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同時テロロンドン市長指導者考
ロンドン同時テロで、ケン・リビングストン市長の言動が注目を集めている。テロ後も、いつも通り地下鉄で出勤してみせ、自ら提案した犠牲者を悼む黙とうには英国全土が応えた。ふだんは強引な政策や発言が物議を醸し、問題視されることもある名物市長だ。危機対応を問われたとき、トップが示すリーダーシップとは−。 (松井 学・ロンドン、大村 歩)
黙とうが終わると、地の底から響くような拍手がわき、約二十秒間続いた。
テロから一週間を迎えた十四日正午(日本時間十四日夜)、英国全土で二分間の黙とうがささげられた。ロンドン中心部のトラファルガー広場では、市長をはじめ数千人が弔意を表した。通りを行き交う人々は足をとめ、車も停車した。地下鉄車内でも追悼を呼びかけるアナウンスがあった。
提案したリビングストン市長は、テロで示した市民の「沈着さと勇気」をたたえ、集まった人たちに語りかけた。
「この街の市長であることを私も誇りに思う。この悲劇を乗り越え、子どもや孫のためによりよい市をつくるため、私たちの努力を倍加させよう。誰を非難し、誰を憎むかをくよくよと考えるのではなく」
広場の黙とうに参加した店員ピーター・ドネリーさん(36)は「勇気をもらった。毎朝、満員の地下鉄に乗るのは本当は怖いが、皆の気持ちが一つになってそれも乗り越えられる」と市長の言葉をかみしめた。
■パフォーマンスではなく真摯に
イスラム教信者の犯行との疑いが出ていなかったテロ直後から、市長は「爆破犯たちの行いは失敗する。ロンドンは常に自由を守り、移民者にもよりよい生活への希望を示してきたし、それは変わらない。(多民族社会で)三百を超える言語が飛び交うロンドンが今体現する姿は、人類社会の未来のモデルに近いと私は深く信じている」というメッセージを記者会見や新聞への寄稿で訴えてきた。
たたき上げの政治家だ。一九四五年生まれで、日本でいえば還暦を迎えた。昨年六月に再選を果たした二期目。与党・労働党公認だがブレア政権の親米路線には批判的で、イラク戦争をめぐり「ブッシュ米大統領は、人類への最大の脅威だ」と声を上げたこともある。社会保障給付の削減反対をはじめ左派的な姿勢からついたニックネームが「レッド・ケン(赤いケン)」だ。テロ発生を知り、ロンドンに決まった二〇一二年の五輪招致活動をしていたシンガポールから急いで帰国した。
テロ後の週明け十一日の月曜日朝には、ロンドン北部の自宅から市庁舎まで地下鉄で出勤し、「私たちは職場に行き、ふだんの暮らしを続ける」と強調した。
金融街シティーで仕事帰りの公務員のケビン・ワトキンスさん(42)は「市長の地下鉄出勤は決して政治的パフォーマンスではないよ。市民への真摯(しんし)な呼びかけだと思う。彼の政策は以前から支持してきたし、今回もロンドンのために本当によくやっている。皆が注目しているし、カリスマ性を感じるよ」と賛同する。
保険会社コンサルタントのスティーブン・リーさん(30)は、ふだん同市長を支持していない。
「政策が左派過ぎて嫌いだった。彼以外に市長の適任者がいると思っている。でも、ロンドンが多様な人々が集まる街であるべきだという彼の主張には賛成だな。9・11の時のルドルフ・ジュリアーニ、ニューヨーク市長のようなカリスマ性を、僕はリビングストンには感じないけれど、とても頑張っていることは認めるよ」
リビングストン市長への批判は多い。一昨年導入された、渋滞解消のため市中心部へ平日乗り入れる車から一日五ポンド(約千円)を徴収する「渋滞税」に市民の不満が消えない。節水を呼び掛けて「トイレの水は『小』なら毎回流す必要はない。私もそうするようにした」と述べた発言が話題になった。反りが合わない新聞記者に向かって「(ナチスの)収容所の見張り人と一緒で、いわれた分の仕事をしているだけだ」と言って、各界から謝罪要求を受けたこともある。
市民の好き嫌いも分かれる同市長だが、テロ後の対応では今のところ支持を集めているようだ。テロや大規模災害など危機的な状況に陥った場合、行政の長に求められる役割とは何か。
二〇〇一年の米中枢同時テロ発生時、ニューヨークでは当時のジュリアーニ市長が先頭に立って対策に当たり、一躍人気を集めた。
テロ発生時、現地のフォード財団にいた笹川平和財団の茶野順子事業部主任研究員は「市長はテロ直後に世界貿易センタービルの現場で自ら負傷者の救出作業の陣頭指揮に当たった。その上で毎日記者会見を開き、惨状を世界に伝えるとともに市民に冷静で信頼できる情報を提供した。それが極限の不安を感じていた市民に大きな安心感を与えた」とその手腕を評価する。
テロ以前、同市長は、世界一の犯罪都市と呼ばれたニューヨークの治安回復を市政の最優先課題としていた。その結果、治安は回復したが、強権的な政策遂行に批判も出た。
■危機管理は冷静分かち合う痛み
茶野氏は「テロ後、その評価は一変した」と話す。「危機管理という側面では冷静に、しかしテロ犠牲者への真摯な共感は率直に表明して人間性をにじませた。ガンの手術後で病み上がりにもかかわらず先頭に立ったことも、市民がヒーロー視する原因となった。また米国では公務員を尊重する気風が薄いが、市長がNYPD(ニューヨーク市警)やFDNY(同消防局)の帽子やジャケットを着て行動し、彼らの活動をたたえたことで、市当局全体への市民の信頼も強まった」
国内では一九九一年、死者・行方不明者四十三人と避難住民一万人を出した長崎県の雲仙・普賢岳の大火砕流災害で陣頭指揮にあたった「ヒゲと涙の市長」鐘ケ江管一・元島原市長が有名だ。「なによりもまず市民の不安を落ち着かせることが重要だ」と鐘ケ江氏。
被災当時、知事と激論を戦わせながら、全国で初めて人が住む地域に一切の立ち入りを禁止する「警戒区域」を設定した。体育館に避難した住民には「ここにいる職員をおれだと思って何でも相談してくれ」と激励した。
一方で、「警戒区域に入れば義援金がもらえると分かり、境界に住む住民からは『なぜウチは入らないのか』と言われたこともある。そういうとき一度決めたことは絶対に動かさないことが大事。それがリーダーにとって重要だ」と厳しさも資質の一つと話す。
危機管理コンサルタント「リスクヘッジ」の田中辰巳代表は「危機管理ではリーダーは事態を正確に把握し、今後どのように展開していくかの予測を素早く行うことが求められる」と指摘した上で、こう話す。
「不安に陥った人々からは、勇気を持ってこの不安を取り除いてくれる人は出てこないかという、リーダー待望論が出てくる。リーダーの立場にある人はそうした願いをくみ取り、不安や痛みを分かち合っているということをきちんと言葉で表明し、根拠ある説明や積極的な行動で示す必要がある」
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050716/mng_____tokuho__000.shtml