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蘇我馬子の邸宅跡とみられる建物群のほぼ全容がわかった島庄遺跡(手前中央の区域が今回の調査地。後方は石舞台古墳)=24日、奈良県明日香村で、本社ヘリから
http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50825a.htm
奈良県明日香村の島庄遺跡で昨年見つかった飛鳥時代の豪族、蘇我馬子(そがのうまこ)(〜626年)の邸宅跡とみられる建物群の全容がほぼ判明し、村教委が24日発表した。最大の建物は幅12メートル、奥行き7・5メートルの規模と確定。当初の推定より一回り小さかったが、飛鳥時代の豪族居館としては大型で、天皇の宮殿並み。馬子の権勢を改めて裏付ける成果となりそうだ。
今年3月までの調査で馬子時代の建物跡が4棟出土し、今回はその東隣を発掘。4棟のうち最も大きい建物を含む2棟の規模を確認した。最大の建物は柱穴の大きさから幅は17メートル以上とみられていたが12メートルと判明。もう一棟は幅11・8メートル、奥行き5・4メートルだった。さらに、この2棟から塀(長さ約12メートル)を隔てた東側で新たに奥行き6メートル以上の建物跡が出土、馬子時代の建物は計5棟に増えた。
調査地は馬子の墓とされる石舞台古墳の西約200メートル。周辺は馬子が「飛鳥川のほとりに家を造り、池に小さな島を築いた」とする日本書紀の記述と一致する場所で、今回の建物群は、馬子邸の中心部である可能性が高いという。
一方、同遺跡で出土している、蘇我氏滅亡後に建てられた天武天皇の第一皇子、草壁皇子(662〜689年)の離宮「嶋宮(しまのみや)」とみられる建物跡の規模も判明。最大の建物は幅12メートル、奥行き4・4メートルで、馬子邸とみられる建物より小規模だった。
現地説明会は27日午前10時から。
和田萃・京都教育大教授(古代史)の話「最も大きな建物は馬子邸の中心施設だろう。日本書紀の記述に合致し、飛鳥の歴史を彩った一等地の実態を知る上で重要な成果だ」
(2005年08月25日 読売新聞)