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皇室に人権を! シリーズ第2弾!!「限度越す皇室への期待 文化的・象徴的な面での自由を」鈴木邦男 民族派団体顧問
皇室に人権を! シリーズ第2弾!!
朝日新聞2005年6月29日水曜日 東京版 夕刊より引用開始---------------
「乱臣賊子」としての日本人
限度越す皇室への期待 文化的・象徴的な面での自由を
「自分こそが愛国者だ」「私こそが最も天皇を尊敬している」と公言する人が多い。しかし、愛国心も尊皇心も心の中に収めておけばいい。口に出して言い立てた瞬間嘘になる。自分を正当化し、他人をそしる言葉になる。武器になる。「愛国者」同士でも、ちょっとでも考えが違うと「売国奴!」「非国民!」と罵って排除する。民族派を自負する僕ですら何度も言われた。
天皇制についても自分の考えだけを押し付ける。同じ天皇擁護論者でも、少し考えが違うと、「天皇制廃止にくみするものだ」「共産主義者だ」「反日だ」と罵倒する。左翼という「大きな敵」がいなくなった今、内部に敵を求めようとする。いやな風潮だ。
尊皇も不敬も紙一重
二・二六事件で刑死した北一輝は、「国体論及び純正社会主義」の中で、こう言っている。
「あゝ今日四千五百万の国民は殆どこぞりて乱臣賊子及びその共犯者の後裔なり」
日本人は昔から天皇を愛し、守ってきたと思っていたが、違うという。そんな忠良な国民ではなく、むしろ天皇を軽んじ、いじめ、迫害し、時には島流しにしている。乱臣賊子ばかりだと。
だったら、今の我々こそが最も乱臣賊子ではないのか。「元首になってもらいたい」と言うのもそうだ。政治的存在ではない天皇にとって、迷惑なだけだろう。又、「何としても男の子を生んでもらいたい」「女性天皇ではダメだ」「女性天皇ではもう天皇ではない」と言いつのる。これは要望でも進言でもない。脅迫だ。「いっそ側室を」などと言う人までいる。
こんなことは一般の人には言えない。家族の形態はさまざまだ。女の子だけの家庭もあるし、子供のいない家庭もある。だからといって誰も非難しない。でも皇室だけは非難される。残酷な話だ。権利もなく、自由もなく、義務と重労働だけだ。政府も宮内庁も我々国民も、それを強いている。不忠不敬な国民たちだ。
余りに思い入れや期待が大きすぎるからだろうか。それにしても限度を超えている。いや、他人事ではない。僕が右翼学生だった頃だって、途方もないことを言っていた。全共闘と闘う中で、何とか「天皇防衛の論理」を構築しようと必死だった時だ。 たとえば。「天皇アナーキスト」「スメラギ・アナーキスト」を自称する者がいた。中心としての天皇は認めるが、あとは一切の権力・権威を認めない、と言う。又、我々の守るのは「ゾルレン(理念)としての天皇」だ。それを守る為なら「ザイン(現実)の天皇」を殺してもいい。そんな物騒なことを言う人もいた。尊皇も不敬も紙一重だ
議論、決めるのは皇室
今から考えれば恥ずかしい書生論だ。しかし今は、もっと恥ずかしく、失礼な議論がまかり通っている。天皇制の議論もいいだろう。「皇室典範に関する有識者会議」もいいだろう。しかし、強制・押し付けはいけない。「国民の間でこれだけ議論しました。あとは陛下に決めて頂きたい」と、それでいいのではないか。
次の天皇は誰にする。女帝にするか。旧宮家の人々を皇族に戻し、そこから考えるか。それらすべてを含めてだ。だって、日々神に祈り、日本と皇室の将来を真剣に考えておられるのが天皇だからだ。これは政治的権力を求めているのではない。天皇には政治的な力はない。ただ、いて下さるだけで有りがたいし、それだけで日本は守られている。ならば、そうした文化的・象徴的な面では全く自由にしてもらったらいい。
かつて皇太子さまがイギリス留学から帰国した時、「日本は警備が過剰なのでは」と言われた。今も政府も警察も発想は変わらない。天皇暗殺を狙う左翼がいて、それに右翼が反撃する、と。そんな時代ではない。警備は百分の一でいい。国内外を問わず、自由に出かけられたらいい。マスコミに追い回されず、そっと見守ったらいい。
「いや、そんな自由にしたら、イギリスのようになり、スキャンダルまみれになって皇室はつぶれる」と言うだろう。「だから我々が守り、監視しているのだ」と政府・宮内庁・警察は思っているのだろう。思い上がりだ。天皇を信じていないのだ。
我々が天皇を守っているのではない。天皇によって我々が守られているのだ。このままでは、天皇の方から愛想尽かしをされるかもしれない。
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