漸してきた時点での日本と朝鮮半島の決定的な違いは、幕藩体制下の日本では「士」が藩単位で重商主義的政策を行い、「農」「工」「商」のそれぞれをそれなりに発展させ、「士」はもとより、「農」「工」「商」のいずれもが誇りを持って仕事を行っていたところにある、と考えているのです。
すなわち、やや美化して申せば、「士農工商」は相互依存・共栄関係にあり、このうち「工商」が「士農」と画然と区別され、異なった論理で機能していた、とは考えていないのです。(「工商」に藩を超えて活動していた側面があることは否定しませんが・・。)
この点は、更に議論を深めたいものです。
2 日本自身のニーズに従った制度設計は可能か
いずれにせよ、
>日本自身のニーズに従った制度設計など神様以外誰にも作れない
というご指摘は、このような幕藩体制を構築した徳川家の制度設計能力を貶めるものではないでしょうか。
徳川家による制度設計の意図せざる結果として幕藩体制が構築されただけではないか、ですって?
その点はさておき、少なくとも昭和期に構築され、昭和期が終わる頃にその歴史的使命を終えたところの「日本型政治経済体制」が、幕藩体制の記憶を踏まえつつ、「日本自身のニーズに従った制度設計」によって構築されたものであったことまで否定するのは困難でしょう。
このように日本は、いくたびも縄文化を、「日本自身のニーズに従っ」てなしとげてきただけでなく、「日本自身のニーズに従っ」て、自らの政治経済体制を支那やイギリスといった外来の体制に全面取っ替えする形で弥生化(支那的国家化・アングロサクソン的国家化)を繰り返してきたのです。
その日本が、再度のアングロサクソン的国家化にあたって、「日本自身のニーズに従った制度設計」ができないわけがありません。
(完)
http://www.ohtan.net/column/200508/20050830.html#0
私のコメント:私有自楽氏の主張には致命的欠点がある。「商工」は軍事力である「士」なしには搾取されるだけである。
>太田さんは「日本自身のニーズに従った制度設計を行い、日本自身が設定したスケジュールに従って推進されるべきだ」、とおっしゃいますが、その様な理想的な計画案がいつの日か策定され、それが国会で承認されるまでのいつ果てるとも無い時間の間に、350兆円の国家事業に投資されたお金はどんどん不良債権化し、同時に本来国民の幸せな生活の為に使われる筈だったお金は談合や腐敗に満ちた談合仲間の村社会だけの為に浪費されていくことになります。
その様な悠長なことをやっているより、それなりに洗練された国際会計基準に則りアングロサクソン的政治経済体制を一刻も早く築いてしまうことの方がアメリカや中国と対等に話し合いのできる普通の国になれる最も着実な方法であり王道なのです。
何が一番良い方法かを澱んだ社会構造の中で論じるより、一見乱暴に聞こえますが、一刻も早く民営化の競争の洗練を受け、国際基準で評価され、それぞれの民営化主体が自らを律してより丁寧にきめ細かく毎日その社会システムのリファインを重ねて行った方が、より着実に多くの人々をそして社会を幸せにすることが出来ます。
というくだりは小泉工作員の大嘘そのものです。
道路公団は民営化されましたが財投機関債の政府保証の有無という最も重要な問題は曖昧にされたままで、本四架橋公団などの破綻状態にある特殊法人には一切手を着けていない状態です。しかも、民営化されたために天下りは激増し、事実上財投機関債が政府保証があると考えられているために効率の低いと考えられる公共事業への歯止めもなくなりました。
郵政民営化問題でも、民営化だけを主張して特殊郵便局局長の世襲制問題には一切触れていません。民営化すれば私企業社員の世襲制問題は解決出来なくなります。
小泉改革の正体は、形式上民営化するものの、国際基準での評価は行わず、それぞれの民営化主体が天下りと米国資本を大量に受け入れて官僚と米国の利益のために奉仕する体制を作ることです。
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