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2006年 地域住民のたたかいは続く
http://www.bund.org/news/20060125-1.htm
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普天間基地 県内移設あせる日米両政府との闘い
ワークショップ沖縄 仲宗根盛秀
2005年は沖縄の基地問題を考える上で激動の年だったと言えるだろう。
普天間基地の問題は、一昨年のヘリコプター墜落事故を契機に、市街地の中心部にあるという位置的な問題に限らず、基地そのものの危険性を改めてうきぼりにした。この事故を受けて、辺野古への移設問題が促進されるのかという危惧もあったが、県民の良識はむしろ危険な基地を県内に移設する事の問題点に着目したのだ。
金武町の都市型訓練施設建設の問題も、保革を問わず全県民的な反対運動の取り組みとなり、95年以来の県民大会の開催につながっていった。その間、辺野古では毎日座り込みが続けられ、海上では阻止行動が行われた。県内各地では継続した街頭でのビラまき、座り込み、看板や横断幕を掲げての市民への訴えなど、各個人、団体の創意工夫を凝らした行動が続けられ、金武町でも老人も含めたキャンプハンセンゲート前での早朝行動が続けられたのである。
その結果金武町では、都市型訓練施設を住宅密集地域を避けた基地内の別の場所へ移設せざるをえなくなった。また辺野古では、ついに「辺野古沖への海上基地建設断念」という成果を勝ち取ったのである。
しかしながらその後政府は、ヘリ基地建設予定地をキャンプシュワブ沿岸地域に変更するとの案を突然打ち出し、これを強行せんとする姿勢を示している。
この動きは、2012年までに米海兵隊次期主力機・垂直離着陸機MV―22オスプレイを普天間基地所属の第36海兵航空部隊に配備する米軍の動きを背景に、辺野古沖への建設が反対運動により遅々として進まない中で、期限内の基地建設を何とか達成したいがための政策に他ならない。
金武町キャンプハンセン内への都市型訓練施設の建設が金武町伊芸区を先頭とした県民の反対を押し切って建設が強行されたように、政府は基地内での建設であれば反対運動の影響を受けにくいと考えているようだ。キャンプシュワブ内陸上から建設を強行すれば、何とかなると思っているのだろう。
しかしキャンプシュワブ沿岸案は、ヘリ基地建設を巡る政府の本音が全面に出たものであり、米国政府との折衝ばかりに目が行き、沖縄県民の意向をあまりにも無視したものだ。もとより政府は、稲嶺県政の掲げる米軍基地としての15年使用期限など考えているはずもなく、今回の事態はその本音を鮮明に露呈させたという点で政府を追いつめており、反対運動の成果でもある。
現在稲嶺県政は、キャンプシュワブ沿岸案に反対の立場を維持しており、県内各政党も都市型訓練施設同様に保革を越えた反対の姿勢を打ち出している。1月22日に予定されている名護市長選挙では、すべての候補者が現政府案には反対の立場だ。12月には県知事選挙があるが、県民の80パーセント以上が反対している辺野古へのヘリ基地移設を稲嶺県政もそう易々とは受け入れないだろう。それに対し、米政府との関係を第一におく小泉政権は、北部、あるいは基地を一部返還するとしている中南部地域への振興策をちらつかせ、更なる懐柔策を弄してくるに違いない。
こうした情勢下で、今年も昨年同様の地道な息の長い反基地運動を続けていく必要がある。われわれも出来うる限りの創意工夫をこらし、小泉政権に立ち向かって行きたい。
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キャンプ座間 司令部移転反対は県民の意志
エコアクションかながわ 冬木誠
昨年末、NHKのラジオ第一放送では、各地方局がそれぞれの都道府県の「今年の地域の大事件」をレポートした。大半の地方局が複数の事件を列挙する中、神奈川放送局だけは持ち時間の全てを費やして米軍基地問題を取り上げ、「米軍再編と原子力空母配備が県全体を揺るがした1年だった」と報じた。
実際、エコアクションかながわの昨年1年の活動も、ほとんど基地問題一色だった。特にキャンプ座間への司令部移転計画に対しては、2月と11月との2回の司令部包囲行動を軸に、厳冬期の1週間に及ぶハンガーストライキや、酷暑のなかでの英文ポスター掲示運動、11月の包囲行動への連日の宣伝活動などに取り組んだ。
2月の相模大野駅前でのハンストでは、2日目の朝に県警機動隊員80名ちかくに取り囲まれて行動の中断を迫られた。このときは地域の共闘関係の皆さんに助けられた。現場の管理権を持つ相模原市当局が警察の取り締まりを求めない意思表示をしてくれたことで、私たちは最後まで若い仲間の奮闘を支えることができた。ハンストを続けた1週間、行き交う市民の反応は日一日と好意的になり、署名はもちろんカイロの差し入れや多額のカンパも続々と寄せられた。
夏場のポスター掲示運動でも、基地周辺の多くの住民に協力してもらった。「せっかく貼ったポスターが台風で剥がれて飛んでいってしまった、貼り直しに来ないのか」とわざわざ連絡してきてくれた人もいた。地域の中には人情も、まっとうな運動への期待も確実に存在する、そう実感した1年だった。
米軍再編については、昨年の春にも全体像が最終決定されると言われていた。だが、沖縄や神奈川の基地強化反対世論の大きさを前に、再編計画の公式発表は大きく遅れ、昨年10月末に「中間報告」がやっとのことで公表された。今年3月末に「最終報告」が発表される予定だが、日程を1年にわたって遅らせてきたのは間違いなく運動の力だ。
アメリカ政府は「中間報告」の内容には再検討の余地がないと明言している。「地元の反対を承知のうえで、日本政府は米国と合意した、合意どおりに進めるはずだ」とのラムズフェルド発言は、日本政府に反対運動つぶしを指示しているに等しい。世界を民主化すると称して戦争までやる米国にとって、いったい民主主義とは何なのか。
地元自治体は現在までキャンプ座間への司令部移転問題では驚くほど明確な反対を貫いている。相模原市長は「戦車にひかれてでも反対する」、相模原の助役は「ベトナム戦争当時の戦車闘争以上の大変な反対運動が起こる」、座間市長は「ミサイルを打ち込まれてでも阻止する」と公言。
そんな両市に歩調を合わせて、県知事も今のところ国に抗議する姿勢を貫いてはいる。ただ「米軍再編の必要は理解する」とも言っており、「総論賛成・各論反対なんだ」と首相に突っ込まれてもいる。
私たちエコアクションかながわは、米軍強化の総論そのものに大反対だ。米軍再編とは要するに、世界的な資源収奪と環境破壊を続けるアメリカ利権のために、戦争をもっとやりやすくしようというだけの話である。
沖縄では、普天間基地の沖縄県内移設が日米間で正式合意されてから10年、その実施をヘリ基地建設反対運動などが体を張って阻止し続けている。沖縄での闘いに連帯し、神奈川では、米軍再編「最終報告」発表後も地元の反対が続く形を確保していきたい。最終的には在日米軍基地を戦争に使わせないようにすることが私たちの目標だ。非暴力直接行動でも長期に闘い続けられるよう、自分達の足腰も強化していく必要があるだろう。
とりあえずは3月の米軍再編「最終報告」発表の前に、地域の反発力を再度大きくアピールする行動を実現するべく、力を合わせて頑張っていきたい。
今後も皆さんのご協力をよろしくお願いします。
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自衛隊百里基地 米軍F15訓練誘致で深まる危険
みと市民講座 久奈とらきち
9・11総選挙の大勝利に沸く小泉政権により、05年10月下旬、横須賀への原子力空母配備など在日アメリカ軍再編にかかる重要事項が次々と決定された。私の住む茨城にも沖縄米軍の一部が移設されることになった。具体的には、茨城県小川町の自衛隊百里基地を含む本土の5つの基地(他は北海道・千歳基地、石川・小松基地、福岡・築城基地、宮崎・新田原基地)に、沖縄嘉手納基地のF15訓練が誘致される予定だ。
自衛隊百里基地のある小川町は、私が住んでいる茨城県美野里町の隣町にあたる。今年3月27日以降は、玉里村を含む3自治体が合併して「小美玉市」となる。「小美玉市」誕生後に市長選、市議選が実施されることになれば、百里基地問題が争点の一つになるのは明らかだ。小美玉市民になる身として、是が非でも最重要の判断基準にしなければと思う。
自衛隊百里基地については、以前から橋本勝茨城県知事をはじめ、地元自治体が茨城初の民間空港として共用化を要望してきた。民間空港共用化それ自体は、間違いなく公共事業推進による利益誘導の性格を持つもので、黒字をもたらし地域活性につながるとは思えない代物である。
その民間空港共用化推進の地元自治体にしてみても、今回の急転直下の決定には冷や水を浴びせられ困惑しているというのが実状だ。民間空港共用化を強く要望してきた伊能淑郎小川町長も、全国に散らばる基地受け入れ予定自治体の例に漏れず、今回の米軍移転には強く反対している。
昨年10月31日、小泉第3次内閣発足で地元茨城2区、額賀福志郎衆院議員の防衛庁長官就任が決定された。茨城での運動は、沖縄や神奈川、岩国などを米軍再編受け入れ説得のため飛び回っている防衛庁長官の地元での意志表示として、大きな意味をもっている。
百里の騒音問題は、自衛隊基地建設の当初から問題とされ続けてきた。昨年10月末に行われた自衛隊観閲式では、上空に隊列をなす戦闘機が騒音をまき散らしながら飛行していた。それに加えて、すさまじい米軍F15訓練の騒音と事故による危険性が加わろうとしているのだ。
沖縄タイムス・琉球新報は、12月13日防衛庁にて行なわれた額賀・ローレス会談について「ローレス副次官は嘉手納飛行場でのF15戦闘機の訓練の分散移転について『日本側は訓練を相当減らそうと提案しているが、(米側は)訓練減少自体が目的とは考えていない。自衛隊との共同訓練や相互運用性の向上がまず目的にあり、結果として訓練が減る』と強調した」(琉球新報より)と報じた。F15訓練の本土移転は日米のより緊密な軍事一体化の推進であり、沖縄の基地負担軽減ではないことは明らかなのだ。
地元では共産党など、これまで百里基地問題に取り組んできた団体を中心に反対運動が取り組まれつつある。私は昨年9月10日の夜、神奈川の横須賀中央駅に出向き、自民党小泉政権のアメリカ追随を批判し、衆議院選挙に立候補した元外交官天木直人氏の街頭演説に立ちあった。その後誰もが予想しなかったほどの急ピッチで在日アメリカ軍再編=日米の軍事一体化が進行している。
選挙で敗れた天木氏の願いを引き継ぎ、額賀防衛庁長官の地元であり「保守王国」とも呼ばれる茨城の地で、アメリカ追随にひた走る小泉政権の足元を揺るがしていきたい。
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東海村第2原発 老朽化でトラブルつづきの問題児
シビックアクションみと 多賀実
石油減耗の時代が現実味を帯びている中、国民のエネルギー確保への不安や温暖化対策が急がれることに便乗して、国や電力会社は原発こそが「エコで持続可能なエネルギー」であるかのようなコマーシャルを連発している。
昨年の原子力をめぐる状況は、これを後押しするかのようなことが多くおきた。昨年10月には、今後10年程度政策に反映される「原子力政策大綱」が閣議決定された。大綱では核燃料サイクルを基本とし、当面は軽水炉でプルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料を使う「プルサーマル」を着実に推進すると謳われている。これに呼応するかのように、高速増殖炉もんじゅの再稼動につながる住民逆転敗訴の最高裁判決(改造工事を容認)、六ヶ所村の再処理工場本格稼動にむけたウラン試験→アクティブ試験の強行(ただしアクティブ試験は今年2月まで延期)、プルサーマル導入にむけた各電力会社の活動活発化などがあった。極めつけは、今年に入り電気事業連合会が初めて、六ヶ所村の再処理工場から出るプルトニウムの利用計画を明らかにしたことだ。
東海村第2原発でも、昨年行った話し合い交渉の場で、日本原電側は2010年以降にプルサーマルを導入すると主張している。だが、運転開始から30年近くたつ東海第2原発の原子炉は老朽化によって悲鳴をあげているのが現状だ。浜岡原発1・2号機など他の「30年原発」同様に、昨年はとにかくトラブルが相次ぐ1年になった。4月から始まった第21回定期点検で、炉心のシュラウドサポート部分の応力腐食割れが初めて発見され、その後も放射性ガスの漏洩、給水ポンプの弁棒の切断などで10月末まで稼動させることができなかった。
また核燃サイクル機構と原研が統合してできた独立行政法人「日本原子力研究開発機構」では、核燃サイクル機構の理事長だった殿塚氏が新法人の理事長に納まっている。この新法人と交渉を行った地元での感想は「独立行政法人化によって収益、結果が優先され、安全性がますます疎かになるのではないか」というものだ。原発が代替エネルギーとして決定的に容認できない根拠はまさにそこにある。
今年はチェルノブイリ原発事故から20年目になる。事故による初期の死者は、原発の運転員と消防隊の隊員たち31人だったが、数年もたってから甲状腺ガン、白血病などさまざまな病気にかかる人が増えている。
東海村でも6年前に臨界事故がおこり、2名の命が失われ、700名近い住民が被曝した。6年たった今でも健康状況に不安を抱く人々が多い中、その代表として大泉夫妻が2002年から健康被害裁判を起こして、老齢をおして裁判闘争を続けている。遅々として進展しなかったこの裁判が、昨年末から大きな進展をみせている。夫妻の肉体的・精神的健康悪化と被曝の因果関係を立証する証人喚問が始まったのだ。第15回公判では主治医や専門家が証言台に立ち、JCO側代理人を苛立たせるような胸のすく証言を行った。今年も2月15日に同様の証人喚問が行われる予定だ。
原発を動かす、メンテナンスするために投入される数千、数万人の労働者。事故によって被曝する危険性を常に抱えている周辺住民。電気を使用する私たちは、第二、第三のチェルノブイリ事故、臨界事故がおきない保証がない中で、「エコ」や「クリーン」という安易な宣伝文句で選択を誤ってはならない。
今年はチェルノブイリ20年目ということで、各地で脱原発運動が再燃する年になりそうだ。東海村を抱える地元でも、核エネルギー消費大国・日本という汚名を返上するような取り組みを行っていきたい。
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浜岡原発 プルサーマル導入計画を白紙撤回
エコアクションなごや 高橋佐知子
2005年、浜岡原発をめぐる状況は2つの大きな動きによって新たな局面を迎えた。
ひとつは昨年1月の5号機の営業運転開始である。私たちはこれまでも「東海地震の前に浜岡原発を止めよう」と訴えさまざまな行動をしてきたが、この運転開始に際しては浜岡原発正門前での申し入れを行った。東海地震の起こる可能性は少しも減ってはいないにもかかわらず、原発を増設するなどというのは浜岡原発の危険性をますます高めることにしかならない。
ふたつめは、9月に明らかとなった浜岡原発へのプルサーマル導入計画だ。プルサーマルは、原発から出る使用済みの核燃料から回収されたプルトニウムとウランを混ぜた混合酸化物(MOX)燃料を軽水炉で使用する計画である。中電は、「プルトニウムを利用することで、ウラン資源を節約し、長期にわたり安定してエネルギーを確保することができる有効な手段」だと説明している。しかしプルサーマルによるウラン燃料の節約効果は、最大に見積もっても10%程度だといわれている。この10%を「多い」と感じるか「少ない」と感じるかは意見が分かれるところだが、問題なのはこの10%のために行われる使用済み核燃料の再処理工程における経済的・環境的負荷である。再処理工場では、事故がなくても日常的な放射能汚染は原発の事故並だ。実際に稼動しているイギリスやフランスの再処理工場周辺では、住民の小児白血病の多発など健康被害が問題になっている。
ウラン資源10%の「節約」のために、なぜこれほどのリスクを負わなければならないのか。ここには電力会社の明白な「ウソ」が隠されている。決して「ウラン資源の節約」のために使用済み燃料を再処理しよう、という話ではない。
今年2月から、青森県六ヶ所村に建設された再処理工場で、実際に使用済み燃料を使った「アクティブ試験」が始まる。そこで取り出されたプルトニウムは、もともと高速増殖炉で使うはずだった。「もんじゅ」が1995年のナトリウム漏れ事故以降、見通しがたたず行き場がないためにMOX燃料として軽水炉で使おう、ということだ。始めに「再処理ありき」の計画なのである。こんな恐ろしい話はない。
今年1月6日、原発を運転する電力会社各社は、初の国産プルトニウム利用計画を公表した。その中で中電は、MOX燃料加工工場の完成予定である2012年以降、4号機で利用するといっている。4号機はシュラウドのひび割れが見つかっており、現在それを放置したまま運転を続けている。そんなひび割れ原発にMOX燃料を入れて、「安全だ」と一体どこの誰が思えるのか。
私たちはこの計画発表に抗議して、中電本店前で連続3日間の街頭情宣を行った。プルサーマル導入をやめるよう、中電に対して申し入れも行った。御前崎市をはじめ近隣市町村では、すでに昨年末よりプルサーマル反対を訴えて街頭情宣が開始されている。これまでプルサーマル計画は、高浜原発、福島第一原発柏崎刈羽原発と裁判や住民投票によって頓挫し続けてきた。昨年5月、国に対してプルサーマルの許可申請をした玄海原発では、9月には漁船140隻による海上デモが行われ、反プルサーマルの輪は全国に広がりつつある。
今年はチェルノブイリ原発事故から20年になる。原発を止めようという運動は、チェルノブイリの悲劇を繰り返さないという運動だ。東海地震の切迫性ゆえに「世界で一番危険な原発」といわれる浜岡原発。ひとたび事故が起これば、その被害は日本全国に及ぶ。決して地元だけの問題ではないのだ。全国のみなさんと共に、プルサーマル計画の白紙撤回を求めて行動していきたい。
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劣化ウラン弾 イラク派遣自衛隊員の被曝調査
エコアクション21 田中健一
今年でイラク戦争から3年を迎える。占領軍に対するイラク市民の不満は日に日に募る一方だ。湾岸戦争やイラク戦争で使用された劣化ウラン弾による被曝の拡大も危惧されている。
私たちエコアクション21は、イラク戦争開戦前の03年1月、首都圏で反原発運動や反戦運動を闘う諸団体・諸個人とともに「STOP! 劣化ウラン弾キャンペーン」を立ち上げ、劣化ウラン弾の廃絶やイラクの子供たちへの支援活動を展開してきた。
中でも力を入れてきたのは、外務省や防衛庁に対する交渉だ。私たちは全国の仲間たちが集めた劣化ウラン弾廃絶署名を提出しながら、「被爆国日本」が劣化ウラン弾廃絶のためのイニシアティブを発揮することや、イラクでの被曝調査を要求してきた。
しかし、いっこうに埒があかないため、行政に求めるだけではなく、自分達自身で何か取り組まなければいけないという思いで、昨年はじめ3つのプロジェクトを企画した。@旧ユーゴスラビアでの劣化ウラン被害調査、Aイラクでの劣化ウラン弾をテーマとした絵本を作りイラクに届ける、Bイラクに派兵された自衛隊員の被曝健康調査、の3つだ。また、一昨年からブース参加をしているアースデイ・アースガーデンでの宣伝活動も引き続き取り組むこととした。
その成果と課題を報告すると、@については昨年9月、フォトジャーナリスト森住卓さんとともに4人の仲間がセルビア共和国とボスニア・ヘルツェゴビナ(以下旧ユーゴ)を訪問。日米政府は「劣化ウラン兵器は人体に影響がない」というが、旧ユーゴでは甚大な被害をもたらしていることを、私たちは身をもって知ることができた。
Aの絵本プロジェクトは、これ以上イラクの子供たちが劣化ウランの放射線に曝されて、白血病やガンの犠牲になってほしくない、少しでも劣化ウラン弾に接触しないようにしたい、という思いでスタートさせた。
しかし昨年秋、イラクではすでに劣化ウラン弾のことを子供たちは充分知っていること、外国人に協力をしたイラク人でさえ生命の危機にさらされるという情報を得、絵本の内容とイラクに絵本を送るという計画そのものを大きく修正せざるをえなかった。当面日本人向けの絵本にし、情勢が許せばイラクに送ることにした。完成に向けて、内容の修正と資金集めを急いでいるところだ。
Bのサマワに派兵された自衛隊員の健康調査については、劣化ウランを検出する尿検査のできる病院探しから始めた。しかし、日本には劣化ウランを検出する尿検査機器を持つ病院がほとんどないことと、あったとしても精度の低い機器しかないことが分かった。
それで、元米軍医のアサフ・ドラコビッチ博士が主宰するUMRC(ウラニウム・メディカル・リサーチ・センター)に協力を仰ぐことにした。私達は、インターネットを通してUMRCから許可を得、劣化ウランに被曝しているかを判断する自己チェックシートを和訳し、それを昨秋からわたしたちのホームページに掲載させてもらっている。まだ、自衛隊員や家族からの直接のアクセスはないが、アクセスがあった場合の具体的な体制作りが今年の大きな課題だ。
最後に、環境イベントであるアースデイやアースガーデンへのブース参加によって、多くの若者や他のNGOと出会うことができた。イラク戦争で使われた劣化ウラン弾の影響が本格化してくるのはこれからだ。私たちの運動をもっともっと大きくしていかなければと痛感している。
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フィールドワークもやるぞ
アイガモ農法 水はけを良くして豊作を期待
おおさかエコムーブ 松葉井信一
昨年おおさかエコムーブは、警察権力の不当逮捕・弾圧を打ち返しながら、イラク反戦集会への参加、浜岡原発を考える会の伊藤実さんや写真家の樋口健二さんを招いての講演会開催など、反戦反核運動に取り組んできた。
またフィールドワークとして、「アイガモプロジェクト2005」を立ち上げ、2004年に引き続きアイガモ農法にも取り組んできた。
農業は自然の力を実感できる。2004年は猛暑で、アイガモ達がばたばたと食中毒等で死んでしまった。2005年はアイガモ農法の主役であるアイガモにやられた。稲が生長するとアイガモを稲からネットで隔離してエサを与えるのだが、台風でアイガモが田んぼに逃げてしまったのだ。アイガモにとっては、エサよりうまい稲を食べるのはあたりまえ。多くのもち米をアイガモ達に食べられてしまい、2005年のもち米は不作だった。また田んぼの水はけが悪く、稲刈りの時には大変な時間と人手がかかっていたため、年末には水を抜く水道作りを行った。
今年は、こうした「自然との格闘」に学びながら、「アイガモプロジェクト2006」として、引き続きアイガモ農法を大阪自然保全協会や地元農家の方達に教えを請いながら取り組んでいく予定だ。昨年以上の豊作を期待し、水はけが良い田んぼ作りのため水道作りをすすめ、効率のいい農作業を目指したい。さらに、水はけが極端にひどい田んぼでは米の代わりにレンコン作りの作業を進めてきたので、レンコンの収穫も期待したい。
アイガモプロジェクトにあわせて、おおさかエコムーブは昨年半ばからエコロジカル・フットプリントに取り組み始めている。エコロジカル・フットプリントは、生産物の生産にかかった物質等を土地面積に換算し、今の生活を維持する為には地球がいくつ必要かをはかる指標だ。地球一個分の生活を目指す為には地産地消がいい。地元で作った物を地元で消費すれば生産物の移動距離も少なくてすみ、エコロジカル・フットプリント値は低くなるからだ。
ヨーロッパなどでは、販売されている商品にエコロジカル・フットプリント値が表記され、購入するときに消費者が意識的に選択できるような取り組みがなされているという。おおさかエコムーブでも、私達の生活にある交通手段や商品のエコロジカル・フットプリント値を求めて公表していきたいと思う。
農地は町において貴重な生態系の宝庫だ。農作業に行けば様々な生物に触れることができる。生物の住む場所が少なくなった現在の日本において、農作業は食料自給にとどまらず生態系を残す環境保全ともつながっていく。
エコロジカル・フットプリントも生態学などを基本に考えられている。エコロジカル・フットプリントの理想は、生態系の恩恵を受けて余剰分だけで人間が生活できることだ。アイガモ農法も無農薬など、石油燃料にできるだけ依存しない形でエコロジカル・フットプリント値の低いものを目指したい。石油減耗時代に入った現在、従来とは違った価値を発信していきたいと思う。
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不耕起栽培 自給自足めざしコメづくりに挑戦
上福岡市民連合 鈴木啓太郎
2006年の目標はズバリ「農」への挑戦である。何より米作りに1年をかける。めざすところは自給自足。自分で食べるものは、できうる限り自分で作る。そこへいたるのが最終目標だ。
すでに今年は1反の田んぼ、わずかながらの畑作地がわれわれの生産地として確保できている。いまわれわれの平均的な米消費量は1人当たり年間40キロに満たないので、1反の田んぼからの収穫を最高で8俵(籾で480キロ)と見積もると、最低でも12人分の主食米1年分を確保することができる計算だ。もちろんこれは「取らぬ狸の……なんとか」である。
米作りは初めての経験となるので、失敗するかもしれない。収穫量を十分に確保できない可能性もある。しかしそんなことは、恐れるに足らない。われわれは現状で「食うに困っている」わけではない。失敗しても貴重な体験を蓄積するだけで、失うものは何もないのである。今の生活をより豊かに、言い換えれば、ロハスなものに変えていければ、それでよいのだ。
いうまでもないが、われわれは農業について全員が素人である。ただし、われわれには共通の農業体験がある。ながらく、「援農」という形でかかわり続けた三里塚での体験である。これらの体験は、農業という観点から見れば断片的で、農民として自立しうるような知識、経験、技術はないに等しい。しかしわれわれは、三里塚農民から農地を守り、作物を育む農の精神だけは学んできた。今、それを生かすときがやってきたのである。
作物を育てるというのは、生き物を育てるということである。人間の子供も、作物も、本質的には変わらない自然の創造物だ。都会的な、自然とかかわらない生き方、人為的な工作機械やコンピューターで生み出されるものとはまったく違う性質が、ここにある。労働によって得るあの代えがたい心地よさと、健全で健康な身体を取り戻すことができたなら最高だ。
農機具はどうするのか、と心配される方もいるだろう。耕耘機やコンバインなど米作りに必要な重機は農協が独占販売して非常に高価で、貸し出しなどない。実際は使用される農機具の種類や性能が農法を規定しており、水の管理も含めてなかなか自由にならないのが現状だ。
重機が使えなければ、手作業を増やすしかない。しかし、考えようではそれもいいではないか。できるなら、刈り取った稲は風乾し、脱穀した後の藁を活用できるようにしてみたい。そんな道もあるだろうと、きわめて楽観的に考えることにする。
農薬をどう扱うかはさらに問題だ。無農薬を通すというのがわれわれの基本方針である。これまで続いてきた農薬の空中散布も、昨年からようやく止めることができた。ついに、完全無農薬での米作りが可能となるような環境が整いつつある。
苦しくても除草剤は使わない。これを固く誓う。夏の田に現れる雑草の群れを思うと戦慄を禁じ得ないが、なんとかやってみよう。といっても、これを不耕起にするためには、水の管理などを含めて、さらなる経験と歳月が必要となるだろう。まずは、今春から不耕起農法の講習に人員を派遣する予定だ。
われわれの農作業は、完全協同性である。われわれは農民ではなく、何らかの職業人であるから、当然にも時間の制約を抱えることになる。農繁期に集中する必要労働をこなすためには、協同によって乗り切る以外ない。兼業で農業をこなす人はいくらでもいるのだから、論理的には可能なはずである。都会的な生活をしながら、市民農園などで趣味の園芸を行う人も増えてきた。しかし繰り返すが、われわれの目指すところは自給自足である。自分の手で作り上げた作物、収獲物で、自分の命をつないでいくことだ。
収穫物の分配については、労働証書制が厳格に適用される。労働に従事した時間がカウントされ、全収穫物の中から共通のフォンド分が差し引かれた後に、時間数に応じて分配される。基本的な管理は少数の専門委員会によって行われるが、原則的に参加は自由である。農地の運営に当たっての基本方針を認め、実際に労働を通じて作業に参加し、そこでの実践的諸課題を共有しようとするものは、だれもが仲間になることができる。
かくして、すべての準備は整った。あとは春の訪れを待つだけである。
(2006年1月25日発行 『SENKI』 1201号2-3面から)
http://www.bund.org/news/20060125-1.htm