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(回答先: 富山県経済の特徴 :富山に熱がはいるわけ(日銀富山事務所、2004年11月) 投稿者 竹中半兵衛 日時 2005 年 8 月 22 日 06:08:24)
信頼からの発展
薬売りは元々は現金商いであった、当時では現代のように交通網が管理されておらず、当然見知らぬ遠国では代金の回収困難だからであるだが当時の庶民にとっては、いつどのような薬を使う事になるかわからない状態で数多くある種類の薬を買い常備しておくことは経済的に不可能に近かった。
・・・がしかし幾度と通う事により薬売りと顧客の間に信頼関係が生まれていくのだった、そこで売薬りは思ったのである。
「1回だけの取引ではなく幾度と訪問するのだ、とりあえずいくつかの薬を渡して次に来たときに代金を受け取っても遅くはない」
これが先用後利の元になるのである、この考えは継続的な取引をする薬売りにとっては非常に理想的商法であり薬売りには永続的な商いを保証することになる。
また多くが真言宗徒(現在も富山は日本有数の真宗県である)であった薬売りは、職務を通じて人々の健康に貢献することが仏に仕えることだとも考えていた。つまり、先用後利という商法は薬という特殊な商品を通して、長い時間をかけて顧客との間に築かれた信頼なのだ。
ゆえに販売網は不動のものとなりその後も取引が絶えることはなかったのである。 後利とはその時だけでなく未来における利益も意味していたのかもしれない、今なお、この商法は続いている。
現在に通じる先用後利
こうして生まれたのが先用後利の制度などである、先用後利という制度は現在のクレジット商法の先駆けとも言える、・・・がしかし、当時の状況でそれができるのは売薬りと顧客との長い付き合いと信用があって初めてできる事ではないだろうか、 そうでなければ 当時藩を挙げて奨励といえど、それだけで商売として300年も続くわけがないだろう。
ちなみに委託販売は自体は古くから習慣として行われていたのである、霊山として人々の信仰を集める立山を仰ぎ見る、富山県。立山のふもとの、あしくらじ・いわくらじの部落の人達が立山信仰と立山参拝をすすめて全国を旅していく。
立山信仰を全国に布教していた御師と呼ばれる宗徒たちが作った、よもねぎり・三効草といった薬を病除札と共に施予しており、配付した護符や薬の代金を冥加金(みょうがきん)として1年後に徴収していたのだ。
http://www.toyama-net.com/drug/body/toyama022.html
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