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播磨路 無くて七変 ― 武蔵の出生地は播州/「異説」が「本説」
http://www.asyura2.com/0505/ishihara9/msg/454.html
投稿者 gataro 日時 2006 年 5 月 05 日 18:09:31: KbIx4LOvH6Ccw
 

小生は片岡知恵蔵や中村(後に萬屋)錦之助の映画「宮本武蔵」を見て大きくなった典型的なチャンバラ世代である。これらの映画に登場する武蔵はすべて吉川英治原作の「宮本武蔵」を土台とし、武蔵は自身のことを「作州牢(浪)人」と語り、茶屋で食事しながらハシでハエをつまむ挿話や、宿敵佐々木小次郎が長剣「物干し竿」でツバメを切る(いわゆる秘剣ツバメ返し)挿話の入ったものを、主役を演じる俳優は変わりはすれども、つまりは毎度おなじみのストーリーを、飽きず楽しんだものだった。

チャンバラ3本立てなんていう、もの凄い映画興行も当時はそう珍しくもなく、「大菩薩峠」のニヒリスト机龍之介のお後は、「旗本退屈男」あるいは「四谷怪談」のお岩と伊右衛門など、もう色とりどりのハッチャメチャ。古畑仁三郎を演ずる田村正和の父君である板東妻三郎(通称バンツマ)主演の丹下左全なんかを見た記憶もあるぞ。もう少し長じた頃は、市川雷蔵の眠狂四郎円月殺法もなかなかのものだった。

前置きはそれぐらいにして、武蔵の誕生地の問題に話を戻そう。映画で「作州牢(浪)人」と、どの武蔵も言うものだから、小生は長じて後も40歳頃まで、武蔵は美作出身だと信じて疑わなかった。ところが20年あまり前のある日のこと、ちょいとばかり面識のある高砂市西光寺の住職壇上さんが、石材店の店主松下さんといっしょに神戸新聞加印版に登場し「武蔵は高砂市米田の生まれ」と写真入りで自説を展開しているではないか。その時に設立されたのが「宮本武蔵・伊織顕彰会」(会長は松下氏で副会長が壇上氏)なのだ。

先程も言ったようにこの時は小生まだ、「宮本武蔵は作州つまり美作(いまの岡山県北東部)生まれ」と信じて疑っていなかった。しかしまあ、少しは面識のある人があんなに力説しているんだからと、「異説」としか思えない「高砂市米田生まれ」説にもあたってみることにした。

壇上、松下両氏の主張される根拠は武蔵の養子である宮本伊織が故郷の泊神社に残した棟札である。これに武蔵と伊織が同郷で親戚関係にあり、播州印南郡雁南庄米堕邑(現高砂市米田町米田)生まれと記されている。それに武蔵自身も著作「五輪書」で「播磨で生まれた」旨を記述している。だから両者が播磨出身であることは間違いないだろう。

以下にHP「宮本武蔵ゆかりの泊神社」に載っている記述を引用する。
http://www.geocities.jp/askawa2/sinhaken/sinhaken3-1.htm

宮本武蔵伊織について

宮本武蔵は当地播州印南郡雁南庄米堕邑(現高砂市米田町米田)にて田原甚衛門家貞の次男として生まれ(田原家は村上天皇の血脈にして赤松氏を名乗り持貞の時改称して田原氏となる)天正年間作州の宮本無二之助「 」(新免とも称し平尾太郎右衛門とも名のった)の養子となった剣に秀れ生涯六十数度闘い敗れることがなかったが慶長十七年(一六一二年)巌流佐々木小次郎と舟島で闘いそれ以後再び剣をとることがなかった武蔵は剣のみならず書道絵画等芸術にも秀で後半生は深く仏教に帰依し剣禅一致の境地を開き後世剣聖と讃えられている
 宮本伊織貞次は武蔵の兄田原甚兵衛久光の次男で同じく米堕邑に生まれ後に武蔵の養子となる武蔵の縁故により明石小笠原家に小姓として仕え以後累進し一小倉小笠原家の筆頭家老となる、
伊織は九州に移った後氏神である故郷の泊神社と米田天神社の両神社を家兄田原吉久舎弟小笠原玄昌及び田原正久等と再建奉納している
伊織が泊神社及び米田天甚J者に献上した棟札は田原家及び武蔵伊織の出生について貴重な史料である。
武蔵の当地出生についての史実解明は武蔵研究家丸岡宗男氏宮本一族会その他の方々のご努力によるものであり特に生誕地碑建立のための田原家ゆかりの土地の提供関係記念碑の建設等については田原家末裔梅本武氏から多大のご配慮をいただいている
ここに武蔵伊織の業績を顕彰し、当地が二人の生誕地であることを示すために宮本武蔵伊織生誕地碑を建立する
        平成一二年六月
                 宮本武蔵伊織顕彰会

ただし播磨地方、特に加印地域(加古川・高砂市付近を地元ではこう呼ぶ)を知らない人のために注を付けておこう。米堕邑(現在は米田)は市制を布く際に東西(加古川・高砂)に分離され泊神社は高砂市ではなく加古川市側にある。

かなり説明を記述していくと煩雑になるので、関連サイトをいくつかリンクさせるので関心のある方はそちらを参照。

現在、武蔵の出生地については主なもので、3つある。
宮本武蔵の出生地
http://homepage2.nifty.com/lame-ru/musasi2.htm

このうち太子町宮本説は地誌の記述なので、直接の縁者である養子宮本伊織の泊神社の棟札に比べ、信憑性は薄いであろう。

岡山県英田郡大原町宮本説は殆どの人が信じているいわゆる「本説」であるが、これは「早い者勝ち」でもあり著名人の吉川英治が主張したという点で「本説」になってしまったものだろう。しかし「作州牢(浪)人」にはウソ偽りはない。育ったのは「本説」どおり岡山県英田郡大原町宮本だろうから。

おそらくは泊神社の棟札がまだ世間に知られていなかったこともあって、こういう次第になってしまったものだろう。武蔵や養子の伊織が、誕生地を美作であるのに播磨だとか、播州印南郡雁南庄米堕邑(現在の高砂市米田町)と偽らなければならない理由は何もない。武蔵は播磨で生まれ、縁のある美作へ、宮本無二之助(新免無二斎)の養子になるため出て行ったとすればすべてがうまく説明できる。

武蔵が後に小笠原藩の家老になる伊織のような氏素性のはっきりした養子を持たなければ、いまでも「本説」として信じられている美作生まれを疑う人はいなかっただろう。

【参考】

新免無二斎
http://www.tabimook.com/musashi/munisai.html

宮本伊織
http://www.tabimook.com/musashi/iori.html

竹山城
岡山県美作市下町
http://www.ne.jp/asahi/siro/tansaku/sirodata/okayamasiro/takeyama01.htm

[資料] 泊神社棟札 全文詳解
http://www.geocities.jp/themusasi/ref/t01.html

<浪漫兵庫4>剣聖宮本武蔵をしのび ゆかりの地を訪ねる
http://web.pref.hyogo.jp/newhyogo/200210/file/05_roman4.html


*投稿者註
棟札に先祖が村上天皇とか赤松氏とか書いてあるが、これらは系図を飾るために武家の時代にはごく普通に先祖を源平藤橘(げんぺいとうきつ)に連ねたため。こんな怪しいことが書いてあるから誕生地の記述も怪しいということにはならない。念のため。

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