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http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/nara/news/20051119ddlk29040621000c.html
◇3世紀前半〜中葉、弥生の墳丘墓説も
古代国家の形成過程を知る上で貴重な遺跡−−。文化審議会は18日、桜井市の纒向(まきむく)古墳群(3世紀前半〜中葉)を国の史跡に指定するよう文部科学相に答申した。同古墳群は五つの古墳から成っているが、今回は、纒向石塚古墳とホケノ山古墳の二つが対象。県教委は残る纒向勝山、纒向矢塚、東田大塚の3古墳の追加指定も目指す。今回の指定で、県内の国史跡は116件になる。
同古墳群は、初期大和政権が成立したとされる奈良盆地東南部にある。墳丘は全長100メートル前後の前方後円形で、前方部の高さが低い点が特徴。こうした形状を持つ古墳は関東から九州にかけて見られるが、その中でも同古墳群の古墳は規模が大きい。後の時代に定型化された前方後円墳に影響を与えたが、異なる遺物や遺構のため、弥生時代の終末期の墳丘墓とする見解もある。
纒向石塚古墳(桜井市太田)は全長96メートル、前方部の長さ32メートル。3世紀前半の築造とされ、周溝から農具、土木具、祭祀具、建築部材などが出土した。また、ホケノ山古墳(同市箸中)は全長80メートル、前方部の長さ25メートル。3世紀中ごろの築造とされ、ひつぎを納める木製の小部屋(木槨(もっかく))の周囲に、石を積み上げる珍しい構造の埋葬施設が特徴。画文帯神獣鏡(がもんたいしんじゅうきょう)や鉄製武器などが副葬されていた。【大森顕浩】
毎日新聞 2005年11月19日