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http://mytown.asahi.com/hokkaido/news02.asp?kiji=8720
室蘭 戦争で犠牲 60年ぶり「再会」
太平洋戦争末期の1945年7月、米軍の艦砲射撃で死亡し、戦後60年間、室蘭の寺に遺骨が預けられてきた朝鮮半島出身者2人の遺族が判明し、23日に60年ぶりにこの遺骨と「再会」することになった。7人が寺を訪れる。
遺骨が置かれているのは室蘭市輪西町3丁目の光昭寺。3体あり、それぞれ日本名が書かれた木箱に収められて、死亡時の退職給付金の明細など遺品が添えられていた。1体は昨年遺族が判明し、その後、残る2体もわかった。
道内に残る朝鮮半島出身者らの遺骨と遺族探しなどに取り組む僧侶や在日韓国・朝鮮人団体、平和運動団体の関係者らでつくる「強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム」(殿平善彦共同代表ら)のメンバーが、韓国内の調査関係者らと連絡を取り合い、身元と遺族がわかった。
亡くなった3人は、当時の日本製鉄輪西製鉄所(室蘭市)で操車工や機械運転工などをしていたとされる。終戦1カ月前の45年7月15日、室蘭沖に現れた米戦艦ミズーリなどからの約800発におよぶ艦砲射撃で犠牲になった。3人を含め同製鉄所では182人が死亡したとされる。
今回来日するのは、3人のうち鄭英得さん(死亡時16歳、日本名・松田芳夫)と李廷基さん(同15歳、同・朝本廷基)の2人のきょうだいら。
22日に関釜フェリーから下関経由で道内入りし、翌23日に光昭寺での追悼法要に出席する。25日に帰国するまでの間、当時の製鉄所があった新日鉄や室蘭市役所も訪問する。日本側のフォーラム関係者は「遺族の来日で、亡くなった人たちが日本に来た経緯などがさらに明らかになるのではないか」としている。
(5/20)