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http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=70268&servcode=700§code=700
奈良県で1日、百済(ペクジェ、B.C.18〜A.D.660)の王族のものと見られる豪華な古墳が発見された。古墳が発見された所は、奈良県明日香村南西部のカヅマヤマ古墳(同村真弓、7世紀後半)。ここには、高松塚古墳など皇族クラスの古墳が集中している。
専門家らは、同古墳について「レンガ状に石を積み上げた『磚(せん)積み石室』構造であるのが特徴であり、百済の王族の古墳に多く見られる」と説明した。この古墳では、高貴な人物に限って使われた漆塗り木棺の破片も出土された。古墳の築造時期と見られる西暦660〜670年代には死去した日本皇族がない、との点から、当時日本に滞在した百済の王族らが葬られた可能性が高い、というのが大方の見方だ。
同古墳は、1辺24メートルの2段築成の方墳。丘陵の南斜面を東西約100メートル、高さ10メートルにわたって削り、平地にした後、設けたものと見られる。石室は、幅1.8メートル、高さ2メートル、奥行き5メートルくらい。
河上邦彦・神戸山手大教授(考古学)は「被葬者は40〜50歳代の男性とみられる」とし「631年、父親の百済王・善光(ソングァン)と共に日本に渡ってきたが、674年死去した百済王・昌成(チャンソン)である可能性が高い」と話した。善光・昌成は660年に百済が滅亡することによって、故国へ帰ることができなかった。
金玄基(キム・ヒョンギ)特派員
2005.12.02 17:48:57