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(回答先: 【テレビ局は自民公明への好感度を増幅させるために、サブリミナル技術を使用している】 サブリミナル効果 解説 投稿者 愚民党 日時 2005 年 8 月 29 日 04:32:56)
見るべきを見る、聞くべきを聞く力
http://www.tomo-net.or.jp/sermon/kyoken/mes0501.html
阿部謹也氏はここ二十数年にわたって、日本における「世間」ということを課題として問題提起をつづけておられる。また,その日本における「世間」ということを、これまで「理論的にも実践的にも、原理的に排撃した人は親鸞を除いてはいない」と言われている。
さて、小泉首相は昨年十二月九日、期限切れを目前にして、イラクへの自衛隊派遣延長を閣議で決定した。隣の国,韓国では同じ問題が、同じ時期国会で審議が出来なくて宙に浮いていたのだが、我が国はいわばその様な手続きは抜きにして、早々と決定したということである。
小泉首相の政治の手法については様々なことが言われる。ワンフレイズポリティクス、パフォーマンス政治、理屈にはならない理屈、無茶苦茶な論理、サブリミナル政治、ポピュリズム等々。
ところで、そのポピュリズムの特徴として、人びとの感情を刺激して、理性より情念(反感や嫉妬)に訴えるということや、目的実現の為には、その手続き、過程、制度を無視する等々のことが言われる。
小泉政治の手法は、その誕生そのものが、「自民党をぶっこわす」という言葉によって、まさにポピュリズムそのもののようなところがあるだけに、その後も節目節目にはその手法が用いられている。
そして、小泉政治にはもう一つ大切なことがある。それは日本における「世間」を利用した政治、つまり自分(たち)のこと(都合)しか考えない政治である。
この「世間」としての政治を支えているのが、日本のマスメディアである。
「どんな種類のものであろうと、現に存在する支配関係を永遠のものにするという課題である。意識産業は、意識を搾取するために、ひたすら意識を誘導しなければならない」とエンツェンスベルガーが書いたのは、もう四十年以上前のことである。
ただ四十年前と今とでは、同じ課題をもっているにしても、その影響ははるかに違う。もちろん、今ではインターネットの発達によって、マスメディアの影響も変化してきたという議論もある。しかしそのインターネットもまた、プロバイダー等の支配により、マスメディア化していることも確かであり、意識産業の枠組みを出ることはないであろう。
「宗教論とはメディア論でもあるべきだと思う。その逆でもあるということです」と言うのは辺見庸氏である。
親鸞にこだわりつつ生きようと考えている私たちにとって、メディアの問題、情報・文化の問題は避けることができない、というよりもむしろ中心問題の一つとなってきていると言えるだろう。
親鸞の言う「この世のあしきことをいとうしるし、この身のあしきことをいといすてんとおぼしめすしるし」(御消息集第一通、聖典五六一頁)等というものをはっきりさせようとすれば、今ではメディア論を抜きにしては不可能である。
ところで、法蔵菩薩はその本願の中に、天眼通の願と天耳通の願というものを建てている。
「たとい我、仏を得んに、国の中の人天、天眼を得ずして、下、百千億那由他の諸仏の国を見ざるに至らば、正覚を取らじ」(第六願)、「たとい我、仏を得んに、国の中の人天、天耳を得ずして、下、百千億那由他の諸仏の所説を聞きて、ことごとく受持せざるに至らば、正覚を取らじ」(第七願)
「信仰は我々に何を理解すべきかを教える」と言ったのは、アウグスチヌスである。
「送る側と受ける側のエゴイズムの野合」である「マスコミファシズム時代」と言っていい今日、親鸞にこだわりつつ生きようとする私たちにとって、何よりも大切なことは、「世間」としての政治を厳しく批判する,見るべきものを見る,聞くべきことを聞くという感覚に目覚めることである。
(『ともしび』2005年1月号掲載)
http://www.tomo-net.or.jp/sermon/kyoken/mes0501.html
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