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8月2日―メディアを創る
国連安保理常任理事国入りに冷淡になった小泉首相
2日の日経新聞に一段の小さな記事が載っていた。それはニューヨークから帰ってきた町村外務大臣の報告を聞いた小泉首相が、記者団に語った言葉である。日経新聞の記事にはこう書かれている。
「・・・(小泉首相は)日本の目指す常任理事国入りに向け、大票田のアフリカ連合との連携に努力するよう指示した。ただ、この後、記者団に、『非常に厳しい状況だということだった』と語り、決議案採択のメドが立たないことを明らかにした」
黒を白と平気で言い張る小泉首相が、国連常任理事国入りについてここまであっさりと本音を記者団に語った。これは何を意味するのか。もはや彼は安保理入りに関心がなくなったということだ。おそらく町村外相から米国の反対の立場を聞かされたのだろう。米国に逆らってまで固執するほどのものではないとあっさり豹変したのだ。小泉首相の考える政策とは所詮その程度のものだ。
そういえばこの記事の隣に、8月1日から日本が安保理事会の議長になるという記事が出ていた。その記事の内容はあまりにも皮肉的である。その記事はこう書かれている。
「・・・(議長国は)安保理メンバーがアルファベット順に月替りで努めるものである。安保理決議案を提出したばかりであり、指導力を発揮したいところだが、残念ながら夏休みシーズン。出番はなさそうだ・・・」
もともと日本の国連外交はこの程度なのである。
勝負がついたNHKの政治圧力問題
政治的圧力によってNHK幹部が番組を変更したことは、当初より誰の目にも明らかであったのに、やれ安倍、中川両議員がNHKの職員に会った、会わない、会ったのは事前だった、いや事後だった、朝日の記者の取材方法が悪い、隠し録音は信義に反する、などと、論点をそらす議論がまた蒸し返されようとしている。しかしその論議も、8月1日に発売された月刊現代9月号の「政治介入の決定的証拠」という記事で終止符が打たれた。
この記事は朝日新聞の内部資料に基づいて書かれた可能性が強い。従って、これに怒ったNHKや朝日新聞批判者が、朝日の意図的な漏洩であると怒り、自民党は、これからは朝日の取材には応じないといった子供じみた対応を見せている。
しかしこの問題は、政治的圧力が確認されたことで決着がついたのだ。私は別に朝日の肩を持っているわけではない。仮に朝日の取材やその後の対応に批判される面があったとしても、だからどうだというのか。その事によって安倍、中川両氏の、政治家としての軽率、傲慢な行動が許される訳はなく、政治家におもねるNHKのジャーナリズム精神の放棄が容認されるものでもない。
8月2日の日刊ゲンダイ紙上で、「政府介入の決定的証拠」の執筆者であるフリージャナリスト魚住昭氏が次のごとく述べている。私は魚住氏の言う通りであると考える。
「・・・そこには松尾武・元NHK放送総局長や安倍晋三、中川昭一両議員が朝日の取材に答えた言葉が一言一句まで記されている。お読みになれば、従軍慰安婦問題をめぐるNHKの特集番組が政治的圧力によって改変された事実がはっきりとおわかりになるだろう・・・それを見れば松尾元総局長や中川議員は政治介入の事実を疑う余地がないほど明確に認めている。後になって『記事は自分の発言をねじ曲げたものだ』(松尾氏)とか、『当方から放送内容の変更や中止に関しては一切言っていない』と言いつくろうのは無責任極まりない態度である。安倍氏の姿勢も決して褒められたものではない。彼はテレビや雑誌のインタビューなどで、朝日の記者が『夜遅くにいきなり』やってきて(事実は夕方6時ごろだった)、夫人が『主人は風邪で寝込んでいます』と言ったのに『家内を脅かした』、とか『5分間にわたってインターフォン鳴らし続けた』、などと言いたい放題のことを言ったが、取材記録(これは録音されている)にはそんな形跡は全くない。ごく常識的な取材だったと断言していい・・・
いつのころからか、この国の言論空間は虚言・妄言の類に支配されるようになった。 週刊新潮は政治介入を告発したNHK職員と朝日記者を何の根拠もなしに、『変更プロデューサー』、『極左記者』と決めつけ、彼らを社会的に葬り去ろうとした。少なくとも事実を重んじる雑誌なら自らの行為を恥じたほうがいい。でなければいつかきっと読者に見放されてしまう。」
トーマス・シーファー米国駐日大使
歴代の米国駐日大使が、誰といって特別に日本の為になることをしてくれたわけではない。だから今度のトーマス・シーファー大使にしたって、とくに悪い訳ではない。歴代の大使と同程度に、日本にとって為にならない大使の一人に過ぎない。
しかしおそらくこのトーマス・シーファー大使は歴代の米国駐日大使の中でも、日本にとってもっともなじみの薄い大使で終わるであろう。
それにはいくつかの理由がある。まずこの大使は日本の外務官僚や政治家にとっておよそ馴染のない米国人であるということだ。もともと米国内に人脈を築けていない日本の外務官僚や政治家にとって、歴代の駐日米大使についても特に親しい関係にあった訳ではない。それでも、歴代の駐日大使が政治家や官僚経験者であったために、それなりの馴染はあったし、それをわずかな取っ掛かりとして、共通の話題を見つけることの出来る人達であった。
しかし今度のシェーファー大使はそのいずれでもない。それどころか外交はおろか、国際問題にまったくといっていいほど知見のない典型的な米国人である。ブッシュ大統領との関係が極めて深いというただそれでけで、駐日大使に任命された人物である。日米同盟の重要性を声高に叫ぶ割には米国人との裸の付き合いが出来ない日本人は、このような典型的な米国人と親しい関係を築く事にまったく弱い。着任して半年も経つというのに、シーファー大使に関する新聞記事や報道がないのもその為である。
シーファー大使が日本に馴染が無いまま日本を去ることになると考えられるもう一つの理由は、彼がブッシュ大統領の意向を実現するというだけの大使に終始するだろうからである。本人もその積りで日本に来ている。日本を理解しようとか、日本を好きになるつもりで日本に来ている訳ではないのである。
8月2日の日経新聞、「ひと スクランブルー人間発見」において「人間発見」は、このようなシーファー大使の正体を、みずからの言葉で明らかにしている。見逃せない貴重な記事である。
すなわち日経新聞に述べているシーファー大使の言葉はこうである。
「・・・ブッシュ大統領が再選キャンペーンを本格的に指導させていた2004年の夏、私は駐豪米大使の職責を終えて帰国する積りでした。そんな私の元に、ある人物が突拍子もない提案を持ってきました。それはアーミテージ国務副長官でした・・・アーミテージ氏はパウエル長官にそのアイデアを話し、ブッシュ大統領に『シーファー大使起用』を提案したそうです。大統領はその案を気に入り、04年の11月に再選を決めるとすぐ私に電話を入れてきました・・・前任のハワード・ベーカー氏、トーマス・フォーリー氏、マイク・マンスフィールド氏ら米政権の大物と違い、私にはワシントンでの経験、キャリアはありません。しかし、大統領との個人的な関係には絶対的な自信があります。
だからといって我々はそうした『個人的な関係』だけに依存しているわけではありません。むしろその逆で日米関係をそうした個人的なものに依存している状態から脱却させたい、と思っているのです・・・」
その後のシーファー大使の言葉は衝撃的である。このシーファー大使の次の一言を強調するため私はこの『メディアを創る』を書いたようなものだ。彼はこう言っているのである。
「・・・『日米関係の機関化(Institutionalization)』とでも呼べばいいのでしょうか。そうしたものへの基盤を我々の時に作り上げる事。それが大統領と駐日大使である私の『共通の目標』なのです・・・」
この機関化(Insutitionalization)という言葉こそ米国が日本をまともな主権国家と考えていないことを証明するものだ。これは誰が大統領になろうとも、誰が駐日米国大使になろうとも、日本との関係を一つの制度としておこう、すなわち固定的なものにしておこうということだ。つまり日本を米国のいいなりになるような国にしておくということなのだ。「突拍子もない提案」を大統領の要請で受け入れざるを得なかった、およそ外交官らしくないシーファー大使が、口を滑らせて本音を日本の大手新聞に漏らしたのである。
このシーファー大使は日本に赴任する前の在豪州大使の時、あまりにも米国の考えを露骨に豪州に押しつけようとして豪州の反発をくらったという。
駐日大使として日本で同じ過ちを繰り返さないように切に願うものである。
http://amaki.cc/bn/Fx.exe?Parm=ns0040!NSColumnT&Init=CALL&SYSKEY=0113
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