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http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/photojournal/news/20051012k0000e030035000c.html
【ムザファラバード(パキスタン北東部)で西尾英之】「痛いよう。痛いよう」。電気もない臨時の治療室で手術を受ける女性の叫びを、新たな負傷者を乗せて到着した軍用ヘリコプターのごう音がかき消した。地震で大きな被害を受けたアザド・カシミール州の州都ムザファラバードに設けられた負傷者救援所は、まさに「野戦病院」の呼び名がふさわしい悲惨な状況だった。
パキスタン軍は11日までに、同州の山岳部にある村々から地震による負傷者をヘリで空輸する作戦を開始。州都の駐屯地わきにあるグラウンドにヘリポートを設置し、倒壊を免れた建物を臨時の治療室に充てた。
電気もない部屋で医師がメスやはさみで次々に患部を切開。薄暗い部屋は血と医薬品のにおい、負傷者の悲痛なうめき声で満たされた。
「娘は運良くヘリに乗せてもらえたが、村では遺体は放置され、多くの負傷者が何の治療も受けられずに苦しんでいる」。100キロほど離れた村から搬送された少女の父親は話した。
救援所にはヘリ以外にも車や徒歩でたどりついた負傷者が殺到。がれきにはさまれ、左腕が壊死(えし)して真っ黒にふくれ上がった男性は、親類に背負われて2日かけて到着した。「この腕は切断するしかない。全身状態も悪く数日の命かもしれない。もう少し早く治療を受けていれば……」。診察した医師はつぶやいた。
「負傷者が多すぎてヘリでの搬送が間に合わない。飲料水、ビスケット、ミルク。それに死者用の棺と遺体を包む白い布。何もかも足りない」。イスラマバードから派遣されてきたタサワル医師は訴えた。
毎日新聞 2005年10月12日 東京夕刊