★阿修羅♪ > 地域9 > 153.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
熊本県立図書館に保管されている「薩賊死亡姓名」
http://373news.com/2000picup/2005/06/picup_20050614_6.htm
西南戦争によって熊本県内で死亡した薩軍兵士の詳細な記録が、熊本県政資料(熊本県立図書館所蔵)に残っていることが分かった。所属部隊や出身地、年齢、死亡した日付や場所まで記された名簿は極めて珍しく、当時の戦闘状況が分かる貴重な資料として注目される。鹿児島地名研究会世話役の平田信芳さん(74)=鹿児島市=が11日、同市の照国神社記念館で開かれた講演会で紹介した。
記録は「薩賊死亡姓名」。平田さんによると1877(明治10)年2月から同4月までに戦死した計1394人を収録(うち102人は重複)。表紙には「川尻町圓寿寺(延寿寺)不動堂ニテ」とあり、薩軍の兵站(へいたん)基地として野戦病院が置かれ、戦死者の埋葬を引き受けた同寺を拠点に、熊本県の役人であった「編修掛(編集係)」がまとめたものとみられる。作成年は不明。熊本県政資料は87(明治20)年に編さんが始まり、57部で編成される。
名簿を整理すると各部隊の編成状況が判明する。さらに「3月9日田原坂戦死」など兵士たちの死亡した日時や場所を追うと部隊の戦闘経路が分かる。川尻町誌には「延寿寺に用意した病床が2884床あった」という記載もあり、平田さんは「薩軍は開戦間もなく4000人近い死傷者を出したと思われる。当時の薩軍は1万3000人ほどだったので、すでに3分の1の戦力を失っており、敗戦は明らかだった」と分析する。
西南の役従軍者遺族会の桂久昭会長は「戦死者資料はほかにもあるが、多くは名前や死亡日ぐらい。所属隊や死亡地などは遺族が先祖の最後をたどる手がかりになる」としている。
大阪大学大学院の猪飼隆明教授(日本近代史)は「薩軍の所属隊が明記された記録はほかに見たことがない」と評価。「なぜ熊本県がこのような名簿を作ったのか、目的や調査方法に興味がある」と話している。