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ニューズウィーク日本版が2年前のイラク侵攻開始の時のように、ブッシュの使用人小泉翼賛になってきた
思わず「座布団一枚!」と言いたくなるほど、嘘にも等しいデタラメな論評に満ち満ちてきたニューズウィーク日本版。
なかでも、次のものなどはひどい!
≪小泉が選挙で勝ったらどうなるか。最高のシナリオとしては、従来とはかなり異なる自民党──わかりにくい派閥の理屈と既得権ではなく、
小泉君の最大の問題=悪徳は、この説明責任(アカウンタビリティ)のなさと、政策自体の議論をしないことです!
ニューズウィークの言う説明責任とは
「非戦闘地域がどこなのか、一カ所でもいってほしい」と問われ、
「どこが戦闘地域で、どこが非戦闘地域か、今、私に聞かれたって分かるわけがない」(ジュンイチロウ・カイカク・コイズミ)
また、「イラク特措法における非戦闘地域の定義を言ってください」と質問され、
「自衛隊が活動している地域は非戦闘地域なんです」(ジュンイチロウ・カイカク・コイズミ)
などがそうらしいが、それならまず、辞書の【説明責任】の項をカイカクして変えてから言ってくれ!
単なる馬鹿なのか、絶海の孤島で読売だけを読んで書いているナマケモノ記者なのか、アメリカに軸足を置いて書いている嘘が得意なたぬきさんなのか、とにかく「座布団一枚!」
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『原発事故はなぜくりかえすのか』高木仁三郎著から…(略)…
結論を内包した委員会
こうしてみると、政府の各種の委員会というのは、すでに最初から結論の大枠の方向が予定されていて、委員の構成もそれにそって決定されていると考えられます。委員会が三カ月間開かれようと、一〇カ月間、あるいは一年間開かれようと、すでに委員会ができた段階において、およその結論の方向づけが内包されてしまっているのです。
原子力の場合には、この種の人選は、原子力委員会や原子力安全委員会、科学技術庁や通産省の役人がやっているのでしょう。人選の結果が新聞に発表されると、推進派ばかりだとか、同種の人たちばかりが含まれているではないか、ということがよく言われます。それは一般的に政府の好みの人たちだという以上に、私が内うちにやり取りした際の感触からすると、最初からかなり緻密にある種の結論を内包するような作業をやって、それから人事を決めているという感じがあります。
くりかえしになりますが、こういうことも自己検証がなされないということに通じると思います。結局、他者による検証を受けないで自己採点をやっている限りは、徹底した検証をせずに済むので、第三者的な客観的な評価を最初から避けることになるのです。公的な委員会の公の立場というのは、政府が決めています。前章でも述べましたが、、人ひとりの個人が公の立場を持っていて、それのぶつかり合いで最終的に公共的なものが決まってくるというよりは、最初から政府が公共的な立場なるものを持っていて、その枠の中で都合のよい結論が出るように人材を配置するというのが政府のポリシーになっているように思えます。アカウンタビリティー
これと密接に関係してくるのは、昨今よく言われているアカウンタビリティーという言葉です。近頃は政府も積極的にアカウンタビリティーという言葉を使います。だいたい日本の法律では横文字の言葉は通用しないことになっていますから、政府も以前はあまり使いたがらなかったのですが、日本にはアカウンタビリティーに対応するうまい言葉がないらしいので、政府も最近はアカウンタビリティーという言葉を盛んに使うようになりました。
いま、政府の政策の透明性ということが問題になっています。原子力問題だけでなく、たとえば薬害エイズの問題であるとか、長良川の河口堰建設の問題など、いろいろな問題で、はたしてその計画に合理性があるのか、費用対効果の関係においてメリットがあるのか、住民の意見は反映されているかなどが厳しく問われ、政府はおのれの行った計画について透明性やアカウンタビリティーを持たなくてはならないということが盛んに言われるようになりました。多分これはアメリカあたりから国際的な交渉の中で言われるようになったために出てきた言葉でしょう。
原子力の分野でも、『原子力白書』にアカウンタビリティーという言葉が登場するようになりました。アカウンタビリティーというのは、政府はふつう「説明責任」と訳すようですが、原子力の場合にはご丁寧にもただの説明責任ではなくて、「分かりやすく説明をする責任」というような訳し方がなされました。
しかしこんなふうに言われると、私にはこれは違うという気がするのです。ふつう、わかりやすい言葉というと、どういうことを連想するでしょうか。原子力には難しい専門用語が多く、たとえば「もんじゅ」の温度計のさや管の取り付け部分の”曲率半径”とか、あるいは放射性廃棄物の地層処分に関連して”ガラス個化体”とか、さらにもっと専門的になってくると地下における水の流れの”動水勾配”などという専門用語があり、それらは我われ一般人が見ることのできるようなレポートにも出てきます。そうすると必ずレポートのうしろのほうに比較的わかりやすい言葉でその専門用語の説明がついているのですが、必ずしも正確な説明ではなく、半分宣伝のような説明も多いのです。たとえば核燃料リサイクルという言葉については、一回使った核燃料を処理して燃える成分を取り出し、もう一回燃やして燃料をリサイクルすることである、というような説明がついています。この説明だと、いかにもリサイクルして得をするような気がします。けれども、核燃料リサイクルの場合は、実際にはリサイクルされるのは燃料のうちの一%以下にすぎませんし、その過程でまた新たな核のゴミ(放射性廃棄物)が出ますから実際にはリサイクルになっていないのです。「わかりやすい説明」などといっても、実は少しも説明になっていないわけです。
アカウンタビリティーというのは、むしろレスポンシビリティー、責任という言葉に近い語感を持った言葉です。ですから、説明ということに力点があるのではなく、責任ということに力点があります。
責任というのはどういうことかというと、たとえば何か政府の計画があった場合に、それがどういう意味を持っていて、国民の税金にどの程度値しているか、そこからどういうネガティブな影響が出るかというようなことについても、詳しく検討をして、国民に明らかにする、そういう説明の責任を指しているわけです。
別の面から考えると、アカウントという言葉には会計という意味があります。ですから、アカウンタブルというのは、お金の使い道がはっきりしているということになります。たとえばタックスベイヤー、すなわち税金を払っている人に対して、税金の使い道を具体的に示し、金を使ったメリットが国民にこれだけ反映されて返ってきますというように、わかりやすく説明する。わかりやすくという意味は、この場合には、言葉をやさしくするという意味ではなくて、筋道がはっきりつくような形で説明する。これがアカウンタビリティーだと思います。
そもそもアカウンタビリティーは、いつも自分のやっていることが公的に説明できるというようなプロセスを踏んでいない限りは、成り立ちようがないでしょう。委員会をつくる場合に、こういう人選なら政府に都合の悪い結論は出ないだろうというようなことを、密室であらかじめ打ち合わせ、そこから人が選ばれて、委員会が構成される。こういうプロセスはきちんと説明しようとしても説明できない。だから、アカウンタブルではあり得ません。そもそもアカウンタブルでないことをやっているのですから、アカウンタビリティーなどと言っても、「わかりやすく説明をする責任」というように逃げてしまって、理科の先生が理科の授業をするのにわかりやすい言葉を使って生徒に説明する、そういう責任が政府のお役人にもあるんですというような言い方をする。これは私には国民を愚弄する言葉だとしか思えません。本来の意味でのアカウンタビリティーが、日本の政府にはまったく欠如しているのです。こういうことがやはり事故を生む体質につながってくるのではないかと思います。…(略)…
*参考
八代英太、公明党=創価学会に脅され東京12区からの立候補断念
http://www.asyura2.com/0505/senkyo11/msg/973.html
投稿者 外野 日時 2005 年 8 月 18 日
当初八代英太は自民党執行部から、議員を引退するなら八代氏の長女を自民党の比例代表上位として処遇する、と言われていた
http://www.asyura2.com/0505/senkyo11/msg/1055.html
投稿者 外野 日時 2005 年 8 月 19 日
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