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JR福知山線運転再開 カーブ…震える肩 妻が乗った一両目、最期の風景たどる
JR福知山線が十九日、運転を再開した。百七人の命を奪った大惨事から五十五日ぶり。敬礼、黙祷(もくとう)するJR西日本社員、車内から手を合わせる乗客…。JR西日本の垣内剛社長は「身の震える思い。安全で安心できる鉄道に」と再生を誓った。動き出した電車に、乗客や住民には「やっぱり怖い」と複雑な思いが広がった。
■シャッター前
午前四時半。JR宝塚駅の閉じられたシャッター前に妻の勝恵さん(56)を失った山口文明さん(57)=水道設備会社経営、兵庫県宝塚市=はいた。十九日午前五時に福知山線が運行再開するのに合わせ、奪われた妻の人生の最期をたどるつもりでいた。始発電車に乗ることは、運行再開が決まったときから決めていた。
「電車がきしんだあのカーブ、電車が突っ込んだあのマンション。妻の逝った一両目に乗って、目に留めておきたい」
やがて音を立ててシャッターが開く。駅構内に足を踏み入れ、「あいつも、あの日、いつもと同じように、この駅に立っていたはずだ」と四月二十五日の事故当日に思いをめぐらせた。
勝恵さんは、文明さんが経営する大阪市内の水道設備会社に向かう途中、事故に遭った。三年前に文明さんが会社の経営を担当するようになり、それまでは主婦だった勝恵さんが一切の雑務を手伝うようになっていた。
■腕を組み眺め
午前五時前、ホームに始発電車がすべりこんできた。東西線経由の木津行き普通電車。一両目に乗り込んだ。運転台の横には制服に身を包んだJR西日本の垣内剛社長がいた。そのすぐ後ろに運転士や垣内社長を見つめるようにして立った。
「この事故を風化させないよう安全運行を心がけます」。車内にアナウンスが流れ、電車は南に向かってスタートした。
事故に遭遇するまでの夫婦の日常は、帰宅時間が深夜になるためマイカー通勤をする文明さんに対し、勝恵さんは家事もするために事務所へ電車で通っていた。それを考えるといたたまれない。「自分の会社のために、妻は犠牲になったようなもの」という思いが頭から離れなかった。
電車は次々に駅に停車していく。文明さんは腕を組み、外の風景を眺めた。勝恵さんが最後の一日に見た風景を脳裏に刻みこむように、視線は動かない。
■少し頭垂れて
「まもなく事故現場を通過いたします」。塚口駅を通過し、車内に再びアナウンスが流れた。時刻は五時二十分前だった。いつのまにか外は明るくなっていた。
これまでずっと車窓から外を眺めていた文明さん。アナウンスを聞いて少し頭を垂れた。電車はスピードをかなり落として現場のカーブに差し掛かる。少し揺れを感じた。
腕を組みうつむいた文明さんの肩は一瞬、震えた。勝恵さんが最後に見た風景は、はっきりとは見られなかった。あの電車が衝突したマンションは、一瞬のうちに通り過ぎてしまった。妻が味わったであろう苦しみをじっと耐え続けた。
勝恵さんは事故に遭遇しなければ新福島駅で下車し、事務所まで歩いて向かうはずだった。文明さんは、この日、同じ道を歩き、事務所に着いた。
◇
尼崎JR脱線事故 4月25日午前9時18分ごろ、兵庫県尼崎市のJR福知山線塚口−尼崎間のカーブで上り快速電車(7両)の先頭5両が脱線。1、2両が線路脇のマンションに激突し、107人が死亡、549人が重軽傷を負った。国土交通省航空・鉄道事故調査委員会や兵庫県警は、事故の主因は速度超過と断定。JR西日本は5月末、再発防止のため、過密ダイヤの緩和や新型列車自動停止装置の導入、懲罰的な社員教育の見直しを盛り込んだ安全性向上計画を同省に提出。運転再開前日の6月18日には遺族・負傷者を対象にした初の説明会を開き、過去の鉄道や航空機事故を上回る補償に応じる方針を示した。
http://www.sankei.co.jp/news/morning/20na1001.htm