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http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/chiba/news010.htm
太平洋戦争が終わった1945年(昭和20年)8月15日、当時の銚子市長が戦争終結と復興に励むことを市民に告げた「諭告」の文書が、同市柴崎町の東円寺(高森良昌住職)で見つかった。終戦の諭告の現存が確認されたのは県内初という。県史料研究財団では、「終戦当時を知るうえで興味深い。粗悪な紙質の書類が、60年を経て保存されていたことも貴重」と話している。
見つかった諭告の文書は、縦21・5センチ、横14・9センチのわら半紙にガリ版刷りしたもの。
「今回畏(かしこ)クモ大東亜戦争終結ニ関スル御詔書ヲ渙発(かんぱつ)セラレ――」で始まり、「各々其(そ)ノ生業ニ精励シ以(もっ)テ戦後ノ復興ニ一意専心努力セラレンコトヲ」と結んでいる。
諭告は戦前、地域の長が住民への指示などで出した文書。見つかった諭告は、終戦を受けて当時の銚子市長、大里庄治郎氏が、住民に復興に向けて努力するよう求めたとみられる。
文書が見つかった東円寺では、1980年代に県史編さん室職員が訪れて古文書を整理し、目録を作った。高森住職が今年6月、古文書の保存箱を整理しているうち終戦の日付の諭告を見つけ、県史料研究財団に「珍しいのでは」と問い合わせ、終戦の諭告と確認された。
高森住職によると、諭告など当時の文書は、町内会長が回覧板などで地区に回した後、保管していた。戦後、処分の話が出たが、「捨てるのは惜しい」と、同寺で預かっていたという。高森住職は、「今後も大切に保管する」と話している。
(2005年8月12日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/chiba/img/news010_1.jpg
見つかった終戦の諭告
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・秋元健一付記・
発見者はホントは、同町内在住の郷土史家・塙富造さんだそうです。