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レーダー探査から推定した濠の跡
http://www.asahi.com/culture/update/1104/011.html
2005年11月04日16時35分
奈良県桜井市箸中(はしなか)にある堂ノ後(どうのうしろ)古墳が、東隣にある日本最古の古墳とされてきたホケノ山古墳(3世紀半ば)より古い前方後円墳である可能性が高いことが、天理大(奈良県天理市)の学生らによるレーダー探査でわかった。専門家の中には「レーダー探査だけでは判断できない」という意見もあるが、近くには卑弥呼の墓という説もある箸墓(はしはか)古墳(3世紀半ば〜後半)もあり、発掘などで探査結果が裏付けられれば、古墳の起源論争に影響を与えることになりそうだ。
同大歴史研究会の学生十数人が今年1〜2月、遺跡のレーダー探査に詳しい同大文学部の置田雅昭教授(考古学)の指導で調べた。データを詳しく解析したところ、土質の違う部分が見つかったことなどから、堂ノ後の周濠(しゅうごう)の一部が埋められたり墳丘が崩されたりした後でホケノ山の周濠が造成されたと結論づけた。
ホケノ山古墳は、出土木片の炭素測定などから日本最古の古墳とされている。堂ノ後はこれまで直径35メートルの6世紀の円墳と考えられてきたが、今回の探査で推定された周濠の形から全長62メートル以上の前方後円墳である可能性も高まった。
「発見」の主役となった歴史研究会は、考古学好きの学生たちでつくるサークル。一帯の古墳群の未調査の古墳を調べようと、ここ数年レーダー探査を続けてきた。
しかし同研究会は、これまで大きな成果を得られず、今回の探査結果も4、5両日の学園祭でのパネル展示に合わせて、数週間前から整理を始めたところだった。
そのうち、赤や黄で地中の様子が示されたレーダー探査の断面図を見ていた文学部3年の岩城圭吾さん(20)が「堂ノ後の墳丘が削られ、そこにホケノ山の周濠ができてる」ということに気付いた。
データは、堂ノ後の方がホケノ山より古いことを示していた。研究会顧問の置田教授は「信じられないような結果だが、間違いはない。今後も調査を続ける」と話す。