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08/17 17:20 占守島に遺族ら遺骨収集へ 終戦後の悲劇、今日60年
太平洋戦争終結後の数日間にわたり旧日本軍とソ連軍が激戦を繰
り広げた「終戦後の悲劇の島」とされる千島列島最北端のシュムシ
ュ島(占守島)と同島隣のパラムシル島(幌筵島)に八月二十九日
から九月十一日の日程で、遺族や元兵士が厚生労働省の遺骨収集・
慰霊巡拝事業で訪問する。
参加するのは遺族二十四人や元兵士ら計五十六人。占守島での同
省の遺骨収集は戦後二回目で、幌筵島では初めてだが、元兵士らの
高齢化が進み、今回が最後になる可能性が高い。
占守島では、終戦後の一九四五年八月十八日未明、ソ連軍が上陸
し奇襲攻撃。武装解除を進めていた日本軍守備隊と戦闘になり、四
日後に停戦協定が成立するまでにソ連側約三千人、日本側約三百五
十人が死亡したとされる。ソ連側は戦闘経験の浅い若い兵士が主体
だったため、精鋭が配備されていた日本側よりも多くの犠牲をこう
むった。
幌筵島には、近隣海域を船で航行中にソ連艦船に撃沈され、浜に
打ち上げられた日本人の遺体が多数、埋葬されている。
占守島で兄の井戸井重市(いどい・しげいち)さん=当時(23
)=が戦死し、今回兄妹六人で参加する北海道小樽市の湊百合子(
みなと・ゆりこ)さん(70)は「終戦を知りながら戦った兄は無
念だったはず。帰りを待ちわびていた両親の分も供養してきたい」
と話している。
元兵士の石狩市の武蔵哲(むさし・たどる)さん(83)は「ス
ターリンに北海道侵攻を断念させたともいわれる占守の戦闘のこと
を、命ある限り語り継いでいきたい」としている。(共同)
20050818 0041
[2005-08-17-17:20]