★阿修羅♪ > 管理運営9 > 995.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
Kも忘れていたし、また、忘れるのが正解とも思っていたのですが、最近2度ほど「宮本氏の名前が出てきた」ので、一度整理(総括)しておいた方が阿修羅の今後に良いのでは?とも思い、あえて書いておこうと思いました。
最近とは「ODAウォッチャーズ氏の排除」と「Kの過去からのKと宮本氏の同定=排除意向」という2点です。
宮本氏が結果的に排除された事は仕方がない措置だろうとKは考えています。それだけの事を宮本氏は行ったのは事実である。番外地もしくは昼休みから判断すれば「アラシなんて生やさしい物ではない」惨状のような物も確認できるが、それは確かに宮本氏の爪痕なのだろうと思う。宮本氏が常人とは違うパワーと行動力を持っていたことは確かだろうと思う。
しかし、宮本氏が「人一倍、阿修羅にこだわりを持っていた」事は確かだろうとKは思う。それによって、何を成そうとしていたのか?何か目的があったのか?それとも暇つぶし的自己満足を得ようとしていたのか?それはKにも分からない。しかし、宮本氏が阿修羅に愛着もしくは憎悪のような物を持っていたことは確かであり、それが、こだわりであったのだろうと判断している。
宮本氏は行動力とパワーと常人とは違う思考方法をしていたのだろうと思う。
多分だが、9割方の人間は「排除されそうになった場合は、諦める」のだろうと思う。しかし、宮本氏の場合は違った、彼は精一杯の抵抗を試みたのだろうと思う。
バカの壁にも書いてあることだが「常識を打ち破ろう」という言葉があっても「本当に常識を打ち破ってしまったら、精神異常をされる場合もある」
例えば、「結婚式で、分かれろ切れろ、という祝辞を送ったりしたら、非難される」だろう。しかし、本音で勝負するならばそのような祝辞もあって良いはずだろうとも思う。
つまり、社会というのは「少年よ大志を抱け」と言いながら「大人しい、物わかりの良い、社会の奴隷」を求めているのだろうと思う。
宮本氏の場合、管理人さんとの喧嘩という行為になってしまった。この時点で利口とは言えない状況になっている。理性とか論理性が消し飛んでしまった。とも言えるだろう。
権力者と否権力者の喧嘩になった場合、否権力者に勝期などはない。抵抗すればした分だけ「アラシ」と見られても仕方がない状況になる事が多いのだろうとKは思う。
そして、それは、そうなったのである。
残された惨状を見たとき「宮本氏というのはとんでもないアラシだった」と多くの人が感じるのだろうと思う。しかし、あきらめの悪い行動力がある人が、考えられる限りの抵抗をした場合は、多分だが、同じような惨状になるのだろうとも思う。
仮にKが排除される場合。Kは大人しく排除されるのを選ぶのか?宮本氏など問題ではないくらいの抵抗を示すのか?
多分は9割方は前者だろうと思う。しかし、場合によっては「なりふり構わない後者」になり得る可能性もあるのだろうとも思う。
そのように考えたとき、あの時の措置は最善であったのか?は疑問だろうと思う。しかし、過ぎたことは仕方がない、問題はこれからである。
削除というのは「最終的な手段」である。あやしいとか、意見が違うと言う理由だけで軽々しく行うべきではないだろう。
一番いけないのは「宮本氏と同一人物(ではないかと判断して)」という理由での排除ではないだろうか?
こんなくだらない理由で排除されたのでは「浮かばれない」だろうと思う。
多分だが、管理人さんがその気になればIPアドレスの所得が可能だろうと思う。
排除する場合だけは「IPアドレスの確認」を行うのも手段の一種である。
個人運営のホームページの場合、最終的な判断は管理人さんにある。逆に言えば「何か問題があって、法的措置でも検討された場合は第一番目にサイト管理者の責任問題が生ずる」のである。だから、管理人さんの判断で「排除・削除」するのは当然であり、そこには反論すべきではない。
しかし、理由が示されるならば、その理由については別だろうとも思う。
「管理人さんがこの投稿は、不適当と判断した」のならば、可であるが
「管理人さんがこの投稿は宮本氏のものと判断した」のならば、それは不適当なのだろうと思う。不適当と言うのは、もし違っていて「それを証明することが可能ならば、後が困る」からである。だから、削除すること自体は問題ではなく、その場合「管理人さんが嫌いな、宮本氏の意見に似ているから」とするべきである。
管理人さんも普通の人であり、自分の仕事もあるだろうし、誤った判断があるのも仕方がないのだろうと思うが、阿修羅全体を「論理性を持って運営していただきたい。」とは思う。そうしなければ、先細りしていくのだろうと思う。