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敗戦から60年、日本はいまだに世界の中で地位を見出していない
この戦争は、公式には1945年8月15日に日本の降伏によって終わったとされる。だが、何の戦争か。1945年にアメリカによって禁じられ、しかし日本人によって使われている二つの表現に従えば、これは“大東亜戦争”か、1931年に始まった中国との“15年戦争”なのか。あるいは、1941年に真珠湾攻撃によって始まった“太平洋戦争”のことかもしれない。だがこの占領軍によって押し付けられた用語は、それに先立つ戦争を影の中に置き去りにしたままである。
日本の公式説明は明確ではない。さらに、“この戦争は終わった”という言い方、簡潔には“終戦”という言葉が“敗戦”よりも好まれている。これらの意味上の歪曲は、日本の過去の行為についての公式見解の曖昧さを暴き出しいる。そのため日本は、降伏後60年たっても、まだ世界の舞台で独立したアイデンティティーを探し求めているのである。
過去の認識についてのこの曖昧さは、新しいナショナリズムを増殖させている。そのもっとも極端な表現では、かってない危険な過去否定主義につながっている。この新ナショナリズムは、国際主義への反動であり、アイデンティティーの屈折を起しながら限界を突破しようとしているかに見える。
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日本では、この新ナショナリズムの圧力は、9月11日の選挙以後、小泉純一郎首相を旗頭として無条件にアメリカに追従する右翼が強大化する方向へと導くかもしれない政治的危機と符合している。郵政民営化の問題を超えて、どうすべきかは日本人の社会の選択にかかっている。アングロサクソンの自由資本主義への追随か、またはより社会民主主義的な方向づけか、小泉氏が実行している乱暴な統治手法による政治か、あるいは妥協を基本とする民主主義に適合した政治か。結局、近隣地域の舞台における日本の地位が問題だ。
(以下略)
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