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http://www.mainichi-msn.co.jp/kagaku/env/news/20050627ddm016040176000c.html
◇宮崎県綾町の照葉樹林
かつて日本の西半分を覆っていた照葉樹林は、開発によって、ほとんど姿を消した。残された照葉樹林を「世界遺産にしよう」という運動が、人口約7500人の小さな町、宮崎県綾(あや)町で盛り上がりを見せている。5月には照葉樹林の保護・復元プロジェクトが官民一体で始まった。「雑木林」とさげすまれた森の価値を見直し、100年かけて太古の森を復活させる壮大な計画だ。【関谷俊介】
◇植林には頼らず、段階的な間伐で
日に当たると、光沢のある葉が輝く。綾町に広がる照葉樹林「綾の森」は、800種類を超す植物とクマタカなど野鳥70種、カモシカなどほ乳類19種の生息が確認されている豊かな森だ。
東京大大学院の大沢雅彦教授(植物生態学)は「綾の森は常緑樹から落葉樹に変わる最前線にあり、世界的にも貴重な生物多様性を持っている」と評価する。
シイなどの花が森を黄色く染めた直後の5月末、森の保護・復元を目指す九州森林管理局、宮崎県、綾町、日本自然保護協会、市民団体「てるはの森の会」の5者が参加して「綾の照葉樹林プロジェクト」が発足した。
対象地域は綾町をはじめ1市2町2村にまたがる約1万ヘクタール。多くは国有林で、(1)保護エリア(2)復元エリア(3)環境教育エリア(4)持続的な林業経営エリア−−の四つに分け、プロジェクトを進める。
保護エリアは約2600ヘクタールで、特に原生的な森が残る約1183ヘクタールは最も規制が厳しい国の「森林生態系保護地域」の指定を目指す。
復元エリアは約3500ヘクタールで、主にスギなどの人工林となった地域を対象とする。段階的な間伐で地表に光を差し込ませ、かつて自生していた照葉樹の育成を促す。植林に頼らず、100年かけて元々の植生に復元する前例のない計画だ。
木材増産を掲げてきた林野行政が、住民のための森林管理へと転換したことで、森の伐採に反対してきた市民団体と対等な立場で手を結ぶことが可能になった。
同管理局は「森を大切にしようという理念を、立場の違う人たちと共有できた。国有林野事業の新たな一歩だ」と話す。
◇日本人の文化、はぐくんだ森
日本を含めアジアに広がる照葉樹林帯の生活には共通点があり、「照葉樹林文化」と呼ばれる。
焼き畑農業で育てた穀物や大豆を発酵させ、酒やミソにする▽森に生息するカイコのまゆから絹を紡ぐ▽樹木からウルシを採って器に塗る−−などだ。てるはの森の会に参加する「綾の森を世界遺産にする会」代表の上野登・宮崎大名誉教授(経済地理学)は「照葉樹林は『日本人』を形作る文化を築いた」と話す。
しかし、戦後はスギやヒノキなどの人工林に次々と植え替えられ、現在は国土面積の1・6%(約60万ヘクタール)しかない。そんな中で最大級の面積が残ったのが綾の森だ。
綾町では66年から24年間、町長を務めた故・郷田実さんらが国有林伐採計画に反対。85年に「照葉樹林都市宣言」をし、自然と共生するまちづくりに取り組んだ。
しかし、伐採は徐々に進み、03年からは、住民の反対を押し切って九州電力が高圧送電線用の鉄塔15基を建設した。
こうした事態を憂慮した上野さんらが、照葉樹林の復元計画を提唱したことが、今回のプロジェクトにつながった。
◇アジア各国の手本になるよう
世界自然遺産の推薦候補地を選ぶ環境省などの検討会は03年、「まとまった照葉樹林は世界的にも希少な存在だ」として綾の森を最終7カ所に選んだ。しかし、「人為の影響を強く受け、小規模に分断されている」などの理由から、推薦候補入りは見送られた。今回のプロジェクトは、検討会が指摘した課題を克服する取り組みでもある。
7月には、参加する5者で会議を開き、具体的な間伐方法や費用、保護地域の指定について話し合う。九州森林管理局が国有林の管理費を事業にあてるが、活動の拡大に向け、個人や法人からの寄付金も募る方針だ。
上野さんは「復元が成功するころには、綾の森は自然に世界遺産になっていると思う。復元の技術を日本だけでなく、中国などアジアにも広げていきたい」と話す。
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■ことば
◇照葉樹林
シイ、カシ、クスノキ、ツバキなど革質で光沢のある葉を持つ常緑広葉樹を中心に構成される森林。ヒマラヤ中腹から東南アジア北部、中国、日本にかけて広がるが、開発が進んでいる。綾の森は分布域のほぼ北限に位置している。
毎日新聞 2005年6月27日 東京朝刊