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【星神香々背男】
『日本書紀』に次のような記事があります。
経津主神 武甕槌神 遂誅邪 神及草木石類 皆己平了 其所 不服者 唯星神香々背男耳 故加 遣倭文神 健葉槌神則服 故祈登云々
「鹿島神宮誌」には、鹿島神宮の祭神「武甕槌神」は出雲の国譲りの後、各地を平定されて国の統一をはかり、未開の東国に入っては星神香々背男を討って国中を平定されたことが書かれています。
先述の『日本書紀』に書かれていることも同様のことです。
実はこの星神香々背男は『常陸国』の先住民の頭領だったのです。
香々背男の名称はこれまでの学者の音読によると「カカセオ」とされていますが、常陸地方の老人の言によれば「カウラザメ」と唱えられているそうです。
このカウラザメの原語により研究すればこの人種がいかなる者なのか明瞭になるのではないかと思うのですが、残念ながら「カウラザメ」なるものが何を意味するのか書かれている文献を発見するには至りませんでした。
とにかくこのカウラザメ(香々背男)は、当時の先住民の酋長(頭領)として常陸国久慈郡大甕山の東端に居住していて、太平洋に面する北日本一帯の制海権を握っていたという伝承が「久慈郡大甕山の倭文神社」にあります。
神代、天には天照大神、地には皇孫二ニギノミコトの二神の協力によって天地位を定め、天孫降臨がなされようとしていました。しかし建国し国内を統一するためには、どうしても国内に蟠居する荒ぶる国賊を一掃しなくてはなりませんでした。
南日本の筑紫、火の国は既に天孫系の活躍によって国内の安寧を確かめられていましたが、太平洋に波立つ北日本の常陸方面は香々背男と称する大敵が占拠しており、天孫朝廷の一大障害物となっていました。
その昔香々背男一族は、駿河国富士山麓の海岸にあって、得意の暴力で人民を悩まし、天尊系の大和民族の発展とともに北へ北へと駆遂させられ、常陸国の海岸の一隅である三日星の浜辺に専住することになったようです。
香々背男は眼光は爛々として星の如く輝き、体格は毅然として雲突くばかりに高く、足は剛健にして猛獣の如く強く、手は長大にして禽鳥(きんちょう)の如く早く、その上幾百幾十万の同族を指呼し、自ら諸所の神岩の上を漁りて好んで魚介類を頬ばり、夜は巧みに姿をくらまして大甕山上の雷断石の間隙に隠れ、進退自在、千変萬化、独特の技で敵を侮り、民を悩まし、国の尊厳の何たるかを知らぬ者だったと言います。^^;;
そこで天孫降臨以前の建国の第一策として香々背男撃退の廟議がなされ、出雲国の国譲りを無事に終えた経津主命と武甕槌命がその撃退に当たることになったのです。
しかし常陸国では星神香々背男は悪者ではなく「星の神様」「目の神様」として祀られています。大和朝廷の蝦夷征討に対し、原住民の頭領として反抗し続けた香々背男は、『日本書紀』の中で「朝敵」とされてしまったのです。
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常陸国の話
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