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(回答先: 「NHKは必要」大きく減少=「日本人とテレビ」調査結果(時事通信) 投稿者 熊野孤道 日時 2005 年 6 月 24 日 18:35:18)
日本人全体に対する《神殿》NHKの《刷り込み》崩壊現象は、「国民的番組」、紅白スキャンダルから爆発し始めたのである。
私は、目下、10月初旬に発行予定の新著『放送メディアの歴史』準備中である。
今から24年前、1981年発行の旧著『NHK腐蝕研究』では、以下のように、《神殿》NHK《刷り込み》の仕組みを記した。
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http://www.jca.apc.org/~altmedka/nhk-0-3.html
『NHK腐蝕研究』
序章 《自分史》的NHKの再発見から権利の確認へ
[中略]
内幸町のNHKと有楽町の朝日新聞社には、たしか中学校に入ってすぐ見学にいっている。うん、うん、何か報告も書いたような気がする。そこで押入れの隅から、埃まみれの紙箱を引っぱり出してみると、あった、あった。中学校のガリ版学園誌に、「放送の出来る迄」という八ページの小論文が載っていた。一人で書いたのではなく、「一年社会研究部員」として、わたしをドンジリに四名だけの名前があり、「外二十四名」となっている。指導の先生から参考書を教えられ、四人で分担して書いたもののようだ。まことにうすぼんやりとした記憶しかないのだが、その後もNHKと朝日新聞には、何か独特の親近感を覚え続けていたのには、それなりの理由があったのだ。その証拠物件を、いま確認できたという想いであった。
この《自分史》的再発見については、本文中でもふれるが、要点は《神殿》NHKにある。つまりNHKは、国会などとともに、思慮分別のつかぬ時期に《刷り込み》がなされる何か、なのである。
三十年前の感想文の一節には、こうあった。
「中学一年程度ならば理解出来ると言うようにやさしく説明してくれるラジオのニュース、そのかげには放送記者のなみなみならぬ努力がひそんでいるという事実を私達は知らなくてはならないと同時に又それを感謝しなければなりません」
そしていま、わたしが手にする論文には、たとえば、こう書いてある。
「放送媒体は、インテリ層がいかにその言論機関性・情報伝達機関性を軽視しようとも、イデオロギー関係機関であることは否認すべくもない」(奥平康弘『法律時報』40巻6号所収「放送における政治と行政」)
つまり簡単にいえば、NHKのニュースは子供だましだから、インテリは目もくれない。しかし、その間、NHKは、立派かどうかは別として、日本の政治機構に一役も二役も買ってきたのだ。インテリ、いい換えれば読書人がNHKを軽視するから、NHK論も、いままでは少数の関係者たちの間のものでしかなかった。そして井戸端会議以上のものになっていなかったのではないか。それは極端にしても、少なくとも読書人の全体に通用するレベルのものではなかったのではないか。
[後略]
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