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□猪木が遺骨に叫び!!「元気ですか〜」 [日刊スポーツ]
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猪木が遺骨に叫び!!「元気ですか〜」
2005年7月17日(日) 9時49分 日刊スポーツ
天国でも元気でいろ−。11日に脳幹出血で他界した橋本真也さん(享年40)の葬儀・告別式が16日、横浜市の一休庵久保山式場で営まれレスラー、ファンなど約1万5000人が参列した。師匠で、新日本プロレスのオーナー、アントニオ猪木(62)はニューヨークの自宅から駆け付けたが、航空機の都合で葬儀には間に合わなかった。だびに付され、骨になった最愛の弟子と対面。天真らんまんだった故人をしのび、猪木は「あの世でも元気ですか」のメッセージを送った。
かわいい弟子の顔は見られなかった。自分にあこがれて入門した弟子、その闘魂の継承者として活躍した橋本さんの死。猪木は葬儀に間に合わせようと、搭乗便を早めようと試みたが、満席でかなわなかった。葬儀終了から約1時間後の午後3時半に、成田空港に到着。車で、横浜市内の斎場に駆け付けた時は5時を過ぎていた。
入門時から闘魂三銃士の蝶野、武藤とともに「三バカ」と呼んでかわいがってきた。そんな橋本さんの130キロを超える体は火葬され、骨になっていた。「オレが見送ってもらわないといけないのに…。突然で言葉がない。太く短く、人生の幕引きも、あいつらしいな」。まな弟子の変わり果てた姿に、悲しみをこらえながら言った。「早く逝き 橋本真也 そのままで」−。遺族には、飛行機の中でしたためた別れの手紙を渡した。
良好な関係が続いていたわけではない。99年1月4日の東京ドーム大会では、当時直系だった小川に橋本をKOさせ、無効試合に追い込んだ。橋本さんがゼロワン旗揚げ後も、選手の引き抜き問題などで、緊張関係が起きたこともあった。それでも、猪木は関係者に「橋本の小川戦のようなプロレスが理想」と吐露していた。闘魂継承者を名乗る橋本さんは、猪木が認める存在だった。
最近の橋本さんの苦境は伝わっていた。肩の故障、団体の崩壊、金銭的にも苦しんでいることを心配していた。だが、必ず復活すると信じていた。「オレも山あり谷ありだけど、あいつもちょうど大変な時期だった。まだやりたいこともたくさんあったろう」と、志半ばで、自分より早く天国に旅立ってしまった弟子をしのんだ。
「あいつに涙は似合わないから」。猪木の意向もあり合同葬、合同興行とは別に、新日本独自の追悼興行を、10月の東京ドーム大会などで盛大に行う予定だ。「あの世でも元気で旅立ってほしい。元気ですか〜!!」。あえて悲しみを隠し、生き急ぐように逝った最愛の弟子に、猪木流の別れの言葉を送った。【田口潤】
[ 7月17日 9時49分 更新 ]