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「シンドラーの工場」博物館に 波乱の生涯紹介 ポーランド
【ベルリン=黒沢潤】第二次大戦中、千二百人にものぼるユダヤ人を強制収容所送りから救い、米映画「シンドラーのリスト」(一九九三年)でも取り上げられたドイツ人実業家、オスカー・シンドラーのポーランド南部クラクフの食器工場を博物館にする計画が進んでいる。
ポーランド文化省とクラクフ市が年内にも建設を完了させたいもので、総工費は百二十万ドル(約一億三千五百万円)。
シンドラーは当初、ナチ政権下にあったポーランドの同工場で、ユダヤ人従業員を雇って鍋やポットなどを製造していたが、工場を現在のチェコ領に移転することで、収容所に送られる運命にあったユダヤ人従業員やその家族の命を救った。
シンドラーの執務室を含むクラクフの同工場は、すでに一部が公開されており、訪問者は戦時中の写真のほか、同映画のスチール写真をみることもできる。新設される博物館では、シンドラーの波乱に富んだ人生や、彼によって命を救われた多くのユダヤ人の生涯をマルチメディアを駆使して詳しく知ることができる。
博物館建設のプロジェクトを担当するアレクサンダー・ジャニッキ氏は、エルサレムのホロコースト記念館「ヤド・バシェム」やユダヤ人団体と情報交換し、開館までにシンドラーにまつわる情報を蓄積したい意向という。
シンドラーは戦後、妻のエミリエとアルゼンチンに移住した。しかし、一九五八年に単身でドイツに戻り、七四年に死去。遺体は本人の希望によりエルサレムに埋葬された。
(産経新聞) - 7月17日2時37分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050717-00000008-san-int