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現在の延長線上にある未来社会、推し量るべくも無く支配するものと支配されるものとがよりはっきりとするはずでである。
そのときあなたの孫は支配する側ですか、支配される側ですか。つまり契約社員になっているかいないかという事です。契約社員になっていれば確実に自己の労働が売れなくなるときがあるはずです。
例え国会議員で有ったとしても、多額の金を掛けながら選挙に落ちたとき、彼は生きるために労働を売らなければならない。
そして官公労職員であったとしても、民営化が推し進められる社会の中で、やがて職場を去らなければならないと考えたなら、生きるために自己の労働をどのように売るかを考えなければならない。そのことを恐れるあまり、リストラの対象から遠ざけてもらうために、あなたは上役にゴマをすらなくてはならない。
たとえ大企業の社員であったとしても、またその企業の中で上役という立場で有ったとしても、仮に現在は部下を支配する立場で有ったとしても、部下に情を掛けたことによってその職を解かれたとき、あなたはそのとき、これから先の自己の労働をどのように売ればいいのかを考えなければならない。
それは中堅企業の社長であったとしても、自己の企業が勝ち組に残るためには、抱えている社員、そして社長自らの労働を永続して買って貰うために仕事を出してくれる大企業の社員の言うことを聞かなくてはならない。年々コストダウンが要求されてきたとしても、それに逆らうことは自己及び社員全体の労働が売れなくなるときだ。
自己を現在の労働市場で売れるように能力をつけたとしても、それは他の人間の仕事を奪うことに過ぎない。
それはおかしな時代である。労働が出来ないとき、つまり労働が売れないとき、生きるということを拒否されたのと同じことだと言える。
あなた自身の労働を売るという意識(生きるために職探しをする、たとえ年金者であったとしても)が有ったとき、それは支配されている立場に立たされているという証拠でしかない。それはこの先多くの人達がその立場に立たされることがあっても、少なくなることは無い。
本来人間は生きるために喜んで労働を厭わないはずではなかったのか、それが労働をしたくても労働が出来なくなった時代、自己の意思とは関係なくいつの間にかその時代に入ってしまったといえる。