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教科書の件はともかくとして、今回の政変について、
小泉首相を猛烈に批判しているのを発見しました。
私はおどろきました。
この怒り方はハンパじゃありません。
こういう立場の人まで、これほど猛烈に小泉首相を批判するに至るとはね。
近いうちに、小林よしのり氏の小泉政変批判も読めるかもしれないなー(笑)。
以下は全文引用
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▲2005年08月17日
小泉政変への私の対応予定
杉並区で私たちの歴史教科書が採択された日の夜、つくる会の理事会があった。議案の討議がすべて終ってから、別れる前にひとことと許しを得て、私は理事の前で、教科書とは関係がないがと断った上で、此度の政変、郵政改革の日本経済への危険な破壊性、それを無視した衆議院の無謀解散について、個人的に断固反対理論を展開するつもりだと告げて、了承を得た。
4年前の教科書採択で、栃木県のある地区が扶桑社版をいったん正式に取り決めてから、マスコミの攻撃と韓国からの外圧で覆した事件があった。参議院で否決されたら、衆議院に再送するのが憲政の常道で、衆議院を解散するのはルール違反において栃木県の田舎芝居と同じではないか、と私は言った。教科書のことで怒るなら、この件でも怒らなければ筋が通らない、と。
今月は月刊三誌を予定している。今日8月17日に執筆をスタートする。(論文の内容はいつもの通り当日録には発表しない)。
8月15日に今年は靖国神社に大変な人数の人波が訪れた。日本会議主催の国民集会で2時過に頼まれていたスピーチを果した。日本人は戦争を思い出すことが難しくなった、と私は言った。私が若い人からもらったある手紙と、7月末の「朝まで生TV」の旧軍人と田原さんの対話の食い違いと、この二つから、過去を思い出すことがいかに難しいかを悟った、と語った。
そのために、世間では反省とか責任とかをめぐって日本人が責められる議論と、それへの日本人の立場を弁明し主張する議論と、この両方の高まりがいまみられるが、後者の弁解、弁明、釈明はもうやめようではないかと私は訴えた。サンフランシスコ講和条約の11条に関連して東京裁判の受諾は「裁判」か「判決」かをめぐる議論ももちろんあってよいが、これもやはり弁解、弁明、釈明の域を出ないではないか。もうそういう受け身の姿勢をやめようではないか、と。
これではいつまで経っても過去を思い出すことはできない。過去を思い出すのは歴史の理解を通してである。私はそう述べて、日清、日露から以後の日本史について新しいヒントを語った。5分ほどで語ったので、意を尽していない。私のヒントは大きく展開される段階にまだ達していない。
この日小泉純一郎氏は靖国に来なかった。私はどうせ来ないと思っていたから腹も立たなかった。
私が痛憤やるかたなく思っているのは、財務省の巨大な不始末を覆い隠すための郵政改革法案の国家犯罪的性格の危険な内容である。国民が知らぬのをいいことに、憲法違反かもしれない衆議院解散をして、大衆だましの目くらまし選挙戦術でこの国をドン底に落とす結果になりかねない独裁政権暴走の序曲の始まりである。(詳しい内容は雑誌論文を待たれたい)。
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