★阿修羅♪ > 地域9 > 166.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
松浦さんが投稿された 『ホイットニー文書 昭和天皇の日本国民に対する見解全文』は、心に永く留めたいと思いました。
松浦さん、ありがとうございます。
ホイットニー文書にある天皇の言葉には、昭和天皇の性格がよく表れています。
天皇のために死地に赴いた多くの国民は、この、自分と身内にしか気の回らない男によって、自分の地位を覆す存在として、警戒され敵視されていました。
この「自己愛」に満ちた男は、その後の日本のモデルとなりました。
地上戦で多くの住民が犠牲になった糸満市喜屋武の集落では、石垣や土台だけ が当時のまま残った「空き屋敷」が多い。「5月ウマチー(豊作祈願祭)」の21日 (旧暦5月15日)、屋敷跡で祈りをささげる親族の上地チヨさん(右端)ら |
あす23日、沖縄は60回目の「慰霊の日」を迎える。
式典が行われる平和祈念公園にほど近い、糸満市喜屋武(きゃん)。ひめゆりの塔などの南部戦跡を巡る観光客のざわめきをよそに、ひっそりと、往時を伝え続ける戦跡がある。
集落のあちこちに、珊瑚でできた、琉球石灰岩を積んだ石垣が残る。「空き屋敷」とよばれる住居跡だ。戦時中の一家全滅や、戦後の県外転居などで、継ぐ人もなく、荒れ果てた姿で残されている。
戦争中、旧喜屋武村・山城の住民が避難 していた自然壕「マヤーガマ」 |
戦争中、旧喜屋武村・山城の住民が 避難していた自然壕「マヤーガマ」 未だに多くの遺品が残されており、 学生らが平和学習のために訪れて いる(糸満市で) |
「空き屋敷」が点在する旧喜屋武村・山城地区に、住民のほとんどが避難した「ガマ」とよばれる自然の洞窟がある。そこには、今でも多数の遺品が残り、昨年から平和学習の場として使われ始めた。
ぽつぽつと水滴がしたたる中、学生たちが目をつぶって「暗闇のおそろしさ」を体験している。多くの島民が自決を余儀なくされた悲劇の洞窟は、なお数百から1000以上が沖縄に残っている。
1945年、民間人を巻き込んでの沖縄戦は、島民の4人に1人が亡くなり、最悪の地上戦となった。
一家全滅した1063世帯(沖縄県遺族連合会調べ)、2000柱は、平和祈念公園の奥にある「しづたま(鎮魂)の碑」に祭られている。
カメラとペン・大久保忠司(2005/6/22)