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(回答先: 家庭は女性の労働の場。私的領域ではない。 投稿者 東京音頭 日時 2006 年 4 月 09 日 00:49:06)
小生も昨年末の激務の後遺症で頚椎を痛めてしまい、あまり長くPCに向かっておられません。
いきおい簡単なレスになってしまいますが、お許し下さい。
投稿を読みました。何か誤解されているように感じます。
小生も再度、再再度、東京音頭さんの最初の投稿を読んでみましたが、たぶん誤解はしていないと思いますよ。
あくまで「書かれたもの」から読み取れる範囲内でですが。
私が高校生のときくらいだったか、農村を継いだ男性達が集団で お嫁さんに来ないか、とトラクターで東京都心をパレードしたことがありました。
しかし、私にとって それが印象的だったのは、彼らが同時に出した新聞のお嫁さん募集広告でした。それには、俺達は、こういう女性を希望する、というところで、母(彼ら、男性の)を大切に面倒みてくれて、、、 と書いてあったことです。つまり、私の知っている範囲でいうと、農村の嫁不足は、そこに(夫の両親と住み、面倒を見る役割を担わせられる、家父長制の名残のような嫁)、大きな問題があるというのに、嫁不足に悩む彼らは、適齢期の女性がなぜ農村の人を結婚しないのか、まったくわかってないのだなあ、これじゃ、東京でパレードしたって、お金と時間の無駄だと感じました。
その時期、やはり数人の農村出身の女友達が、うちの母親、農家だけには、嫁にいかせない、と言っている。というのでした。
・・・
時間がないのでいきなり核心的なことを述べますが、小生は「女性の地位」という問題と、「農村における嫁不足問題」を並列的に取り上げる(リンクさせる)べきではないと思っています。
並列的というよりも、農村での諸問題(嫁不足、国際結婚etc…)を「女性の地位」を語る上での「根拠」とすべきではないと考えている次第です。
何故かと言うと、それこそが「悪しき二元論」に人を陥らせるパターンだからです。
「二元論」については過去にさんざん書いてきたので割愛しますが、要はこれら二つの問題は、それぞれの核心において相互に相容れないものであり、また語る上での土俵、次元すらも違うものだからです。
短くて、またとても乱暴なレスになってしまい、申し訳ありません。
もしお時間があれば、二元論とは何か、その何が問題なのか、またご自身の論拠とするところが何故「二元論」なのかについて、じっくりお考えいただければ幸甚です。
そこのところが小