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7月24日―メディアを創る
彼女は泳ぎきった
内外に事件が続出している。書きたいことは多くある。しかし今日はこの新聞記事についての感想だけを書きとどめたい。
24日の東京新聞で見つけた、佐藤次郎記者の「私設 論説室から」の小さな記事だ。
障害者スポーツセンターを訪ねた時に何気なく見た光景を、彼はこう綴っている。
「・・・25メートルを往復する女子50メートル背泳ぎ。選手たちにはそれぞれ障害がある。その組の4人のうち3人は2分から3分ほどで泳ぎ終えた。だが、端のコースにはその後もずっと、一人の選手がとどまっていた。彼女は手足がかなり不自由で、手先だけですこしずつ水面を進んでいたのだった。泳ぎは遅々としていた。ちょっと離れた観客席からだと、ほとんど進んでいないようにさえ見えた。だが彼女は泳ぎ続けた。5分がたち、10分が過ぎる。やっと25メートルに達した時、そこで挑戦は終わるのかと思ったが、彼女は時間をかけて向きを変えると、また同じようにしてコースを戻った。ついに50メートルを泳ぎきった時、タイムは21分44秒58を示していた。彼女は手助けを受けて水から上がった。その顔に輝くような笑みが浮かんだのが観客席からも見て取れた・・・
障害者スポーツは、少しずつ、だが確実に発展している。困難は多く、誰もが気軽にスポーツを楽しめるわけではない。それでも様々な人々が、厳しい状況を克服してそれぞれの競技と取り組んでいる。
もし元気をなくしたら彼らの大会に行くといい。帰りには勇気がわいているはずだ」
この記事を読んで、なぜか島木健作の短編「赤蛙」を思い出した。私の座右の書の一つだ。
彼らとは比べ物にはならないが、私にも生まれつきの肉体的ハンディがある。私の人生は一つにはそのハンディと戦うためのものであったのかも知れないと思うことすらある。しかし人は皆それぞれ大なり小なりのハンディや自らの運命と向き合いながら、それと折り合いをつけて生きているに違いない。運命に逆らう事のできないひ弱な人間が、自分の人生を恨みたい心と戦いながら、その運命と折り合いをつけて精一杯頑張る時、そこに私は神を見る思いがする。
この記事から連想する光景を思いながら、彼女の笑顔にエールを送りたい。そしてこの記事を書いた見知らぬ佐藤次郎記者に感謝したい。
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