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日本の小泉純一郎首相は15日、敗戦60周年を迎え、「かつて植民地支配と侵略によって多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に多大な損害と苦痛を与えた」とし、「痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明する」と述べた。
日本の歴史に対する“反省”の首相談話は、95年の村山首相談話以来、10年ぶりのことだ。
談話は村山元首相の談話と大同小異の内容だ。アジアの平和維持発展のため、協力すべき対象として韓国と中国を具体的に取り上げたことが唯一の差だ。
談話が発表された日とその前日、中川昭一経済産業大臣をはじめ、小泉内閣の大臣3人が第2次世界大戦のA級戦犯の位牌のある靖国神社を参拝した。中川経産相は「参拝の性格が公的か、私的か」という質問に対し、「私は現職閣僚」と言い切った
政府自民党をはじめとする与野党の国会議員47人も、靖国神社に行って頭を下げた。
日本は一体なぜ、戦争を反省するとしながら、戦犯の位牌が祭られている靖国神社への参拝を繰り返しているのだろうか。日本は一体なぜ、アジア人の心にまったく響かない「反省談話」を60年間繰り返しているのだろうか。
もっとも根本的な原因は、すべてのアジア人が、この100年間体験した歴史を日本だけが勝手に解釈しようとする強引な態度を取ったためだ。
日本に侵略された韓国や中国をはじめとするアジアの人々は、大陸への侵略、南京大虐殺、強制徴用、従軍慰安婦、731部隊の生体解剖の残酷な歴史を体験してきた。
にもかかわらず、日本はこのアジア人がともに体験した歴史に背いて、日本が記憶したい歴史だけを取捨選択するという姿勢をとってきた。
反省とは、基本的に「共通の記憶」と「共通の体験」を前提とする。現在、日本が推し進める教科書歪曲は、結局このアジア人の「共通の記憶」と「共通の体験」を否定することだ。
そのため、「過去を賛美しながら、その過去を反省する」という論理的矛盾を繰り返しているのである。
日本がアジアの「共通の記憶と共通の体験」を否定する限り、真のアジア人になれない上、真のアジア人になれない限り、真の世界人にはなれない。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/08/16/20050816000006.html
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