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(回答先: 沖縄守備隊長遺族、大江氏・岩波を提訴へ 「自決強制」記述誤り、名誉棄損 [産経Web] 投稿者 ルルルン 日時 2005 年 7 月 25 日 18:58:17)
軍事評論家=佐藤守のブログ日記
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20050724
「自決強制」真相が語られ始めた!
今朝の産経新聞は、「大戦末期の沖縄戦で、日本軍の命令で住民が集団自決を強いられたとする出版物の記述は誤りで、名誉を毀損されたとして、当時の守備隊長と遺族が著者でノーベル賞作家の大江健三郎氏と岩波書店を相手取り,損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こす事が23日分かった」と報じた.
沖縄勤務中に私は現地の方々からその真相を伺い,「さも有りなん」と思っていた.戦場で戦闘にまきこまれて悲惨な最後を遂げた沖縄県民達の実話は,涙無くしては語れない.牛島司令官も太田司令官も、軍民一体となって戦った沖縄県民の、純真な郷土愛と愛国心に溢れた協力に対して,深甚なる感謝を捧げて自決した事はよく知られているが,戦後その真相は「反戦活動」に利用され,捻じ曲がった方向に進んでいく.本土政府は,沖縄の悲惨な状況を勘案する余り,これら「捻じ曲げられた」著作を放置し,沖縄県民の真意を汲み取る努力をしなかった.私の在勤中も,まるで「ODA]を供与するような感覚で,「札束で頬を叩く」政治が行われつづけてきた.
渡嘉敷島や那覇市市民から,「実は自ら軍の足手まといにならぬように自決した」のが真相だが,それでは戦後補償は出ない.そこで頭の良い人が「軍命令で集団自決したことにすれば、補償される事を知り、守備隊長の『暗黙の』了解を得て表向きそうしたのさ」と語ってくれた。
「本島から降伏勧告に来た友人や兄弟を『お前は敵のスパイだ!』と住民自身が殴り殺した例も多かったが,当時は戦争中,全て疑い深かったのさ」とも聞いた.
当時の厚生省?の役人の中にも,そうすることによって,犠牲者が少しでも救われるなら…と考えたのも無理からぬことであろう.究極の「知恵」だったのだろうが,汚名を一身に受けて立った守備隊長本人は別にしても,御遺族にとっては居たたまれなかったはずである.事実,守備隊長の郷里では,御遺族に対して『鬼畜呼ばわり』され,村八分になった方もいたと言う.
今回ついに提訴に踏み切られた御遺族の心情は痛いほど良く分かる.そんな人間の気持ちに配慮することなく『他人事』の様に平然と「事実であるかのような著作」を書き,反戦活動に利用し,印税で食っていた関係者達は,当然罪を償う必要があろう.
このような沖縄戦に関する「真相」を知る機会は多かったが,ある所で私が防衛問題の講話をした時,その後の懇親会で一人の御老人が私の前に来られて,『司令官の話を聞いて,私は牛島司令官を彷彿とした』と言った事があった.当時は沖縄は「反米・反戦」で大いに揺れていた時だったから,私は直感的に『反日本陸軍』の方か?と思い,少し緊張した.ところが御老人は
「私は軍属として軍と行動を共にしていたが,牛島中将も,長参謀長も何時も快活で,毎朝陣地構築中の我々の前を通る時,『おはよう!』と声をかけて下さった.米軍に追い詰められて南部に集結したとき,住民が多数軍を頼って同居する事態となった.これでは軍は戦えないし,住民が危険である.司令官は,虎の子の部隊で住民を護衛して,小禄地区まで避難させることにしたのだが,出発してまもなく米軍の総攻撃が始まった.その時司令官は丘の上に立って『住民は逃げたか.兵は無事か』と言いながら,敵弾が飛んでくる中で住民が移動していった方向を手をかざしてみていた.私は地面に伏せていて動きが取れなかったが、一人の兵隊が『閣下!危ない!』と言って立っている司令官に飛びつき、丘の上から転げるようにして避難させた。その後牛島司令官は自決されたのだが住民を護衛していった部隊も,既に米軍が行動していたので住民と共に後退して来た.司令官は部下思いの立派な方だった」と語ったのである.
『反陸軍?』と勝手に決め込んで緊張した私であったが,そのような牛島中将と重ね合わされたことを名誉に思い,「どうしてそのような話をマスコミに話されないのですか?」と尋ねた.
御老人は『この状況じゃお分かりだろう』とだけ言って,名刺を差し出された.私は思わず『ご苦労様でした』と握手したのだが,このような実話は,至る所で耳にした.
沖縄県の遺族会編集の『いととせ』という立派な遺稿集がある.この中に収録された「体験談」は,涙無くしては読むことが出来ない.勿論,色々な悲劇も書かれているが,兵隊さんに助けられた話しも多い.
戦後60年,靖国問題に象徴されるような、あまりにも嘆かわしくも見苦しい「自虐史観」に犯された哀れな日本国民の姿に,身を呈して祖国のために戦った多くの英霊達が怒り悲しみ,真実を語って欲しい!と呼びかけておられる様に思えてならないのである.