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兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故から55日がたった。「あの日、あの瞬間」に人生を狂わされた人たちは、19日に動き始めた電車を複雑な思いで見送った。愛する人を失った人、心身に深い傷を負った人、生活の変化を余儀なくされた人、そして事故を忘れてはならない人……。鉄路がよみがえり、日常風景に戻りつつある中で感じた「それぞれの運行再開」−−。
■遺族は
「私の目には『陣頭指揮を執ってますよ』というパフォーマンスにしか映らなかった」。画商だった石井利信さん(55)を亡くした神戸市の兄正元さん(57)は、運転室に乗り込むJR西日本の垣内剛社長の姿をテレビで見ながらそう思った。
同社への怒りを数十枚につづり、自分なりに事故原因を考え続けてきた。「現場の意見を吸い上げようとせず、幹部のメンツだけを優先してきた体質こそが一番の問題」という結論だった。運転再開にも「あのカーブを通過する際にどう感じるのか。いずれは乗ってみたいが、今はその気力がわかない」と疲れた様子で話した。
大学生の長女容子さん(21)を亡くした兵庫県三田市の会社員、奥村恒夫さん(57)は「大勢の人が不便を強いられている状況で運転再開に反対はしないが、発表前に連絡してほしかった。手順が違う」とJR西に不信感を募らせる。「18日の説明会で初めて説明を受けたわけで、多くの遺族が疑問を持っていた。遺族の気持ちなどおかまいなしに、すべてJRのシナリオ通りに進んでいる。説明会も運転再開も、ステップの一つという感じ。『誠心誠意』など感じられない」と批判した。【木村哲人、長沢晴美】
■負傷者は
先頭車両で頭などにけがをした兵庫県西宮市の会社員の女性(32)は、今も怖くてJRには乗れないという。「安全であれば再開自体は問題ないと思う」としながら、「『運行再開は遺族、負傷者の了解を得てから』と話していたのに、私は了解したつもりはない」。
同じく先頭車両で腰に大けがをした同県川西市の同志社大2年生の男性(20)はこの日初めて事故現場を訪れた。「電車が走っているのを見て、事故の瞬間を思い出し、怖くなった。福知山線にはしばらく乗れそうにない。利用者にとっては便利になるが、知人はまだ入院中。複雑な気分だ」と話した。【傳田賢史】
■近隣住民は
近くの工場から駆け付け、けが人を搬送した大園十喜晴さん(70)はこの日朝、現場を訪れて祈りをささげた。「『足が痛いよ』と苦痛に顔をゆがめていた若い女性の姿が目に焼き付いている。二度と起こしてはならない」。救助に当たった地元の消防団長、芝軒義一さん(60)は「あと1、2カ月もすれば何もなかったかのようになるのかもしれない。だが阪神大震災以上に悲惨な現場だった」と話した。
快速電車が衝突したマンション「エフュージョン尼崎」6階廊下では、管理組合理事長の遠山進さん(53)がそっと手を合わせ、通過電車を見守った。既に仮住居に転居している遠山さんは「カーブでの速度は明らかに落ちたが、不安が胸をよぎる。補償問題解決の道のりも遠い」と語った。【坂口裕彦、井上大作】
■献花台で
始発電車が通過した午前5時20分ごろ、般若心経を読んでいた尼崎市の男性(65)は「お寺巡りに出かけるために福知山線を利用していた。再び乗車する前に犠牲者の冥福を祈りたかった」。JR西日本の南谷昌二郎会長は敬礼して始発電車を見送った後、「ご遺族には『(再開は)まだ早い』という意見もある。信用してもらうには、実績を作ることに尽きる」と話した。事故発生時刻の午前9時20分ごろには、スーツ姿のJR社員ら約20人が黙とうした。【田倉直彦、大場弘行】
■利用者や商店主
通勤のためJR塚口駅を利用していた尼崎市の会社員、脇本三郎さん(55)は「事故後は自転車で30分かけて阪急塚口駅まで行っていた。これから通勤が楽になる」と喜ぶ一方、「事故後は先頭車両には乗らないようにしている。不安は依然残る。安全運転を」と注文をつけた。不通区間のJR中山寺駅前でたばこ店を営む小花美代子さん(63)は「客は事故後、半分以下に減った。完全に回復するまでには時間がかかるでしょう」と話した。【吉田勝】
毎日新聞 2005年6月19日 20時44分
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20050620k0000m040058000c.html