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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050526-00000301-yom-soci
都知事の「懐刀」窮地…浜渦副知事、進退問題も
東京都の石原慎太郎知事の「懐刀」といわれる浜渦武生・副知事が窮地に立たされている。
国会議員時代からの秘書で知事が最も信頼を寄せる腹心だが、都議会百条委の偽証問題で、議会側は6月に刑事告発するとともに、辞職勧告決議も行う構えだ。
ここまで同副知事が追い詰められた背景には、知事の威光を背に絶大な権力を振るう「側近政治」への強い反発があり、最終的には同副知事の進退問題に発展する可能性も高い。
都庁第1本庁舎6階にある浜渦副知事の執務室。都の局長、部長ら幹部が「お手紙」を手に日参する。
お手紙とは、各部局が今後進めようとしている施策の要点をA4判用紙にまとめたもの。副知事本人ではなく秘書がお手紙を受け取り、返事も秘書から届く。「○」とあれば了解。「×」だと練り直しだ。
他に副知事は3人いるが、「まず浜渦さんの了解を取るのが暗黙のルール。後で『おれは聞いてないぞ』と大目玉を食らうから」と都幹部は語る。
「人事権」も強大だ。筆頭格の財務局長が浜渦副知事と意見対立の末、格下の局長に転じるという異例の人事もあった。幹部をしっ責する際には「わび状」を取るのが常といい、ある局長は「『副知事様、申し訳ありません』で始めて数十枚書いた」と明かす。
浜渦副知事への権勢集中は、本人だけを責められないという声も庁内にはある。小説の執筆などに忙しい石原知事の登庁は週2、3日程度で、ある幹部は「知事の名代を務めているのは知事本人の意向」と弁護する。また知事の掲げる「官僚主導打破」のため、こわもてで都庁職員と対決し、反発を一身に受けてきたという面もある。
突然噴き出した「浜渦バッシング」の背景には、7月投票の都議選を前にした、自民・公明対民主のさや当てという構図も見え隠れする。
浜渦副知事の疑惑は、3月の都議会予算委で、都側が練馬区に建設した福祉専門校について、民主側に依頼して「ヤラセ質問」をさせ、学校法人の認可が「不法」であるかのような答弁を自ら行ったというもの。
自公が主導権を握った百条委では、民主幹部を証人喚問。これを拒否した幹部を告発する動きもある。自民幹部は「都政で何が起きているか都民に知ってもらうためで、選挙目的ではない」と強調するが、民主幹部は「党利党略だ」と反発している。
こうした政治的思惑とは別に、知事は13日、「遅まきながらバリアが出来ていたことを感知した」と、側近政治の弊害を認めた。知事周辺では、長年にわたって知事を支えてきた浜渦副知事の進退を含め、収拾策を検討しているという。
(読売新聞) - 5月26日3時6分更新
http://www.fben.jp/bookcolumn/archives/2003/12/post_152.html
2003年12月01日
てっぺん野郎
著者:佐野眞一、出版社:講談社
石原慎太郎・東京都知事の半生を克明にたどり、慎太郎の本質を見事に解明した本です。
慎太郎の父親は愛媛県に生まれ、宇和島中学を1年で中退し、山下汽船に店童(小僧)として採用され、叩き上げていった人物です。51歳で若死にしていますが、お酒の飲みすぎだったようです。慎太郎は、弟・裕次郎には絶対かなわないという根深いコンプレックスをずっと抱いてきました。裕次郎は慶応高校に失敗し、慶応農業高校に通いましたが、札つきの不良少年でした。その不良仲間の遊びを小説化したのが慎太郎の『太陽の季節』です。私は読んだことがありませんし、読む気もしません。芥川賞受賞に反対した佐藤春夫は、『太陽の季節』について、風俗小説としてもっとも低級であり、作者の美的節度の欠如しか感じられず、嫌悪を禁じえない、と言っています。これでは読む気がなくなります。保守反動派を自認する慎太郎も、名門の湘南高校時代には左翼的学生でした。一橋大学に入ってからも、破防法反対のデモに加わったことがあります。今の慎太郎からは、とても想像もできませんが・・・。慎太郎は選挙のとき霊友会の力を借りていますが、若いころには母親とともに世界救世教を信心していました。今、週に2日しか都庁に出勤しない慎太郎の代わりに都政を牛耳っている濱渦副知事は国際勝共連合と深い関わりをもっています。慎太郎には銀座の高級クラブでホステスをしていた女性に生ませた息子がいます。この子の認知のときには、妻と息子4人の全員が参加する家族会議で、今後は絶対に浮気はしないと約束させられたのだそうです。慎太郎の政治家としての信条を述べた言葉があります。「公約なんて、実現不可能なことは言わないものです。実現できなかったときに支持率が落ちるだけですからね。公約は、オッと思わせることが大事なんです」(週刊現代、2003年4月26日号)
慎太郎は、とにかく飽きっぽい、ものは早見えするけれど、すぐに行き詰まる。そして行き詰まると、たちまち投げ出す。人々の耳目を集めることにプライオリティーの重きを置いた独特のポピュリズム的手法を得意をする。とかく問題になる乱暴な言葉づかいにしても不用意な発言ではなく、こういったらマスコミが取りあげてくれるな、という計算の上での発言だ。慎太郎は、「毒舌」「暴言」という形で、日本人の隠されたホンネを先取りしてあぶり出してきた。慎太郎は2度にわたって300万票という大量得票を実現しました。しかし、私にとっては、慎太郎は虫酸の走る男でしかありません。そんな唾棄すべき男に、なぜこんなにも多くの日本人が間違って魅かれてしまうのか。この本は、その理由を考えるうえで大いに役に立ちます。
投稿者 霧山昴 : 2003年12月01日 15:13