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以前から、時々テレビの画面を流れる「閣議風景」が、極道(任侠道)の親分(及び子親分)方の集会の光景とソックリであることが気がかりでした。得たいが知れぬ鵺(ヌエ)のように不気味なご面相の内閣総理大臣を中心に悪形相の閣僚ご一同様がズラーッと居並ぶ“恐ろしげな異空間・キャビネットの映像”は、極道たちの集会風景とまったくソックリです。 そして、ここ数ヶ月、その中心に居座る内閣総理大臣の形相には、日毎に“ペテン師”か“詐欺師”のような空気が漂い始めています。
<注>このような光景(暴君が支配する悪政の寓意)を描いた14世紀イタリア(トレチェント/trecento)の名画がある。それは、アンブロジオ・ロレンツェッティAmbrogio Lorenzetti/ ? -ca1348)が、シエナ市庁舎の壁に描いた『悪政の寓意』「『Allegoria del Gattivo Gererno(particolare)/善政の寓意』ca1338-1340 affresco、Palazzo Pubblico 、Siena」の部分) 画である。
・・・この画像は下記のURLでご覧ください。
http://www1.odn.ne.jp/rembrandt200306/friend.htm
今や、“極道者の本性”を露にした内閣総理大臣と配下の与党本部は、憎き裏切り者たち(郵政リフォーム法案反対派)を徹底粛清するため、数多の美女の手練(てだれ)と容貌怪異な“刺客”を選りすぐり抗争現場へ送り出しています。そして、愈々、『小泉劇場・亡国のリフォーム』のクライマックス(解散・総選挙劇)です。しかし、我われ一般国民は、この演題『亡国のリフォーム(郵政リフォーム法案)』だけに目を奪われることはできません。なぜなら、“小泉リフォーム(改革)詐欺”の第二弾は「国民皆保険原則の放棄」という、非人道的で残酷きわまりないものとなる恐れがあるからです。
小泉内閣は、国家財政の重荷を解消することを大義名分に、日本の医療制度改革の重点課題として「混合診療」の導入を検討してきました。[http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news_i/20041215so11.htm)] 「混合診療」とは“健康保険の適用範囲内の診療(治療分)は健康保険で賄い、保険適用範囲外の診療については患者自身が費用を支払うことで、結局、健康保険で支払う部分と自費負担の部分が混合する診療形態”のことです。しかし、現在の日本の健康保険制度は、「国民皆保険の原則」によって、健康保険適用範囲外の診療に関する費用を患者から徴収することを禁じています。従って、例えば「差額ベッド代」がかかる場合でも、患者自身が「差額ベッド代」が必要な病室の利用を希望しないにもかかわらず、もし病院側の都合でその患者を「差額ベッド代」が必要な病室へ入院させた場合には、その患者は高額の「差額ベッド代」(おおよそ月当り1万円以上)を負担する必要がありません。というより、このような場合に患者が自己負担することを現行の健康保険制度は認めていないのです。
一方、このような場合に、もし患者から費用を別途に徴収すると、その病気に関する一連の診療費用は、初診のレベルまで立ち戻り、患者が「自由診療」を選択したことになり診療費用の全額を患者が自己負担するというルールになっています。従って、現行の健康保険制度の下では現実的に患者がそのような選択をすることはあり得ないのです。そして、現在の診療体制では、今説明のための特殊な事例として取りあげた「差額ベッド」がかかる特別の病室及び新しい高度医療技術や新しい薬品類のごく限られたものだけについて、例外的に患者から別途費用を徴収することが認められているのです。
<注>しかも、現実には、ここで説明のために取り上げた「差額ベッド代」は“例外の取り扱い”となっており、その代金を患者が自己負担しても一連の診療費用が初診のレベルまで遡行して患者が診療代の全額を負担することにはなりません。
そこで、単純に考えると、「差額ベッド代」に準じた例外のケースを増やせば「混合診療」の下では、健康保険適用外の診療を受けても全額自費負担になることがないので、現行制度よりも患者サイドにとって便益性が高まり、ガンなどの難病の治療では患者が大きなメリットを受けることになるのでは?という甘い期待を持つ人々がいるようです。これが、そのとおりであれば結構なことでしょう。しかし、考えてもみてください。日本政府(小泉内閣)は、国家財政の重荷を解消するためと称して「混合診療」を導入しようとしているのです。だから、この前提条件と逆になる、つまり現行制度より国家の財政負担が重くなるような制度を敢えて導入するはずがありません。
実際は全くその逆で、「混合診療」が導入されると診療現場(病院)では、むしろ患者の負担増が増す可能性が非常に高くなります。現在、政府は健康保険が適用される病気名・診療行為・薬品などを根本から見直す作業を進めています。このことは、政府側のさじ加減一つで「保険適用外」の病気や診療活動が増える可能性が高まることを意味します。と、すれば「混合診療」が導入されることで「保険適用外」の診療費用は患者自身が負担することに対する現在の法的な制約が解除されることになります。そうなれば、病院は堂々と「保険適用外」の診療代を患者へ請求することができるようになる訳です。その結果、金持ちと貧乏人の間に病気診療を受ける機会に関して大きな差別が生まれることになります。これでは、費用を自己負担する能力がない貧乏人の重病患者は、適切な診療を受けることができないまま死を待つのみという悲惨な状態になります。
また、現在の健康保険制度では、保険適用が認められない薬は市場に出せないため、製薬会社は新薬承認を得るため多額の費用・時間・人手をかけて臨床試験に真剣に取り組んでいます。ところが、「混合診療」が導入されると、自由診療で利用可能な新薬として市場に出せば、いくら高い値段で売っても金持ち階級の患者が一定量以上は買ってくれるようになると期待されています。この結果、臨床試験に関して製薬会社のモラル・ハザードが発生することにつながる恐れもあります。そして、金持ちは有効で高価な新薬を使って難病を治療できるが、貧乏人は効果が薄く廉価な保険適用の薬しか使えないという差別が生まれることになるでしょう。
すなわち、これらの観点からすると、“小泉リフォーム(改革)詐欺”の第二弾では、現在の日本における社会福祉行政の基本原則(理念)となっている「国民皆保険制度」(日本国憲法による生存権の保証)が、事実上、放棄されることになるのです。このように重要な論点が「混合診療」の問題には隠れています。また、このように深刻で重要な問題が、強権的な政治スタイルで独断的に決定されるようになれば、それは日本国憲法が定める「主権在民」の原則にも抵触する懸念があります。このように「国民の生命(いのち)を脅かすような問題」が、「郵政民営化法案」の二の舞で国会での十分な議論さえもないまま、政府御用達の学識経験者等が構成する「●●ララ▲▲審議会」の答申を受けて、その基本的方向性がドシドシ閣議決定されることになる恐れがあるのです。何故に、主要なマスコミが、このように重要な問題点を全国民的な議論が沸騰する方向へ盛り立てる努力をしないのか不思議です。これも、ひたすら米国政府の「年次改革要望書」に基づく、対米追従ありき故なのでしょうか? それとも、巷の噂どおり、もはやマスコミも金権支配に屈したということなのでしょうか?これでは、いつまで経っても“絶対に屈しない”のは『国家的リフォーム詐欺の大棟梁』だけというlこなりそうです。
(参考1)
医事評論でご活躍される李啓充氏(京都大学医学部卒、ハーバード大学助教授等を経て医事評論家)の下記の著書(●)、
HP( http://www.jmcnet.co.jp/igak2003/igakuri.html)などを参考に、「株式会社による病院経営」が主流となっているアメリカにおける「混合診療」と「病院経営の株式会社化」がもたらした弊害の事例をまとめてみます。
●李啓充著『アメリカ医療の光と影/医療過誤防止からマネジドケアまで』、『市場原理に揺れるアメリカの医療』、『市場原理が医療を滅ぼす/アメリカの失敗』
[HCA社のケース]
HCA社HP/http://www.hcarichmond.com/default.asp
現在、HCA社はアメリカで最大手の株式会社による病院経営チェーン組織。(病院数190、売上2兆強)創業当初は、経営戦略上からライバル病院を買収した上で閉鎖し、この手法が成功して拡大戦略として定着する。結局、ライバルを買収・閉鎖して市場の独占を図れば、思うとおりの高値の診療代を患者へ要求することが出来るようになり経営上の大きなメリットとなった。(・・・これでは貧乏な患者の立場などそっちのけということになる。)また、HCA社は、2002年、診療報酬の不正請求を認めて罰金1,000億円のほか、不正請求7,500億円をアメリカ政府へ返還した。
[テネット社のケース]
Tenet社HP/http://www.tenethealth.com/TenetHealth
テネット社は全米で第二位の株式会社による病院経営チェーン組織。(売上約1.3兆円)カリフォルニア州政府が調査したところ、入院患者一人への請求額が他病院より63%高いことが判明。また、2002年、テネット社の某病院は、健康な多くの患者に無用の心臓手術を行った疑いでFBIの捜査を受けた。
(参考2)
Blog記事、「『極道の妻(おんな)たち、情炎』に見る“閣議風景”の原点 」の再録(一部修正&コピペ)
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050406
●「シリーズ『民主主義のガバナンス』を考える(4/4)、第四章 議会制民主主義における「政党」の役割とは?」(下記URL?)の“研究用教材”になると思い、映画『極道の妻(おんな)たち、情炎』(東映作品/下記URL?、?)を鑑賞してきました。
?http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050405/p1
?http://www.universal-
music.co.jp/polydor/artist/utakawam/gokutsuma.html
?http://movie.nifty.com/cs/catalog/movie_677/catalog_B00320_1.htm
●「上記のシリーズ」最終回(4/4)で、“任侠道”と“政党”(特に政権与党)の類縁性を取り上げたので、丁度タイミングのよい鑑賞の機会となりました。そして、心の奥底から両者の類縁性について納得できました。
●このシリーズの初代を演じた女優が岩下志摩、二代目・十朱幸代、三代目・三田桂子、そして四代目が高島礼子(第一作、’99年)です。今の時代は、威勢がよい任侠アクション映画でも、ウジウジとした無気力な男どもが演じるより元気な女優さんたちの方が、よほど華があって見栄えが良く映画を観た後にスカッとします。全くタイプが異なる高島礼子と杉本 彩の絡み具合も絶品でした。
<注>彼女たちがスクリーンから放出するオーラは、『小泉劇場』の“主演女優”たちとは別世界のものです。
●予想のとおり、極道(任侠道)の親分・子親分方の集会(ヴァチカンのコンクラーベ風?)の光景は、与党の会合の様子とソックリの雰囲気でした。それより、もっとピッタリなのは、時々テレビのニュース映像で流される“閣議風景”です。得たいが知れぬ鵺(ヌエ)のように不気味なご面相の内閣総理大臣(映画では、大親分)を中心に悪形相の実力(?)閣僚たち(同じく、それぞれ個性的なケモノ顔の子分たち)がズラーッと居並ぶ“異空間”は、極道たちの集会風景とまったくソックリです。
●愈々、「憲法改定の自民党案」がまとまり、再び活発な(A)「軍隊と国体のかかわり」についての論議が始まりそうな気配です。この問題で、いつも疑問に思うのは「絶対平和主義」と「国のあり方としての平和主義」の違いを混同している人々が多いのではないか、ということです。(ただ、今のところ筆者は、これ以上この論点を深める知識は持っておりません)
●一方、相変わらず(B)「郵政民営化問題」と(C)「ホリエモン現象」がマスコミの売り上げ(視聴率と販売部・冊数の伸び)に大いに貢献しているようです。これら(A)〜(C)に共通していると思われることがあります。それは、より肝心の原理・原則的な問題を忘却している人々が多いということです。
●より肝心なこととは、日本の国のフレームそのもの(=国家のあり方、あるべき将来像)をどのような方向へ持っていくべきかという問題意識です。大方のマスコミも政治家も学者の先生方も、バカではない(失礼ながら!)ので、このことに気がついているのですが、“ともかく俺だけは負け組みになる訳にはゆかぬ”というエゴイスティックな思いや目先のカネ欲しさと保身などから、彼らの本分(本来の役割と使命感)を捨てて知らぬ振りをしているのです。
●結局、彼ら大方の日本のリーダーたちは、ほとんどの国民が気づかぬ(あるいは騙されている)のを良いことに「民主主義のガバナンス」(国のフレームのあり方を考えること)は脇に置いたまま、お上(政治権力者、高級官僚たち)と「新自由主義思想」に被(かぶ)れた(魂を売った)御用学者たちがお墨付きを与える「競争社会」という“単純で粗悪ななフレーム”の中で悪賢く立ち回る為政者たちが派手で陳腐な「三文オペラ劇」を演ずるのを見て、とりあえずヤンヤと囃し立てているだけなのです。
<注>「シリーズ『民主主義のガバナンス』を考える」(1/4)〜(4/4)については、下記URL(★)を参照してください。
★(4/4)http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050405
★(3/4)http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050329/p1
★(2/4)http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050328/p1
★(1/4)http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050327/p1
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